PC故障/自分がどういう人間なのか/赤川次郎「作者の希望を主人公に投影したい」/体脂肪率/島田紳助『自己プロデュース力』:自分を知ること、方法を考えること、夢を持つこと
Posted at 11/06/28 PermaLink» Tweet
【PC故障】
昨日。夜いきなりPCの電源が入らなくなり、いろいろやってみたがよくわからない。2005年に買ったものなのでもう6年たっているから、そろそろいろいろ問題が出てきてもおかしくないのだが、騙し騙し使っていた。時間がないので古いPCを立ち上げてブログを書いているが、こちらのPCはネットに接続できないので更新はできない。今日は郷里に戻る日なので職場のPCからネットに接続して更新することになりそうだ。ところが今起動している古いPCはUSBメモリのドライバを入れてないのでUSBメモリが使えないから、フロッピーディスクにデータを入れて持っていくことになる。まあなんというか、PCのシステムというものは普通に動いているときには快適なものだが一度何かが上手くいかないと簡単にバックアップできるようにしてないのでいろいろな不具合が出て来る。
とりあえずメイン機の電源を点検してスイッチが入るようにできればとりあえずはOKだが、入らないようなら新しいPCを導入しなければならない。という場合に備えてBフレッツの接続キットを探したらこれがまたどこにあるかわからない。押入れの中にあるはずだと思って朝から探したのだが見つからず、困ったなと思って一度あきらめて、これは本腰を入れて家捜ししないといけないかなとちょっとアンニュイな気分になっていたのだが、もう一度自分の記憶をたどりなおし、こちらの棚に移したかな…と思うところを探したらすぐ見つかった。それにしても東京の方のPCのシステムはページプリンタも17年使っていて寿命っぽいし、古くて使ってないPCも何台もある。とりあえず入力はできるくらいの予備が一台あって良かったのだが、そろそろ何とかしなければいけないなと思った。そうなると古いPCを何台か処分しなければいけないなとかまたいろいろ考え出すと面倒なのだが、まあなるべく遠くない時期に実行しようと思う。
【自分がどういう人間なのか】
自分が何をやりたいのか、自分が何を志向しているのか、自分が何に向いているのか、自分がどういう人間なのか、というようなことをつかむのは難しいなと思う。いま40代後半にしてようやく答が見えてきた部分があって、自分は理性的というより感情的な人間であり、ものごとを記憶するにも感情で記憶しているということ、自分が向いているというかやっていて楽しいのは現実的なさまざまなことよりも頭の中であれこれ考えること、現実志向というより抽象志向であるということ、そして抽象志向の中でも特に美とか感情というものの表現に心を引かれていて、数学とか哲学よりも文学、小説というものを書きたいというふうに整理されてきているが、ここに至るまでには散々試行錯誤や紆余曲折があった。
試行錯誤の膨大さはいまさら自分自身としては言うまでもないのだけど、まあ小説という分野はそういうことも活かせないこともないのでそれはそれでいいかとも思う。まあ多分、振り返ってしみじみしてもしかたないことなんだろうな。振り返って書いているうちに眠くなってきたから。
やりたいことがはっきりしたら、次の問題はそれをどう実現するかということになるわけだけど、小説とか作品を創るたぐいのジャンルはまず作品を作らなければ話にならない。これも今まで相当試行錯誤して何本も習作的なものを書いてきたが、自分なりに「これ」と思えるものが3本続けて書けているので、次はそれをどうプロデュースするかという問題になる。
【赤川次郎:「作家の希望を主人公に投影したい」】
昨日はそういうことを考えながら本を読んでいたのだけど、「抒情文芸」の2000年の号に赤川次郎のインタビューがあり、久しぶりに読み返した。この人は徹底的に物語志向の人で、そのへんが保坂和志などとは全然違う。子どものころから物語を作り、絵にしていたが、自分でわかっているから文字は書いていないというのは面白い。場面の方が先にあってそれを自分で写し取っていくという感じらしい。中学生になっても高校生になっても就職しても書きつづけていたが、だんだん忙しくなってくると書けなくなってくるので書くのをやめたくないから締め切りをつくろうと思って賞に応募したら当選して、作家になったのだという。この人の場合は、むしろ書くことの方がメイン、つまり書くこと=生きることで、職業はあとからついてきた、という感じだ。
「売れても売れなくても、作家になれてもなれなくても、書くことだけは止めたくなかったんです。書くことを続けたいなと。そうでもないと、生きてきた意味がないというか。自分にしか出来ないことをしたいと思って。」サラリーマンの頃は二三日書かないと体調が悪くなったそうで、「生活がつまらないんです。毎日毎日仕事だけやっているのが嫌で、アイディアも書いてないと出て来ないんです。書かないなら書かないで澄んじゃう。書いてるとそれに引っ張られるようにあれもこれもと浮んでくるんです。書いているうちにここをこうしたらどうだろうとか、新しいテーマ、興味が浮んでくるという感じなんですね。書かないでいたらそのままになっちゃう。」このあたりのことは全くそうだなと思う。とにかく、「書くこと」そのものしか推進力がない。書くことによって息をすることができ、生きることができるという感覚。これはすごくわかる。
「一昔前のヒューマニズム、まだ人間を信じていた頃の文学が好きなんです。小説に人を成長させるための役割がある。一人の人間が成長していく物語が好きなんです。基本的にそういうものがぼくの中にある。ひたすら人間の悪いところや暗いところを書くというのは嫌なんです。」文学の好き嫌いで言えば必ずしもそういうものが好きというわけでもないけれども、書きたいものという意味で言えばそういうものを書きたいということは一致する。
「ぼくの作品では16、7歳の女の子が主人公という設定が一番多いんですが、大人と子どもの中間ってんで不安定で影響を受けやすい年代ですよね。そこから一歩大人になっていく。『セーラー服と機関銃』などもそうなんですが、突拍子もない体験をした主人公がどう変わっていくか、それを書きたい。どんなに面白くても主人公が成長しない作品は嫌なんです。成長しないという思想もあるとは思いますが、それにこうあってほしいという人間の姿を作品の中で書きたいと思っています。実際とは違っても、作家の希望を主人公に投影したいんです。」このへんの考え方はすごく近い。私の作品の主人公はだいたい12~3才の少年が多いのだけど、やはり意味としては子どもから大人になっていく岐路にあるということは同じだ。主人公の成長に意味を求めるというのも同じ。作家の希望を主人公に投影したいというのもその通りで、こうあってほしいというかこうあるといいな、素敵だなと思うものを描こうと意識は私にははっきりある。実際とは違っても作家の希望を、ということになるとむしろ実際と同じものを書いてもしかたないじゃん、みたいにむしろ積極的にフィクションを肯定するくらいの気持ちが私の中にはある。
こうして書いていて思ったが、つまり私は自分の作品の中に、11年前に読んだこの赤川次郎の考え方をだいぶ取り入れているということなんじゃないかという気がしてきた。主人公の成長を描きたい、というのは多分はじめて小説というものを構想した中学生の頃から持ちつづけているモチーフではあるけれども、実験的にそういうものをはずして書いてみたとき、やはりどうも作品に「華」がないというか、地味なそこらへんに転がっているような作品になってしまうなと思った。まあそれはそれでいいのだろうけど、メインにプッシュしていくべきなのはやはりなるべく多くの人に読んでもらえるような華のある作品だなとは思う。私も基本的に人間というものを信じているというか、信じられない時期もあったけれども、つまりは信じようという決意のようなものがあるんだなと思うし、信じるといいよ、と読んでいて思えるような作品が書けたらいいと思う。そうだな。前の作品を書いたときに、「生きるという選択肢もあるんだな」と思える作品にしたいと書いたことがあったけど、まあつまりそういうことだな。原点再確認。
【体脂肪率】
昨日は昼前に砂町スナモに出かけようとして、クリーニングを出して郵便局でお金を引き出そうとしたらATMが動かず、困ったなと思って外に出たらざーっと雨がきて、なお困った。スナモは歩いていくには遠いなと思って考えたのだが、とりあえず団地の中の郵便局に行ったらそこのATMは使えて保険料など払い、OKストアで昼食とか電池とか買って一度帰宅。友だちから送ってもらった体脂肪の測れる体重計がついたので電池を入れて早速測ってみたら体脂肪率9.6%と出てへえっと思う。しかしその後ご飯を食べたり風呂に入ったりして測り直してみるとだんだん体脂肪率が増えて(なぜ?)いまは11%くらいだろうか。もちろん増減はあるんだろうけどどうもよくわからない。昼食を取ってえいっと思って再びスナモに歩き出した。もう雨は上がっていたから自転車でもよかったのだけど、そのまま町に出ようと思ったので歩いていく。しかしやはり遠いな。スナモにいったのはここにはいっているユニクロに何があるか見に行くのが目的で、場合によっては30インチのジーパンを買おうかとも思ったのだけど町に出ることを考えると重いなと思い、店頭で売っていたレディ・ガガのSaveJapanのTシャツを一枚だけ買った。それから駅に出て日本橋に出、山本山でお茶を買う。かんけーねーだろと思っても静岡茶を買うことを躊躇してしまう。私でもそうなんだから買う人は減ってるだろうなあ。結局各地のお茶をブレンドした煎茶を買った。
丸善へ行って地下でアイディア用の無地のノートを一冊買う。こういうものって、長続きしない。そのときそのときで書きたい媒体(PCとかノートとかただの紙とかメモ帳とか)が違うので、昨日は無地のノートがいいなと思ったのだけど、きっとまた今度は別のものに書きたいと思うだろうし、そしてすぐどこかへ行ってしまう。だからといって書かないわけにもいかないので買ったのだけど。それからネットで調べた島田紳助『自己プロデュース力』(ヨシモトブックス、2009)を買った。あと写真集など見、カフェに入ろうかと思ったが止めて高島屋へ行って、夕食を買って帰宅。少し早めだったので電車はまだ混んでなかった。
【島田紳助「自己プロデュース力」:自分を知ること、方法を考えること、夢を持つこと】
自己プロデュース力 (ヨシモトブックス) | |
島田紳助 | |
ワニブックス |
帰ってきて『自己プロデュース力』を読む。すごくよくわかるところと、感心するところ、勉強になるところがある。もちろん自分に必要なことばかり書いてあるわけではないけど。当たり前だが、彼は吉本興業にはいったとき、やりたいことは決まっていた。漫才師になって、テレビに出て、タレントになる、というコースを最初から描いていたようだ。まず漫才師として売れること。そのために彼は「漫才の教科書」を自分で作ったのだという。面白いと思った漫才を片っ端から録音し、それを紙に書いていったのだそうだ。それをやることでなぜこの漫才が面白いのかが理解できるようになっていったのだという。そして相方を探し出し、相方に「これからの時代何が売れるか」「どうやったら売れるか」「俺はこうしたい」「これをやるんだ」と教え込んでいったのだという。そして勝てない喧嘩はしない。オール巨人や明石家さんまなどの才能と同期だった彼は、巨人の技術もさんまの華も自分にはない、自分はヒールのキャラで行くと決める。また売れて女性に人気が出てきても、自分たちの本当のターゲットは彼女らではなく本当に笑いのわかる若い男たちだ、と見失わないように気をつけていたのだという。これはそうかなるほどと思った。お笑いはもてるという先入観があるが、確かにお笑いは本質的に「新しい笑いのわかる若い男」のものなのだ。このあたりは勉強になる。自分のターゲットは女性よりではあるが、でも一番読ませたいのは彼方にいる自分自身だという感じがあり、そいつの趣味が普通よりは女性に近いところがあるというだけのことで、少なくともターゲットを意識するということの重要性ははっきりしている。
あんまり全部書いてしまうとあれだから特に印象に残ったポイントだけ書くけれども、ほかのポイントもけっこう重要だと思われることはある。自己プロデュースについて考える気がある人はまずは買って読んでもらうといいのだけど実際。たとえば「お笑いタレントに無駄な練習はいらない。無駄な筋肉がついてしまうから」というところなど、実に紳助らしい。作家にも作家に必要な頭の筋肉というものは明らかにあり、それをフルに使うためにはその他の無駄な筋肉はつけない方がいいということは確実にある。まあ日常生活を送るためにはそういうものも必要だからバランスの問題ではあるのだけど。間のとり方の問題も面白い。これは小説の書き方の上でもかなり大事なこと。というか最近割と意識している。
自分と似ているなと思ったのは、感情の伴わない記憶は忘れてしまうということ。何かをしてこうだった、こんなことを思った、こんな風に思ったということはずっと覚えているが、ただ覚えたことはすぐ忘れてしまう。しかし感情の伴った記憶は絶対忘れないし、そういう記憶はいつ話しても新鮮な感動が自分自身の中に蘇る。もちろん同じことを何度も話すと飽きられるが、逆にいえば自分自身は飽きてないということで、それはある意味すごい。いや自分で言うのも何だが。なんというか、自分にとって大きな何かがあった時、こういうことがあったというときのその「感じ」というのは忘れないもので、その「感じ」というのは実は私の場合は「感情」なんだなと思った。何かに対し自分が持った「感情」のことを、「感じ」と言っているのだと。だからまあ、自分は感情的な人間なんだという話に戻ってくるのだけど。
それから、ものすごくいろいろなことに詳しいように見えるけれども、本当は喋っていることしか知らない、という話。これは思わず膝を打った。自分もそういうところがあるからだ。一生懸命情熱的に何かについて語ると、その周辺のことにまですごく詳しいと思われるけれども、本当はそのことしか知らない、ということ。紳助はそれを自覚してやっているのだけど、私の場合は周りから「何でも知ってるんだね」といわれていい気になって自分まで勘違いしていたところがあってバカだったなと最近よく思うのだけど、本当は興味のないことは全然知らないのだ。あ、この話最近どこかで書いたな。紳助は自覚的に知らなければいけないことだけ徹底的に知ってそれを詳しく話すが、それはテレビという場が一人2分くらいしか持ち時間がないからそれで十分だ、というわけだ。まあ90分の授業を半年に15回やらなければならないのとは違うのだ。このあたりの機微は教師というものを経験したことのある人ならわかる人は多いだろう。本当に力がある人はものすごく深いところまで知っているが、授業でお茶を濁すくらいはそんなに大変でもない。これは進学校なら生徒に見透かされるが、そうでない学校では逆に後者の方が人気があったりすることもよくある。能力を伸ばしたいなら進学校で教えないとダメだというのは事実だと思う。
M-1をはじめたのは才能のあるやつに世に出るきっかけを与えるためではなく、才能のないやつに辞められるきっかけを作るためだ、というのも紳助らしい。そして自分に才能があるかどうか、常に自問自答している。これは「天才型」の人にはたぶんないことで、でもすごいと思うのは、その才能を証明するために次々に店を作り、それを成功させて「才能ないんちゃうか」と思う自分に「どうや」と見せているということだ。才能がすべての世界の中で成功に安住せずいかに努力するかという、ある意味血のにじむような努力。
自分は成功し、夢をかなえた。だからそのぶん、夢を失ってしまった。一対一で無名の才能があるかどうかわからない若者と酒を飲んで語り合っても、夢が語れるという一点において、その一点だけにおいて負けてしまう。それを思うと泣きそうになる、という紳助にはやはり感動させられる。いつでも前向きに生きるということの難しさ。
「人生なんか夢だけど、夢の中にも夢がある」というのはやなせたかしだが、夢こそがすべて。ちょっと書きすぎた感じもするが、この本、その人その人の経験によってその人なりの全然違う読み方が出来る本ではないかと思う。
まとめると、というかこれは読んだ感想と言うより自分で考えたことのまとめだけど、「自己プロデュース」ということを考えるときに重要なことは、「自分を知ること、方法を考えること、夢を持つこと」の三点に絞られるなと思った。自分に何ができて何が出来ないか。人に勝るのはどこか。どういうことで失敗しやすいか。自分を知って、どういう点なら勝負できるか。ターゲットはどこにあるのか。この方法とあの方法のうち、ターゲットの心に届きそうなのはどちらか。状況を理解し、その状況の中で最大の効果をあげるためにはどうしたらいいか。そして夢。何をしたいのか。何を実現したいのか。自分が心底したいことは何か。一番難しいのは、夢を持ちつづけることかもしれない。挫折によって心が折れることも、成功によって夢を失うことも、同じように人にとっては危機だ。より大きな成功を手に入れた人はより大きな夢を持つことが多いのは、自分をかきたてるためなんだろうなと思う。そしてそのすべての彼方にあるもう一人の自分、あるいは本当の自分に嘘をつかないこと。芸人はそいつを笑わせるために、小説家はそいつを感動させるために。そのもう一人の自分もまた成長させなければならない。子どものころの自分、子どものころのままで、もっとも自分というものを理解している自分に伝え、そして成長させるために。
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