ゆっくり急げ/それだけでは解釈できない何か/アートの不穏さ
Posted at 11/05/20 PermaLink» Tweet
【ゆっくり急げ】
今日は意識的にゆっくり過ごそうとしている。毎日やっていることを、ゆっくりと、丁寧に。やってみると、普段いかに一つ一つのことを雑にやっているかということがよくわかる。雑にやったことは雑な結果しか出て来ない。そしてそれがまた、何とかしなければと自分の心を急かせることになっているのかもしれないと思う。
朝方はまだ寒いのだが、午前10時を過ぎてだいぶ暖かくなってきた。おとといも昨日も、月がきれいだった。おとといは十六夜の月、昨日は立ち待ちの月。11時ごろ外を見たら東の空にぽっかりと浮かんでいた。毎日晴れているから、毎日月が出る時間が遅くなって行くのがよくわかるようになる。今日は居待ち、明日は寝待ちの月。ゆっくり急げ。
【それだけでは解釈できない何か】
バルテュス、自身を語る | |
河出書房新社 |
『バルテュス、自身を語る』を読んでいる。美しい文章だが、美しいだけでなくいろいろ考えさせられるところがある。彼が幼いころ、リルケが彼に「クラック」というものを教えたのだという。クラックとはひび割れ、隙間のことだが、つまりは「日常性の裂け目」のようなものではないかと思う。その隙間から人は、「素晴らしい国」に入ることができるのだと。アリスがウサギを追いかけて入って行った世界。それは「一日が夜に場所を譲り、夜が一日に場所を譲るわずかな時間」で、「他の素晴らしいもの」をかいま見る空間。夜と昼の二つの時間の、糊づけされた隙間から見える空間というようなものか。
しかしリルケはバルテュスに、「クラック」に呑み込まれてはいけない、私の仕事は「素晴らしいもの」を再び上にあげることだとも言ったのだという。それはつまり、「移ろいの国」とでもいうべき場所だろうか。夜は夜で日常で、昼は昼で日常だが、夜から昼へ、昼から夜へと移る空間はどちらにも属さない、そこにあるものは昼のものでも夜のものでも、つまり日常のものではない、ということなのだろう、いつまでも夕方の国。そういえばバルテュスの絵に描かれた光は、永遠にその境目の時間を漂っているように思われる。強いサスペンションライトをあてられた、永遠に夕方の国。ある種のその不穏さ。その不穏さを「美」に仕上げること。
天使が少女になり、少女が天使になる、その瞬間。バルテュスの絵が「きわどい」のはまさにそのきわどさを描こうとしているからで、それは本人の意図とは次元が違うにしても不穏な匂いの強いエロチシズムだと解釈されてしまうのはある意味当然の帰結だ。画家がどうやって少女たちを口説いて脱がせてモデルにしたのか。彼と少女たちの共犯関係は謎に満ちている。しかしエロチシズムだけでは解釈しきれないものがそこにはある。
意識から無意識への移行の瞬間。夢から現実へ、現実から夢へと移る瞬間。その時には奇妙な力が働いているように思われる。私の中で物語が生まれるのもそういう時間だ。その時間・空間をうまく捕まえることは難しい。バルテュスは「15歳になるかならないかのころに常にクラックに入れる状況にした」という。何となく読み過ごしていたが、これはすごいことだ。彼はモーツァルトが音楽の世界に入り込んだようにそこに入ることができたのかもしれない。
【アートの不穏さ】
巨大な日常性の裂け目というのは、ある日突然やって来る。特にこの日本では。いろいろな議論に言うように、その日常性の裂け目の到来――地震、津波、原発事故――に、日本人は他の民族より慣れているし、それが文化的アイデンティティの形成に大きな影響を与えてきたかもしれない。
大きな災害は社会の変革を促進し、安政大地震のあとで明治維新が、関東大震災のあとで満州事変から日米戦争に続く大きな戦争が起こったりしてきた。阪神大震災はオウムによる地下鉄サリン事件などを誘発し、80年代のバブルの余熱・ニューアカ・新新宗教ブームを完全に終息させ、不況と新自由主義の導入、格差社会への道を加速させたかもしれない。今回の地震は、私は実は「良き変革」につながるのではないかという楽観的な見方なのだけど、今現実に起こっていることは目も当てられないような感じではある。
第一次世界大戦が近代的価値への疑念を与えてシュールレアリズムを生みだし、第二次世界大戦が資本主義の謳歌からポップアートにはじまる現代美術を生みだして行った。今、私たちは何かを探し出せる、そういう時期なのかもしれない。
しかしながら、バルテュスはシュルレアリスムを真っ向から否定している。シュルレアリスムは戦争のショックによって度を失ってしまい、伝統を顧みなくなってしまった愚かな運動だと見ているのだと思う。戦争の時代、バルテュスはヨーロッパを舞台に演じられた悲劇を絵に入れてはならない、と自分に言い聞かせていたのだという。
彼の若いときの作品は、何であれ不穏さに満ちている。しかし戦争の前後から、不穏さはだんだん美しさにとって代わられて行く。それは不穏さの冒険に疲れたのだろうか。あるいはもうそういう不穏さを必要としなくなったのか。今でも多くの人が彼の絵に魅かれるのはやはりその不穏さ、常識では測れない何かがそこに描かれている感じだろう。戦後その不穏さは薄れたのだろうか。いや、そんなことはないのだと思う。
ある意味、若いときの作品の不穏さは分かりやすすぎる。戦後の作品の不穏さは、平穏さの陰に隠れて、逆にいえばそう簡単には見抜けないレベルに行っているような感じがする。
おそらくはその不穏さこそがアートの源泉であって、バルテュスの不穏さは誰にも真似のしようのないものがある。真似ると精神的に危ない感じのものを、おそらくは何か別の力によって――信仰とか――支えているように思われる。ピカソはバルテュスを常に高く評価し続けたというが、やはりピカソもそうした面で自分を超える資質をバルテュスには感じていたからだろうと思う。
作品を支えるのはこの不穏さ――テンションと言ってもいい――であって、それを描き出すのは結局は技法ということになる。村上隆が日本画の革新を唱えているが、やはり技法の重要性を強調していて、結局そうなんだなと思う。不穏さのない作品は何も生み出さない。不穏であればいいというものでもないが、不穏さに溺れてしまえばそれで終わりになる。
そんなことを考えながらこの本を読んでいる。
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