「この一枚」の価値/締まらない話/先行逃げ切り神話/今週のモーニング:ちらっと見せる隙に萌えあり

Posted at 11/06/16

【「この一枚」の価値】

昨日も忙しかった。しかし引けるのは案外早く、10時には職場を出られた。昨日は小説の一通りの見直しが住んだのでちょっと気が大きくなっている感じがあった。何かそれはまだ朝になっても続いているのだけど、仕事をいくつか片付けたらまた読み直しにかからないとと思う。それとも一日くらいインタバルを置くか。

パリ―ロベール・ドアノー写真集
ドアノー
岩波書店

ドアノーの写真集、昨日入手したものに載ってない写真がないかと先日買った岩波から出ているのをもう一度見ていたら、見たい写真が載っていた。まあ当然なのかもしれないのだが、同じ写真がいろいろな写真集に出ている。デジカメでいくらでも写真が撮れる時代ではないし、「この一枚」という写真が多かっただろうから、その一枚の価値が多分今よりずっと大きかったのだと思う。もちろん今でも本当にいい写真の「この一枚」の価値は変わらないと言えば変わらないのかもしれないが、銀塩時代に比べて量で勝負、量が質を生む、という傾向になっている気がするのは先入観だろうか。

特にドアノーはスタジオで撮る写真でなく、街かどで子どもたちや人々の写真を撮っているわけで、その瞬間を逃さず撮る技術は本当にすごいと思う。いや、写真家なら皆そうなのかな。でも彼の写真ほどその瞬間しかないよな、と思う写真は少ないんだな。しかし、ということは、多分彼もその瞬間のためにたくさんの撮りそこないを撮っているのだろうとは思う。連写もまだなかっただろうし、そのための努力はまた今とは違ったものだろうけど。

まあつまり、今の写真家は今の進歩した技術を使っていまでないと撮れない胸を打つ写真を撮ってくれればいいなということなんだな。ただ、何を撮るかという問題は技術だけではないので、そういうもののつかみ方のできる写真家が出てきてくれるといいなと思う。いや、実際にはいるのだけどまだ私が見つけていないということなんだろう。多分。


【締まらない話/先行逃げ切り神話】

今日は朝まず小説という感じではなかったので、何かついいろいろなことに手を出してしまい、朝っぱらからよけいなことをしている感じだ。気が大きくなっているときというのは何でもすぐできるような気がしてしまうので危険だ。仕事のペース配分がいい加減になって、やりたいことややらなければならないことに使える集中力が浪費される。若いころは全然そういうことは思わなかったけど、集中と弛緩の仕方というのは本当に難しい。特に私はいい気になると「手当たり次第」病を発症するのであとで痛い目に会う。

今朝も携帯でモーニングのアンケート登録をやっていたら変に集中して疲れてしまった。これならはがき一枚書いた方がましだったな。携帯はつい細かいところに集中してしまうので何か罠がある。必要なことを片付けるには便利だが必要ないことには手を出さないようにするのが私にとってのポイントだな。しかしそこにも好奇心という罠があってすぐに絡めとられてしまうのだが。

さる書類を書いていて「代表取締役」と書いたつもりなのに「締」が「諦」になっていて慌てて訂正した。締まらない話である。何をやっとるかと突っ込んでみるが、普段は横判を押して済ませているのに手書きにしたからだといいわけしたりして、それにしても締まらない諦めの悪い話である。それにしてもみんな間違えないで書いているのかな。(書いてます)

さてその書類を持って一度職場に出てそれから銀行に出かけた。車で行くか歩いていくか迷ったがたまには歩こうと思い徒歩で出かけた。そうするとどうも腰の感じがおかしいので何が変なのだろうと思ったのだけど、要するに仙骨が立っていないというか、前のめりな感じになっているということに気がついた。

これがつまり、「気が急いている」という状態なのではないかと思ったのだった。なぜ気が急くのだろうか。それは自分の中に、「先行逃げ切り神話」があるからなのではないかと坂道をえっちらおっちら登りながら考えたのだ。

どんなことでもまず、スタートダッシュで一気に済ませてしまい、後の時間をのんびりと優雅に過ごす。基本的にだいたいそういう姿勢で済ませてきたのだが、若いころとは違いスタートダッシュの続く時間があまり長くなくなっている。また物事というのはこちらの都合だけでは済まないので、銀行の仕事を早く済ませようと思っても朝6時半に行くわけにはいかない。そうするとあまり重要でない、というよりどうでもいいことを先にしてしまってテンションが下がったり、そういうことでいらいらして優雅なはずの残り時間が減って行くことにカリカリしたりしてしまうわけだ。

スタートダッシュもラストスパートも大事だが、本当は中間部分を延々と続けられることがポイントなわけで、だから姿勢というものが大事なのだと思う。心の姿勢もからだの姿勢も。姿勢がよいと延々とやっていても疲れない。

まあ先に小説でないにしても創造的なことをして姿勢を作っておくべきだったんだな。事務仕事を先に片づけてしまうとあとは楽は楽だが何か充実感に欠ける。嫌いなものを食べたあとで好きなものが食べられるほど胃袋はもう大きくないしな。先行逃げ切りの考え方も、見直した方がいいなあと思うのだった。


【今週のモーニング:ちらっと見せる隙に萌えあり】

ところで今週のモーニング。読者アンケートに答えようなどと思ったのは、短期連載の「おれ達のメロディ」がとてもよかったのでぜひ続きを読みたいとアンケートに書こうと思ったからだ。マンガ雑誌はアンケート至上主義なので、少しでもアンケート結果がよくなれば生き残る可能性が出て来る。このマンガ、最初はちょっと絵柄が気に入らなかったのでちゃんと読んでなかったのだがどんどん面白くなってきた。読者の熱意が感じられれば連載も可能なのではない、かということを久々に考えさせられたのだった。期待したいな。

これ以外でも今週のモーニングはなかなか良かった。「ジャイキリ」がお休みなのは残念なのだが、まず「レンアイ漫画家」でアイコのお姉さんがどんどん話を展開させてとても面白くなってきた。藤悟に路上でキスされて「軽い」と言い捨てて帰ったり、いやあいいなあこの展開。と思った。それから「ひらけ駒!」で将棋を指しながら自分が行き当たりばったりのさし方だなと思っている菊池母が「まるで私の人生のよう・・」と思ったりしていて、これまで謎だったこの母子の前歴がついに明らかに?と期待が高まったり始めて菊池母に「萌え」を感じたり。した。今まで美人なのに何を考えているのかいまいちわからなかったので萌えようがなかったのだけど、こういうところでちらっと隙を見せてくれるとぐっと引きつけられる。南Q太侮りがたし。今に始まったことではないが。

それから「ピアノの森」。阿字野のラストレッスンは心にしみる内容だが、ピアニストの表現の材料の一つは感情だということ。「辛いことは心を強くする…楽しいことは心を豊かにする」なかなかいい話だ。「カイ。全部材料にしてしまえ!ピアニスト一ノ瀬海にとって、ムダなことなどきっと一つもない」。これは例えば、小説を書こうとする人間にとっても同じことだなと思った。そしてタイスがインタビューで一番気になるピアニストとしてカイの名を上げた。これは先々楽しそうだ。期待大。

あと、印象に残ったことでいえば、「島耕作」のインド進出。「僕ビー」は何か先が見えてきたぞ。「主に泣いています」も過去の話に突入しそう。「クッキングパパ」は関係復活。それから発見があったと言えば「デラシネマ」。今までただの映画マンガででっかい(デラックスな)シネマぐらいの意味としてデラが付いていると何となく思っていたのだけど、急に主人公二人が満洲からの引揚者だったことと頭の中で結びついて、「デラシネ(根なし草)」とシネマを掛けてあるのだということに気がついたのだった。そうするとそっち方向に話が進むのかな?期待したい。

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by Luke Peterson

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