編集者から見た電子書籍化/上流階級が書いた小説/小路啓之『来世で会いましょう』
Posted at 11/05/05 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。仕事の始まりが早いのでいつもより一本早い11時の特急に乗る。さすがに連休中でかなり混んでいて、親子連れなど満載。しばらく自粛ムードだったが、この連休は一気にそれが爆発した感じ。やはり元気が出ないと復興もままならない。日本全体を盛り上げて行くのは正解だと思う。
出版大崩壊 (文春新書) | |
山田順 | |
文藝春秋 |
山田順『出版大崩壊』を読んだ感想を書こうと思い、さっきから何度も書き直しているのだが、どうもうまく書けない。この電子書籍化と出版業界の今後という問題は受け手としての私にとっても書き手志望としての私にとっても相当大きな問題なので、おいそれとまとまった形で書くことは難しい。ただ言えることは、起こってしまったこと、起こりつつあることには対処せざるを得ないということと、それから起こりつつある変化をチャンスととらえて新しい「本」の文化をどう築きあげて行くかということを考えた方が建設的だということくらいだ。佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』はそういう前向きな態度で貫かれているが、『出版大崩壊』は後ろ向きな部分がかなりある。それはそれですごく真実だと思うし、破壊されてしまうものもかなり大きくなる可能性はあるのだけど、今までなかったものがそこで生まれる可能性も大きく、そういうものの可能性をより前向きにとらえた方がいいのではないかという気がする。
編集者が著作者と違うなあと思うのは、著作者はどちらかと言うとアーチストノリで新しいものを面白がってどんどん取り入れていこうとする人が多いのに対し、編集者は職人肌で新しいものにはむしろ危険を見、なるべく今までのやり方を生かしながらやっていこうとしているように思う。今回の電子書籍化の問題はまさに黒船来襲とか大津波的なインパクトがあるものだから、職人的なやり方で乗り切っていこうとしてもただ呆然と立ち尽くすしかない、というところがあるように思う。『電子書籍の衝撃』の感想を書いた際に言及したケータイ小説におけるヤンキー文化と文字文化の衝突と融合という全く新しいことが起こっているということを、佐々木はとても前向きにとらえていてそれは私にとっても衝撃的に感じられたが、山田は全く相手にせず、「プロの編集者から見たら即ボツのゴミ作品」とぶった切っていて、それはどうかなと思う。そこに新たな可能性があるなら、最初は満足のいく仕事ができないまでも、新しい流れの中でどうしたらより価値のある仕事に結び付けていけるのか、そういう方向性を探っていくしかないのではないかという気がする。
ただ、そこに本当に新しい可能性があるのか、確かにそれは断言はできない。佐藤秀峰氏の試みのように、最初は「細々と」やっていくしかないのかもしれない。しかし価値のあるコンテンツがあり、それが手軽に比較的安価に手に入るなら、たとえ有料であってもそれを手に入れようという人は必ずいると思うし、そういう情報を提供するメディアもまた成り立ちうると思う。
出版物のクウォリティは編集出版という労働集約型の業態によって支えられてきたし、販売制度としての再販制に支えられてきたという面はあるだろう。このあたりのところが、今後は確かに厳しくなっていくだろうなあと思う。電子書籍の場合、安価にすることによってその質を下げざるを得ないという面は出て来るだろう。
しかしたとえ安価であっても、文章そのものの内容が酷ければそれは問題が多いわけで、そういう意味で著作者と二人三脚で本を作っていく編集者の役割が変わることはないし、また価格の中の著作者の取り分(印税)だけでなく編集料、校正料、販売手数料、広告料などを厳密に決めて行く形に変わって行き、それに応じた形での編集が行われて行く方向に行かざるを得ないだろうと思う。
……まあちょっと、この問題は論じるのには相応な準備が必要だということが分かって来た。そうなると感想というレベルでは済まないし、それこそ新書一本書くくらいの勢いが必要になって来るわけで、正直準備が足りない。機会を見てどこかでまた論じられればと思う。
***
自分は小説を書こうとしているのだけど、実はそんなにたくさん小説を読んでいるわけではない。やはり書こうとするなら勉強が必要だと思い、今までどれだけの小説を読んだかを自分の本棚で確かめてみようと思って集めてみたら、その一角が三島由紀夫や渋沢龍彦、太宰治やラディゲや笙野頼子や佐藤亜紀が並んでものすごいオーラを持ってしまい、かなりやられた感じになった。フィクションという点ではダンテやゲーテも並ぶし、重い重い。もちろん村上春樹もあれば近藤史恵もあるし、池波正太郎は『剣客商売』が全巻並ぶのでそのあたりは小粋になったりもするのだが、小説というものは背表紙だけで並々ならぬオーラを出すものだと改めて思った。膨大な書棚の中でそう多い面積を占めるわけではないし、まだ並べはじめたばかりなのだけど、(買ったけどあまり読んでない小説も多く、それは並べてない)小説の持つ力を改めて思い知らされた。帰郷してからも本棚の中の既読の小説を並べてみたが、オースターや村上、チャンドラーやタブッキ、楊逸や磯崎憲一郎、それにレベッカ・ブラウンなどが並んでこれもまた原色っぽいオーラを放っている。
慈悲海岸 (集英社文庫) | |
曽野綾子 | |
集英社 |
でまあ、書棚にあるけど読んでない小説のうち、自分にとって意味のありそうなものを読んでみようと思い、帰郷の電車の中で読んだ本の一冊が曽野綾子『慈悲海岸』(集英社文庫、1987)。曽野綾子は今まで保守的な発言者としてのみ見ていてその小説作品を読んだことがなかった。この短編集は元妻が残して行った本の一冊で、自分では買わなかった本だがまあ何かの機縁かと思い読んでみることにした。
読み始めて、何かこれは今まで自分があまり読まなかった種類の小説だなとすぐ思った。真っ先に思い出したのは石原慎太郎の『わが人生の時の時』。これは福田和也『作家の値うち』で村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と並んで96点の最高点がつけられていたので読んでみようと思って読んだ作品なのだけど、これも何というか不思議な、今まで読んできたことのない種類の本だなと思った覚えがあった。
曽野もそうだし石原もそうだが、一言でいえば「上流階級の小説」なのだ。書かれている題材が上流階級なのではない。書いている作家が上流階級なのだ。そういえば石原を評価した福田も上流階級だと言っていい。まあ私のイメージかもしれないが。
何を持って上流かというかと言えば、つまりは上昇志向がなく、戦前から継続的に主に東京でアッパークラスの生活をしてきた層だと言えばいいか。地方出身者や戦後からサラリーマンになったクラスのような階級上昇志向が最初からない。逆にいえば、私などが属するクラスは階級を上昇させることができれば生きる上での問題のかなりの部分が解決し、より楽しい生活ができるという幻想を抱いているわけだけど、上流の人たちは見事なくらいにそのことに対して何の希望も持っていない。早くいえば絶望している。平安時代のお公家さんのようなコップの中の争いで足を引っ張り合って自分のポジションを確保するのに汲々とするような、そういう人生しか自分にはないと思っていて、だからこそそれから逃れたいと思っているがでも実際に下の階級の落ちようとは思っていない。プライドも高いし生活のクオリティは重視しているが自分の人生を投げ出すことに驚くほど抵抗がない。私の上流のイメージはそんな感じだ。
彼らは基本的に人間は孤独だと思っていて、我々のように愛や平和を信じたりはしない。そういう意味で、本当に神を必要とするのは彼らかもしれない。ブッダが出家したのもそれゆえだろうし、白洲正子が骨董や小林秀雄のサークルに入れ上げたのも同じ理由だろう。社会的上昇という分かりやすい目標がない彼らは、自分だけが入れ上げる何かが必要なのだ。ボランティアや環境活動に熱心な人が多いのも同じような理由だと思う。
そういう人が作家になるとどうなるか。我々のように市井の人々への共感とか、同情とか、成長とか、そういうものを書いたりはしない。(彼らの主観としてはそうかもしれないが、こちらにはあまりそうは感じられない)傍観者的な、透徹した視線で人々を裸にする。それを嗤いもするし、そこに啓示を見たりもする。人がなぜそう生きなければならないか、ある種の運命の重みを、極めて自然に感じ極めて自然に表現する。そこに余計な感情が介在せず、ドライな印象を受ける。14本の短編のうちまだ最初の4本しか読んでないが、極めて自分の受けた印象に正直に書かれているように思う。
印象深い言葉を並べてみよう。「火を燃やすという作業は、信じられないほど心を空にしてくれる。」(「罠」)「25歳までの女は、自分だけが死ぬ。25歳過ぎ35歳までの女は、相手を殺して、自分も死ぬ。35歳を過ぎた女は、相手だけ殺して、自分は生きている」(「罠」)「一族の中に、裁判官やら、有名な仏文学者やら、外交官夫人やら、数え切れないほど多くの陽の当る場所にいる人たちを出しているような家柄の息子ほど、ふつう老成して用心深いものはない。彼らの中で、本当の恋愛をするのは、ごく稀のようである。彼らは生まれたときから、<打算と用心>をおしゃぶり代わりにしゃぶらされて大きくなるので、恋愛しても一族が文句を言わないような範囲の娘としか、恋をしないで、それで本当の恋をしたような気になっているのである。」(「春は馬車に乗って」)
批評眼の鋭さと絶対的なものへの希求。「まだ字もろくろく書けなかった満5歳くらいのころから、本当に徹底して、骨の髄から、生きて行くことは、ろくでもないことだ」と思っていて、「ろくでもない、絶望的なところだということが確定してしまうと、私のようなヘソマガリはそこでやっと安心して、あたりを見廻すのです。そして、なんだかよくは分からないのですが、『うん、それにしては面白いこともある』とつぶやいてみてもいい心境になります。……そして反動で、生きていてもいいような気がしてくるのです」(高橋敏夫による解説より)
まあこういう人たちは気の毒と言えば気の毒なのだが、逆に私などには見えにくいものがまっすぐに見えるということもあるなと思う。もともと絶望しているのだから捨てるのも平気だ。人生を一個の茶碗と交換しても悔いなし、という感じだろう。
こういう人たちに比べると、私には健全な上昇志向があるなあと思う。そのせいで見えなくなっていること、億劫になることも限りなくあるのだが、自分のやりたいことをやって書きたいことを書き、なるべく多くの人に読んでもらいたいと思っているわけだから、まあ本質的に中産階級的なんだなと思う。
同じような匂いのする人は、ほかにたとえば塩野七生もいるし、宮崎駿もいる。彼らの透徹した目は上昇欲求によって曇らされることがない。私などがそういう境地に行くことはあるんだろうか。でも人生に絶望したいかと言うとそれはどうかなという気がする。私にとってこの世はやはりワンダーランドだと思えてならないし、絶望なんかしたらあっという間に堕落するだろうという気がする。絶望しても堕落せず、その虚無を抱え、その空洞をいろいろなもので充填しながら生きている、彼らの生き方は人間というより六道輪廻で言えば天人という感じで、でもまあ天人五衰なわけだ。
***
来世であいましょう 1 (バーズコミックス) | |
小路啓之 | |
幻冬舎コミックス |
小路啓之『来世で会いましょう』を3巻まで読了。このマンガはせりふも絵も情報量が膨大でなかなかいっぺんに読むのが難しい。また登場人物たちもなかなか本音を現してくれず、何を言ってるのか読み取るのが難しい。基本的には10代の韜晦なので読んでいるうちに求めているものは信頼だったり純愛だったりすることが分かって来るのだけど、小ネタに満ち溢れた会話や豊富な突っ込みにいちいち引っ掛かっているとなかなか前に進めない。最初はわけがわからなかったキャラクターたちもどんどんその存在が愛おしくなってくる。ナウくん、キノくん、かぴあ、エチカ。キリヤとキリノ。
人とまともに話ができない主人公ナウくん。かぴあちゃんはナウくんの来世体メルシャンさまに入れ上げてナウくんを死なせメルシャンさまを生まれさせようとする。可憐な女装少年のキノくんはツンデレで本当はナウくんが好き。シチュエーション恋愛しかできないキリヤと来世体とすぐ入れ替わるために自分を二重人格と思っているエチカ。誰とでも寝るが本当は兄キリヤしか愛していないキリノ。一見極端な設定ばかりだけど、どこか一人ひとりのキャラクターに思い入れしてしまう自分がいる。1巻はなかなか思いれしながら読むことができず、2巻ではキノくんがかわいくてしょうがなかったが、3巻になるとナウくんとかぴあちゃんに気持ちの中心が移っていく。「ナウくんは運がないんだよ。全員プレゼントにすら落選するんだから」「プレゼントの配達がなんちゃら急便だったんですか?」思わず相当共感してしまった。
正直相当濃すぎて最初はついて行くのが大変だった。特に大阪弁と絵柄に抵抗のある人にはきついかもしれない。まあしかし慣れると癖になる。そんなある意味極めて大阪っぽいマンガだった。
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