思いを伝えること/『その揺れ』を経験したか否か/バロックから古楽へ/石原に投票しなかった理由/プリキュアとか魯山人とか/『上を向いて歩こう』考

Posted at 11/04/10 Comment(4)»

今日は久しぶりに銀座に出かける。友人からメールをもらい、少し時間があるようだったので有楽町の三省堂で待ち合わせ、これも久しぶりに西五番街の地下にあるアンティークな喫茶店へ行った。ワッフルを食べながら話をしたのだけど、共通の友人が仕事に対して調子が悪くなって、4月から休職しているという話を聞き、少し驚いた。しかし考えてみるとどうも思い当たるところもあり、手紙でも書こうかなあと思う。力になって上げられるようなことは何もできないのだけど、励ましでもなんでも何か思いが伝わって少しでも心が和らげばいいなあと思う。頑張れという言葉は禁句だというけれど、頑張れという言葉の裏に無限の思いがあることをどうにかして伝えたい。だからみな不器用だし躊躇しながらも、頑張れ、というのだと思う。大声で、小声で、あたたかく、そっと、何気なく、真剣に。

この店は初めて行ってからもう25年になるし、最初に行ったころともう店の場所も変わっているのだけど、やはり落ち着く。しばらく行ってなくても、なんかその場所があるというだけで何か安心できる、そういう店。そういう場所はなかなかいつまでもは残らないものだから、私にとってこの店があるということは本当に嬉しい、ありがたいことなんだと思う。

早めに切り上げてビックカメラへ。取り留めのない話をしながら、あの地震の揺れのことを話す。私はそのとき東京にいなかったので、『その揺れ』を経験していない。田舎にいて、確かに普通でない大きな揺れではあったけど、でも「きっと遠くで大きな地震が起こっている」と考えるくらいの心の余裕があった。さいたまの妹に聞くと「この世の終わりかと思った」と言っていたので正直驚いたが、町田のネット友達にも7日の地震で3月11日の恐怖が蘇った、と言われて、やはり相当な恐ろしさだったんだなと思った。今日会った友人にも、地面が斜めに見えたといわれてちょっと驚いた。一体どんな揺れだったんだろう。経験しなかったことが残念な気がしてきた、といったら地震後の私の家の惨状をネットで見て知っている友人にあなたが東京にいたら死んでたよ、とぴしゃりといわれて黙るしかなかった。いや実際、静岡だったか地震で本棚の下敷きになって亡くなった人がいたから笑い事ではない。ホントどうなっていたことか。

Secular Choral Music / Figure Humaine
ニューロンドン室内合唱団
Hyperion UK

有楽町駅で友人と別れ、私は銀座に戻る。教文館で本を少し見て、山野楽器へ。地震のあとやらなくなっていた店頭のデモが再開していた。サッチモのだみ声のワンダフルワールド。二階に上がり、めぼしいクラシックのCDを探す。朝6時台のFMが「バロックの森」から「古楽の楽しみ」に代わってしまったので最近バロックを聞かなくなっていたこともあり、プーランクの世俗曲集を一枚買った。なんだかんだといっても何年も朝に無意識にバロックを聞いていると聞かないとさびしくなってくるものだ。

SMILE―フォトグラファーが大事にしている194のことば
雷鳥社

歩行者天国がそろそろ終わりかけていて、四丁目の交差点を渡ってブックファーストへ。本や雑誌を物色して、「居心地のいい部屋」にするためにどんな本があったらいいか、みたいな観点で本を選び、『SMILE』(雷鳥社、2011)という写真集と大河原遁『王様の仕立て屋』30巻(集英社、2011)を買った。『王様の仕立て屋』の中扉がヴィレッダとコンスタンツェとベアトリーチェの「美人時計」なのにはちょっと笑った。

王様の仕立て屋 30 ~サルト・フィニート~ (ジャンプコミックスデラックス)
大河原遁
集英社

***

朝は9時過ぎに小学校に行って投票。今回は真剣にドクター中松に入れようかと思ったのだけど、やはり状況を脅かすことは出来ないだろうと、渡邊美樹に入れた。石原が勝つだろうということはまあ分かってはいたが、今回は石原に入れる気はなかった。石原のどこが悪いのかというツイートをみてそういえばどこだったカナと考えてみたが、自分としては一つには五輪招致で建て直される歌舞伎座のデザインにいまの瓦屋根の雰囲気を一部残すことに「あんな風呂屋みたいなのはダメだ」とクレームを付け、松竹が設計変更を余儀なくされたこと。彼はやはり、伝統文化に対する理解というものに根本的に欠けているところがあるんじゃないかという気がする。もうひとつは築地市場の問題かな。豊洲に移転を強行することには私はもっと慎重であっていいと思う。もう一つは、五輪招致に固執することだろうか。もう東京にそんな大きなイベントはいらないというのが本音。あとはマンガ規制の都条例をめぐる問題とか原発擁護発言とか物議を醸すことは例によってまあいろいろ出てはいるが、そのあたりは落ち着くところに落ち着くだろうしあんまり心配していない。

東国原はまあ正直結構ですと言う感じだし、渡邊も郁文館の理事長として現場と相当軋轢を起こしているということなど疑問もなくはないのだけど、まあどうせ石原が当選だしなと思って批判票として渡邊に入れたというのが正直なところ。共産党に入れるのはやはり最後の手段にしたいしドクターにいれてもいいんだけどやはりということでそうなった。

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別冊少年マガジン 2011年 05月号 [雑誌]
講談社

昨夜上京。帰りに地元の文教堂で『進撃の巨人』の4巻の続きが読める別冊マガジンとビックコミックの新しい号を買って帰った。マガジンは『進撃の巨人』以外特に読みたいと思うのがなくて困ったのだけど。絵がみんなアニメ絵だし。ツタヤによって池脇千鶴のでている『ジョゼと虎と魚たち』を借りて帰る。

ジョゼと虎と魚たち(通常版) [DVD]
犬童一心監督作品
アスミック

夜のうちに『進撃の巨人』は全部読み、ビックコミックも読んでる作品は全部読んだ。『ジョゼ』は少しずつみている。いまのところ池脇千鶴はいつもの演技っぽいな。巧いんだけど。朝はたまたまつけたテレビでやっていた「プリキュア」を見て感動する。いまの日本のアニメはレベルが高いなあ。「日曜美術館」の岡本太郎を見たり。なんかメッセージ性の強いものばかり見てるな。

神的批評
大澤信亮
新潮社

きのうはずっと大澤信亮『神的批評』の北大路魯山人のところを読んでいて、かなり自分のことを振り返ってしまった。美の眼力を持つ人のタイプを白洲正子タイプと魯山人タイプに分けるとしたら、「捨てるための芸術」である恵まれた育ちの白洲よりも自分は「得るための芸術」である魯山人のほうが近いだろうなということを思いながら読んでいた。自分が白洲正子に引かれたのは多分そういう理由だなと思ったし、最近なかなか読む気がしないのも同じ理由なのかもしれないなと思う。

***

それにしても、流れや雰囲気というものをつかみ、生かすということは大きなことだなと改めて思う。石原の当選は、この震災という雰囲気の中で安定感と実績のある人を知事にと多くの都民が思った結果だし、石原はそういう雰囲気を敏感につかんで公務に精励していた。他の候補がふがいないと思ったのは、そういう姿勢の石原に結局真正面から切り込んでいく候補がいなかったということなんだろうと思う。もう最初から不戦敗という感じになっていた。

震災以来、いろいろな動きがあって、一つには大きな雰囲気とか流れを作り出そうという動きで、もう一つはそういうものに疑問を呈する動きだ。前者の方は被災地支援を呼びかけたりエールを送ろうとしたり、また逆に原発は危ないぞという流れを作ろうとしたり、いわばアクセルを踏む動きだ。。それに対して、がんばれといわない方がいいとか、やたら危ながる人に冷静になれと呼びかけたりするとか、そういう動きをとどめようといういわばブレーキをかけようとする動きもある。

その両方がタイムライン上にもブログとかにも現れていろいろ面白いのだけど、私はこういうときには「雰囲気を作ろう」という流れの方に共感を感じることが多い。あんまり変なネタには乗る気がしないけれども、災害に立ち向かい復興への思いを強めようとか、被災地にも被災地以外の人の心にもシンプルに「上を向いて歩こう」といううたを届けようとするサントリーのコマーシャルとか、誰もが原発に対して物言えば唇寒しになる傾向があるところに「みんなウソだったんだぜ」といってみたりする齋藤和義とかのメッセージには面白いと思ったり感心したりないしは感動したりする。

それが雰囲気に乗っかるだけで満足する人たちを大量に生み出すだけなら大して意味もないのだけど、そういう雰囲気というものが本当にそういう力を生み出していくということをやはり私は感じるし、逆に言えばそういう雰囲気がないとなかなか動きが生まれないのが現実だ。だから私はそういうものを批判するよりも、そういう多少情緒的ではあるけれどもポジティブなムーブメントを起こそうとすることに対しては基本的に肯定的にとらえている。

それはたぶん、私が経営的な視点というか、どういうふうに日本を持っていくべきかとか、自分の会社をどういう方向に動かすかとか、自分のクラスをどういうふうに雰囲気作りをするかとか、自分の劇団をどう盛り上げるかとか、多分そういうことを考える機会が多かったし結構根がそういう人間だからなんだろうと思う。

一人一人のことを考えれば確かに、本当に落ち込んでいるときに励まされるのは嫌だというのは十分理解できるしまた自分の哀しみを安易に共感・共有されたくないという思いだってもちろん分かる。でも人間はひとりで生きている存在ではないから、そういうものを胸にしまって前向きに動かなければいけない時だってある。いまがそのときなのかどうか、それは一人一人の、あるいはその場所その場所によってひとことで言い切れるようなものではないのだけど、もう動き出さなければいけない人たちがいることだけは確かだ。まだ動けない人たちは確かに、「頑張れ」というメッセージは辛いだろう。でも、動かなければならない人たちまでもがいつまでも動けないでいることはあまりいいことではない。だから、最大公約数的にポジティブなメッセージが送られることに対する違和感も分かるのだけど、私自身が多分そうだからなのかもしれないけど、立ち上がらなければいけないというメッセージは今とても重要だと思うのだ。そのときに真摯な「上を向いて歩こう」というメッセージはとても心に届く。でもそれに、すべての人が共感することもないし、まだ立ち上がれない人々に心を寄せる人もまた必要だし尊いことだと思う。

「上を向いて歩こう」という言葉に対するある人の思いに私自身が違和感を感じたということを伝えたことについて、その方が書かれていたことはとても正当だと思ったし、でも自分の違和感もまた正当だと思っていて、それをどういうふうに考えればいいのかと思ったのだけれども、なんとかこんなふうにまとめて見た。立ち上がる時期も速度も人によって違う。それが人間というものだ。でも世の中の流れとか雰囲気というものは一人一人に合わせられるものではないから、そこにどうしても矛盾や軋轢が起こる。でもそれを必要以上に恐れてはいけないんじゃないかなと私は思うし、でもそれに乗り切れない人が必ず出ることへの思いを忘れてはならないのだと思う。

"思いを伝えること/『その揺れ』を経験したか否か/バロックから古楽へ/石原に投票しなかった理由/プリキュアとか魯山人とか/『上を向いて歩こう』考"へのコメント

CommentData » Posted by ECひろし at 11/04/11

こんにちは。
もし今日のブログの後半部分が僕に対するものでなければ、大変見当違いなコメントになることをまずはお詫びしておきます。その場合はお手数ですが、未承認でお願いします。
なんかおもわぬ変なことになってしまって、貴重なお時間を煩わせてしまいごめんなさい。

kousさんのブログを長いあいだ拝見していますと、僕などよりうんと勉強なされていることは一目瞭然で、そんなkousさんのことですから、あらゆることを全部承知の上であえていろいろなご意見を書かれているのだということはよくわかるのです。今日のブログの内容も、とても心に沁みるよいものでした。

「がんばろう」とか「上を向いて歩こう」に関しても、kousさんのおっしゃることはとてもよく理解できます。もとより異を唱えるつもりもありませんし、その流れにブレーキをかけようなどと思い上がったことを考えているわけでもありません。「世の中の流れとか雰囲気というものは一人一人に合わせられるものではないから、そこにどうしても矛盾や軋轢が起こる。でもそれを必要以上に恐れてはいけないんじゃないかな」というのもそのとおりだと思います。そのとおりどころか、きっと、大勢の方はkousさんのように考えるのだろうなあと思います。
まあ僕はそういうことを必要以上にビクビク恐れる人間ですし、昨日もそうでしたが、つい暇に任せてテレビなどで、あの日幼い子どもを失って1ヶ月経ついまも子どもらを捜し歩いている若い夫婦の映像などを見すぎているということは絶対ありますね。それも問題です。

えらそうに自分の意見を振りかざして誰かを納得させようとか不遜なことを思ってるわけじゃありませんが、さいわい僕は為政者でも組織の長でも教育者でも言論人でもありませんので、なんというか、その矛盾や軋轢によってこぼれてしまうひとりひとりの人にせめて世の中の片隅でそっと寄り添ってものごとを「考える者」でありたいなあとは思っています。そういう意味で、僕もout of石原に投票しました。
ああやっぱりエラソーな物言いになってしまいましたね。(笑)

あのー、きっとkousさんなら、もっと理詰めで合理的に僕のような立場のものを論破できるでしょうに、つとめて穏やかにあたたかく引き受けてくれて感謝しています。ありがとうございます。

CommentData » Posted by モエル at 11/04/11

『SMILE―フォトグラファーが大事にしている194のことば 』
表紙の女の子がむちゃくちゃ可愛いですが、よくみたら、これは
”田辺のつる”じゃありませんか!?絶対安全剃刀の。

CommentData » Posted by kous37 at 11/04/11

>ECひろしさん

私はどうも本当には気が回らなくて、まず表現してしまってからでないと自分が何を言いたいのか分からない、ということがよくあります。言ってしまってからしまったということになるのですが、今回もまたそういう未熟な物言いでご迷惑をかけてしまってすみませんでした。ツイッターというのは思ったことをそのままいえるのだけど、何が思ったのか分からないまま言葉だけ出してみるというには向かないメディアだなと思いました。今回、ひろしさんが受け取ったことをきちんと書いてくださったのでそれに対して自分が何を言いたかったのかも理解することが出来、ブログに書くことができました。ありがとうございました。私はいろいろ舌っ足らずなわりに言葉が鋭いらしく、人を怒らせたり悲しませたりすることが多くて回りの人たちにも散々注意されるのですがなかなか上手く行かないところがあります。今回はちゃんと受けてくださったのでこちらも意を尽くすことが出来、整理も出来た気がします。私は書きながら喋りながら自分の思想というか考えを形成するタイプらしく、こうやって対話に付き合っていただけると本当にありがたいです。ご迷惑でしょうけれども…

小泉前首相のワンフレーズポリティクスのように、ひとことでバッと心をつかめるようなフレーズが反射的に発せるとツイッターでも十分に意を尽くせるのですが、まだまだ修業が足りませんね。

流されて行方不明になった子どもを捜す夫婦とかの映像を見ているとどんな言葉も意味を持たないという気持ちになってしまうこともあるのですが、でも、人は生きていく、生きていかなければならない、という側に立つしか自分には出来ないなと思うのです。その中で、「何にも言わなくていいよ、分かっているから」、と、言葉にしないまま、笑顔で明日のごはんの話をする、そんな行き方が貫けたらいいナとも思うのです。

CommentData » Posted by kous37 at 11/04/11

ここにコメントを入力>モエルさん
「たなべのつる」かあ。なるほど。私はベタに麗子像っぽいなと思ったりしたんですが。(笑)でもかわいいですね、子どもらしくて。

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