木田元『反哲学入門』/観念だけで考える後ろめたさと楽しさ/民主主義はなぜ正しいのか/数学的集合論と民主主義

Posted at 11/07/06

【木田元『反哲学入門』】

昨日帰郷。特急の中はかなり冷え冷えで、このご時世にどうしてこれだけ寒くするのかと思うが、特急の中というのは場所によって気温にかなりばらつきがあるので私の席の周りが特に冷えたのかもしれない。今までの経験上、車両の端っこは寒いことが多いのでなるべく中央に取るようにしているのだが、昨日は4番だったから、もう少しセンターに近くすればよかったのかもしれない。

反哲学入門 (新潮文庫)
木田元
新潮社

特急に乗る前からだけど、特急の中では主に木田元『反哲学入門』(新潮文庫、2010)をずっと読んでいた。とても面白く、昨日から暇を見てはずっと読み進めて、今日の午前中で読了した。買ったのは日曜日だからほぼ三日で読了したことになる。哲学関係の本ということもあり、いくら文庫サイズ300ページ弱とは言えソクラテス・プラトン・アリストテレスからデカルト・カント・ヘーゲル、それにニーチェ・ハイデッガーと哲学の王道をこんなに分かりやすく理解させてくれるということに感心しながら読み進めた。とにかく一度最後まで読みきらないといけないという感じで、頭が容量を超えてる感じはしたのだけどとにかく最後まで読み進めた。ときどき気がついたら寝ていたが、頭の筋肉を一時に使い過ぎたという感じである。

本の感想としては、解説の三浦雅士のまとめが実に過不足ない感じで、まあそんなふうに書かれちゃうと感想とかブックガイドとか書く意味ないよなあと思ってしまうくらい。

思ったのは、ニーチェの途中まで、特に「永劫回帰」に言及するまでは本当に間断とすることろなく、本当に一気に読ませる感じだったのだけど、このあたりからちょっとごちゃごちゃした印象になったのが残念という感じだろうか。特にデカルト・カントあたりの西欧近代「理性」の特殊性、我々日本人がなかなか理解できない理由などを説明したあたりはそういうことだったのかと強くうなずかされた。ニーチェでも「キリスト教は民衆のためのプラトニズムだ」とか、「神は死んだ」の神とはキリスト教の神に限らず、自分を世界外において世界を問おうとする絶対的存在としての「理性」そのものを否定しようということなのだとか、分かったようなよくわからないような、という感じで何となく高校以来放置されていた思想やその用語が、バシッとあるべき場所にはまったような感じがしてそれが非常に小気味いいものを感じた。

ニーチェ以降のこういう「超自然原理」を否定する「反哲学」の系譜がなぜ日本人に分かりやすいのかということもすごくよくわかったし、デカルトやカントがなぜわかりにくいのかということも分かった。ヘーゲルの弁証法的ダイナミズムの颯爽とした感じも感じられたし、デカルトもそうだが特にカントに関して興味がわいてきた感じがする。

【観念だけで考える後ろめたさと楽しさ】

反哲学はどちらかと言えば「物自体」、あるいは自然を重視する思想だから、逆に言えば今までずっとそっちの路線を自分は来たような気がするのだけど、こうして理解してみると、ニーチェ以後よりもニーチェ以前の方により興味がわいてきた感じがする。いや、読んでいてニーチェもハイデガーもとても面白いのだけど、やはり何らかの形で自分の身近なところに今まであり、そしてやや物足りなく思ったような思想や現象のもとになるのが彼らの思想であるような感じがする。それよりもむしろ純粋観念の中で考えるような志向性を持ったニーチェ以前の哲学の方が(とはいってもニーチェ以後でもやはり哲学は純粋観念だなあと思うけど)より面白い感じがする。

もともとこの本を読み始めたのは、現実よりも思考の世界の方が実は自分は魅かれるものがあると気づいてから、文学にしろ数学にしろ自分で当たれるものを少しずつ見たり読んだりしていて、哲学ということで立ち読みしてみたら面白かったから買った、ということなので、「生の哲学」以降は「うーん、もうさんざん聞いたよ」という感じがしてしまう。でもデカルトやカントは本当には理解できてないなあという燻り感がずっとあって、それを埋めてくれる本だという感じがした。「神の理性の出張所としての理性」なんてものは考えてみると「面白い」という以外のことは思わないけれども、これが理解できないと大陸合理論もドイツ観念論も理解できないんだなあと思うとしみじみと趣深い。

私は何らかの現実的根拠がなければ思考をすることはよくない、あるいは不道徳だという観念にどうも呪縛されていたところがあるので、観念のことを観念を重ねて考えるなんていうのは魅力的以外の何物でもない感じがする。理解してみて本当に同意したり共感したりするかどうかはよくわからないけど、変にアナロジーで理解させようとするのでなく、観念だけで理解させようとする哲学本というのは多分今自分が読むべきもののひとつなのではないかという気がする。

【民主主義はなぜ正しいのか/数学的集合論と民主主義】

思想や哲学というものについて私が悩んだことがあるのは、「民主主義はなぜ正しいのか」という疑問だった。今でならともかく、1970年代の私の中学高校時代、「民主主義は本当に正しいのか」という疑問を誰かにぶつけることはほとんど不可能で、だいたい自分だけで考えていた。もとはと言えば、多数決だの話し合いで解決するだのあるいは人権や平等という考え方だの考えてみればなぜ正しいのかよくわからない。確かに皆に与えられている権利を自分だけ剥奪されたらいやだなと思うことくらいはわかるが、大体なぜそんなことが考えられて、どういう根拠があって正しいのかとかよくわからず、中三で公民の授業を受けたらきっと心の底から「民主主義って素晴らしい」と思えるんだろうなと期待していたのだが、啓蒙思想だの社会契約説だのルソーだのモンテスキューだのといろいろ出てきたけどそれだけで、「なぜ正しいのか」という私の根本的な疑問に答えてくれるものは何もなかった。でもみんな分かったような納得したような顔をしていて、自分としてはどうしていいものやら全然わからなかった。

最終的に、「民主主義が正しいという根拠なんてない、そういう体系を考えた人たちがいて、それが実際に適用されて、それが他の制度よりましである」という理由だけで採用されているのだと分かったのは多分大学に入って以降のことだし、それも誰かに教えられてではなかったと思う。

それが分かったとき、私の民主主義熱?は一気に冷めて、何か手垢にまみれたものすごく下らないものだと思うようになってしまったのだが、確かに民主主義よりましな思想というのは社会主義とか共産主義とかナチズムとか随神の道とかいろいろ考えてもなかなか難しいということは分かってきて、どこかで考えるのをやめてしまったのだ。

しかしまあ今思えば、民主主義というのも実は純粋観念の産物で、観念的思考の積み上げによって民主主義より妥当な社会思想が成立させられたら別にそれにとってかわってもいいわけで、そういう新たな思想を考えよう、という方向に行くという可能性もありえたんだなと思う。まあでもその頃の私は「物自体」信仰というか、身体とか感覚を重視するまあいえばニーチェ以降の流れ、それは東洋的な伝統と整合性もあるわけで、そちらの方に身を委ねていたので観念の世界に行こうなんてことは思ってもみなかったのだ。

人権思想というのも、考えてみたら要素還元主義というか、人間というものはこういうもの、という定義から導かれる観念的な思想であって、つまりは数学的集合論から来ていると考えていい。「人間」という集合の中に入るものはすべて人権を持ち、人間という集合の中に入らなければすべて人権はない。受胎前の子どもも死んだ人間も人権はない。問題になるのは、受精から出産の間、脳死から心臓死の間といった移行期が「その状態は人間と定義すべきか否か」という一点でもめているわけである。要素還元主義であるからケースバイケースはあり得ない。数学的集合論を生きている人間に適用することの齟齬がそこに問題として生じているわけだ。

そういうあたりはもうすこし生の哲学的に生成し衰滅するものとしての人間を要素としてでなくある種の関係としてとらえる視点、つまり集合論より圏論的な思考が今後導入されていくべきなのではないかと思う。いや、確たる見通しを持って言っているわけではないのだけど。

日本という国はポスト近代がそのまま前近代の延長線上にあるようなところがあって、この国における近代というのはどうも割に合わない位置にあるなと思うことがよくあるのだけど、昔はバカにした民主主義だけど実はいま日本に必要なのはもっと原則的に民主主義的な、つまり一人ひとりが国家を担うという意味での国民主権的な行動だと思ったりすることもあり、取って変えることにできる妥当な政治体制が今だ構想されていない以上、もう少しまじめに民主主義をやった方がいいのではないかと政治の現状を見ていても思う。

天賦人権というのは、結局すべての人間は神の理性の出張所としての理性をもつというテーゼが根拠になっているわけで、だから理性が失われた麻薬患者には人間として罪を償う能力がないとみなされるわけだけど、そういうデカルトやカントの思想を十分に消化して人権というものを考えている人がいったいどれだけいるのかという気はする。それが分からないでやっていれば裁判だって民主主義ごっことか人権ごっこみたいなものなんだなと思う。

まあいろいろ思ったことを書きならべてみたが、また機会があったら読み直してみたいなと思う。木田による類書もいくつかあるようだけど、まずはこの本を味わい直してみる方がいい気がする。

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