感動の大損/17歳の鉱脈/「やりたいこと」の罠/お洒落系+アート系
Posted at 11/07/01 PermaLink» Tweet
【感動の大損】
今日から7月。旧暦では今日は6月1日で、新旧同時に月が変わるという日になった。六曜は旧暦の月の終わりと同時にリセットされる。昨日は先負だったので今日は仏滅だなと思っていたら赤口になっていて、ちょっとペースが狂った。仏滅は自分の中ではあまり積極的に活動しない日、赤口は積極的に新しいことに手を出す日、ということになっているのでスタンスが全然違う。
しかしここのところ気候の関係か、あるいは作品を書きあげて新しい作品を書くまでの模索というか試行錯誤というか沈思黙考というかチャップリンの言うところの「迷路」の時期であるからなのか、あるいはただ単に疲れがたまっているだけなのか、体調がいまいちだ。昨日は派手に腹が下ったが今日はどちらかと言うと頭痛の方面に移行して来ている。目が疲れていることだけは間違いないなと思うのだが。
昨日は木曜日なのにモーニングが出ることを朝は失念していて、昼ごろ車を運転していていきなり思い出してセブンイレブンに入って買った。ぱっと広げてみたらちょうど『ピアノの森』の最後のページになってしまい、ここ数週間の積み重ねのオチがネタバレしてしまって感動を大損した。仕方ないから帰ってから最初から読んだけど、せっかく丹念に積み重ねて言っているのにあの場面を先に見てしまったら取り返しがつかない。くっそー。ぼーっとしていたせいもあるが、こういう失敗は避けたかったな。
まあでもそういう意味では、それだけベタな展開だということだ。まあのせりふはやられたけどね。あと表情。二人の。これはここしばらくの中で一番いい。特に彼は感情的になる場面が少なかったから。ああこれ以上は書けない。どうぞこれから読む人は、偶然にしろそのページを開けてしまわないように、前から順番に読むことをお勧めします。
今日は岡谷のヤマダ電機に出かけて故障中の東京のPCの手頃な代替機を探したのだけど、どうもこれというものがない。Win7がプリインストールされ、DVDドライブがついてて3万円台、というのはちょっと無理な注文かな。ただフロンティア(Kouziro)が今でもやっていることが分かったのでスイッチがいかれた本体の修理が可能かもしれないという希望が出てきたことはちょっとプラスだったかな。
とりあえず今日の前半は体力回復に努め、後半でなるべく積極的に次の作品のことをあれこれ考えたりしていたのだけど、なかなか魅力的なプランが出て来ない。行けそうだけどもう一つ、というものは出ては来たのだけど。まあ前の作品でもそうだが、このくらいのプランを組み合わせることで「いける」という感じの作品プランができることもあるから、これはこれで取っておこうとは思う。でもまだまだ行けないな。今回は主人公の年齢設定が10代後半くらいになりそうだし、そういう一番とがっている時期のメンタリティをどこまで表現できるかということもトライ項目になりそうだ。
【17歳の鉱脈】
と書いていて思ったが、自分の17歳っていったいどういう時代だったのだろう。何か一言では言えないものがあるんだな。高二の夏から高三の夏。特別に愛してよ17の夏だから、というのは桜田淳子だ。それが二回あったけど何というか。高2の後半は決していいことばかりの時期ではなかったけど、思い出すのはわりとポジティブな、ほんわかしたいい思い出が多い。ああそうか、辛い思い出もあったけどそれは今までの人生の中で何とかクリアした部分があるからだな。高三になるときに転校した。どちらも進学校ではあったが雰囲気は全然違った。生活環境も全然違う。でもなんというのだろう、若さだよな。そういうことをフレキシブルに受け入れられた。今の腰の重さとは全然違う。引越しの荷物がライトバン一台だったのだから。何も持ってなくて、新しい環境にわくわくしていて。ステレオを買ってもらってそれは今でも持ってる。とても自由な環境の中で一年勉強して運よく大学に合格して、18歳の春からは築50年以上の大学の寮で三人の共同生活。次々に新しいことが起こって何でもかんでも新鮮だった。
いろいろ恥ずかしい思い出もあるし傲慢な人付き合いもあるし真剣な進路の悩みもあった。数学と世界史が好きで英語が不得意な高校二年生、というのは実際進路選択に困る。天文学か歴史学かとこのときさんざん迷って、結局歴史学を取ったのだけど、この選択が結局最後まで微妙だったなあと思う。文系を選択したことでたぶん志望校の合格確率は上がったし、文系学科に進んだから大学で演劇を思う存分できたということはあるのだけど、もっと長いスパンで考えたらどちらが良かったか。若いころにもっと数学とか物理とかにちゃんと取り組んでおけばよかったなという思いが今になったらあるのだけど、文系と理系の選択というのはあまりに大きな人生の分かれ目だった気が今になるとする。まあ、17歳に戻ることはできないが、その頃のことをもっと深く掘り下げて考えると何か鉱脈を発見できるのではないかという気がする。
うーん、自分の心の中で、一番心に引っ掛かる年代が17歳であるのは、たぶん自分にとってそれだけのことがある、それだけのことがあった年齢なんだなと思った。どの大学を受けるかその目標を定めたのがやはり17歳の冬。思いがけず模試でA判定を取ったことが大きかった。それでその気になれたのだが、その後一度もA判定は取れなかった。(笑)受ける大学は決まっていたのに文理が決まってないというのも無茶苦茶だが、当時は校内模試で数学の偏差値が99というときがあった。いやサンプルが少ないゆえのことで、平均16点くらいのテストで75点取っただけのことなんだけど。今あのときの自分にアドバイスするとしたら、一応理系の勉強をしてみたら?というかなやはり。転校前の学校では理系選択を出していたのに転校後は文系クラスに入ったり、かなり揺れてたんだよなあ。でも文系に絞って受験科目を決めて、学校ではやらない政経を自分で勉強したり、自分で模試の案内を取り寄せて東京まで受けに行ったりZ会も自分で資料を取り寄せて4教科やったり。Z会の提出期限、今では月に二回だが、当時は月に三回だったから4教科もやるとほとんど他の勉強はできなかったが、数学・国語・世界史は面白かった。英語はついていけなかったな…
【「やりたいこと」の罠】
17歳ではないけれど、大学に入ってからは、「やりたい勉強ができる」ということがすごくうれしくて、一般教養科目も専門科目も取りまくったのだけど、それはほとんど「読んでみたい本」を授業で受ける、というのに等しくて、乱読の私が取る授業は全然一貫性がなかったなあと思う。だから教養課程から専門に進むときも点数が足りないとかいうこともあり、またどこに進めばいいか分からないということもあり、最終的に西洋史に進んだが、それもよかったのか悪かったのかよくわからない。文系の大学に進んだあとで痛感したのは、「英語ができないと致命的」ということだった。でも結局、その根本的な克服に取り組む気になったのは大学を卒業してかなりたってからのことで、まあ芝居をやっていて授業には出られるときしか出なくなってしまったこともあるのだけど、何をやりたいのかはわけがわからなくなってしまった。
そうなんだな。大学に入るまではかなり戦略的に考えていろいろ取り組んでいたのに、なぜ大学に入ったら一気にわけがわからなくなったのか、それが不思議なのだけど、「やりたい勉強」の「やりたさ」というのがかなり単純な興味本位だったということが大きいんだろうな。いろいろな先生のいろいろな講義を聞いて楽しかった。特に好奇心を刺激されたのはイスラム世界に関する授業だった。でもまあ、それも結局好奇心以上のものではなかったんだよな。
【お洒落系+アート系】
今考えていて、特に大学生のころは、「こういう人間になりたい」とか、「こういうふうに生きたい」ということに関しては、考えないようにしよう、と思っていたんだということに思い当った。いや意識的にではなく、無意識のうちにということだ。つまり、心の中にいろいろな考え方、イデオロギー、思想、さまざまなものが刷り込まれていて、そういうものに捕えられて自分が身動きが取れなくなることを恐れて、考えることを避けていたのだ。一方で、そういう考えにすでにがんじがらめになっている部分もあって、ふらふらとそちらの方に行ってしまいそうになることもままあった。学生寮にいるといろいろな勢力からのアプローチがあるもので、革マルと話したこともあれば中核と話したことも、共産党は言うに及ばず、統一教会や手かざしさんたちと話したこともある。70年代の名残のある種のアナーキーさがまだ所々に残っていて、でもバブリーな学生もすでにいたし、麻雀で身を滅ぼしそうな学生もいた。
芝居に手を染めてからはお洒落系+アート系みたいな路線に行って、まあ今でも基本線はそれだから結局そういうのが自分の性質に一番合ってるんだなと思う。でもそんなスカした路線で生計を立てるのはめちゃくちゃ才能が必要なわけで、自分というものを考えないようにしているような人間には多分そんなことは無理だっただろう。
今考えてみると、そういう自分がどうにかこうにか生きて来られたのは、結局「書く」ということによってではなかったかなという気がする。どこかで書いたけど、子どもの文学から大人の文学への移行期、つまり中学時代に、私が最初に大人の文学として読んだ(ごく一部だけど)のがモーパッサンの『女の一生』で、これで文学というものが一気に嫌いになった。あと、子ども向けの『岩窟王』が面白かったので読んだ『モンテ=クリスト伯』もつまらなく、このあたりで文学というものを読むということをほぼ諦めた気がする。読み物的なもの、解説的なものを読むのはすごく好きで、特に教養書の類の歴史の本がすごく好きで読み漁っていたのが歴史をやれば面白いのではないかという錯覚をしてしまった一番の原因だと思う。今思うと、たぶん文学をつまらなく感じたが故の代替行為だった気がする。
実際、現代国語の授業で読んだ小説とかは好きなのが多かった。中島敦『山月記』、森鴎外『舞姫』、夏目漱石『こころ』、どれも好きだった。図書館で村上龍『限りなく透明に近いブルー』、池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』などを読んだがわけがわからなかった。今思うと、文学的なものに飢えていたのだけど、周りに自分の読みたいものを勧めてくれるような友達がいなかったせいもあって、(というか、私の趣味がこのころから既にかなり特殊で、私自身の探知能力も低かったから)全然正解にたどりつけなかったんだなと思う)
まあ今思っても、70年代以前の現代小説で読みたいなと思うのはほとんどない。あとで読んでみて面白いと思ったのは、堀田善衛『広場の孤独』と清岡卓行『アカシヤの大連』くらいしかない。太宰治や三島由紀夫も面白いと思うものは偏っているし、あとは澁澤龍彦くらいか。芥川賞のリストを見ていても69年の清岡のあと、読んで面白かったもの(読んでないものの方がずっと多いけれども)は86年の池澤夏樹『スティル・ライフ』まで出て来ない。高校のときに面白いと思ったのはむしろ詩で、萩原朔太郎と谷川俊太郎は特に好きだった。
こういうふうに書きだしてみると、自分の好みというのは実はかなりはっきりしている気がする。やっぱり「お洒落系+アート系」みたいな感じだし、今の自分の作品を考えてみてもかなりそういう路線なんだな。
こういうふうに考えてみると、実は自分は今まであんまり大きく自分のやりたいこと、自分の好きなことから外れないで来ているのかもしれないという気がしてきた。何というか私は、「しん」と澄んだ感じが好きなのだ。冷静で、冷めているようにも見えるけど本当は全然覚めてなんかなくて、それは、生き方というより美意識みたいなものの方が近いのかもしれない。それは昨日書いた、「型」とか「スタイル」というものとも重ねることは可能なんだろう。少なくとも「アイデンティティ」ではなさそうだ。
今思ってみて、自分のアイデンティティをそういうところに求めていたところもあったんだなと思う。でも昨日も書いたけど、アイデンティティというのは発展性がない。
というかつまり、自分の志向というのはやはり好き嫌い、つまり感情的なものによって決定されているんだなと思う。つまり理屈じゃない。つまりイデオロギーというものと根本的に相性が良くない、ということなんだなと思う。
まあその辺のところを深めていくことしか、自分の先々の生き方をプラスにしていく道はないんじゃないかなという気がしてきた。
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