毎日書くか書かないか/「世界観」を打ち破れ

Posted at 11/03/06

毎日必ず更新するという事実上の縛りをなくしたらなかなか書かなくなってしまい、それはそれで言葉や概念より事物への接近を促進しているようなところもあり悪いだけではないのだが、しかしものを書く習慣そのものは途切れがちとなって、ものを書く勘のようなものが少しなまることはある。しかしいつもと同じように手際よく書いてしまうという悪癖もそこで途切れると言うこともあり、毎日書く/書かないは一長一短、帯に短し襷に長しという感じだ。

金曜日にものすごく疲れる仕事が一つあって、土曜日にもそれから回復していなかった。一つ大変そうなのはあったのだがそれはそうでもなく済んだ。逆にずいぶん暇になってしまって、それはそれで調子が狂ってしまったところもある。7時前の特急で上京したが、小淵沢の先の日野春という駅で2時間以上停車。下りの貨物列車に故障が発生して、その点検や修理で膨大な時間がかかったらしい。おかげで新宿に着いたのは11時半くらいになってしまい、飯田橋で急いで乗り換えて東西線の最終にようやく間に合って帰ってきた。全く災難だった。

特急の中で本を二つ読了。ひさうちみちお『マンガの経済学』と小山登美夫『現代アートビジネス』。両方ともとてもためになることが多く、いい本だったと思う。

現代アートビジネス (アスキー新書 61)
小山 登美夫
アスキー・メディアワークス

特に『現代アートビジネス』は、現代アートをコレクションすることについてすごく具体的な身近なアドバイスが多かったような気がする。私は友人の作品を中心にときどき絵を買っていたけれども、もっと積極的にギャラリーに行って手ごろな値段のものをプライマリマーケットで意識して買っていくといいなあと思った。アートシーンを作るのは画家だけではない、アーチストとして参戦するだけでなく、ギャラリストやコレクターとして参加するのもまた楽しいと思わせてくれた。

マンガの方法論 マンガの経済学 お金とマンガの不思議な関係 (コミック)
ひさうちみちお
朝日新聞出版

『マンガの経済学』はいろいろ創作というものについて考えさせられた。それがすごく地に足がついている感じの発想で書かれていて、関西人だなという感じがした。マンガは「おもしろさ」が大事だ、というのは当たり前のようだが自分で書いていると案外見落としてしまうことで、また「リアリティ」と「オリジナリティ」がなければいけない。小説とかだとリアリティとオリジナリティがあればそれでいいと思われがちだけど、やはり小説にも「おもしろさ」は必要だという風に私は考えていて、なんていうか自分が書きながら悟った(?)ことと同じことがひさうちも言っていてなんだか心強く感じたりしていた。そして、リアリティとオリジナリティとおもしろさはとても密接に関わっている。リアリティがなければおもしろさはない、というひさうちに主張は私も大いに同感だ。荒唐無稽なら荒唐無稽なりの妄想のリアリティというものがある、という主張にもとても私は共感した。

「マンガを描くことというのは、自分の繭を作ることではない」という主張は、全くそうだと思う。「でも若い人は、どうも好きな作家そっくりのマンガを描くことで好きな作家と同じ繭に入り、そこだけで生きていきたいと思っているふしがあります。すごく閉じた世界が好きなんですね。彼女たち、彼らはそういう「閉じた世界」の中にある共通の空気とか雰囲気みたいなものを「世界観」とかいうんですが、意味分かりませんでしたねえ。(64ページ)」

このあたりなんか全くその通りで、なんか改めて私がここに書くのが馬鹿馬鹿しい気がしてくるくらいでみんなこの本読んでくれよという感じなのだけど、もう全くその通りだと思うし、そしてそういうことをこれだけのほほんという雰囲気で言われるとこぶしを振り上げる気もなくなる。

私もこの「世界観」という言葉がわけが分からなくて、というのはもちろん、私がもともと西洋史をやっていてどうしても「パラダイム」という概念から逃れられないからよけいこの二つの言葉のあいだにある無限の距離と表面的な類似性に苦しまされたということなのだけど、若者が使っている「世界観」とは「閉じた世界の中にある共通の雰囲気」である、と言われればなるほどそういう排除の論理かと思うわけで、まあそういうものは若いうちはみなそれなりに、もちろん私や私の周辺にだってあった。でもやはりその先の普遍性がほしいということはみな思っていたわけで、それを望まないということが今の若者の特徴なんだろう。「世界観」なんて大袈裟な言葉をそこに使ったりすることはわれわれの若い頃には考えられなかった。考えてみれば「王」だとか「鉄人」だとか妙に大袈裟な言葉があるころを境に急に使われるようになった感じがするのだけど、それもまた同じような閉じた世界の中でのつまらない言葉の遣いまわしなのだと思えばなるほどなあと思う。その「世界観」の世界を破いて、外に飛び出してくるような才能が出てくるとよいとは思うが。

「閉じた世界で生きたい、という願望もまた、時代特有のものだとは思います。」ひさうち先生は何でもそうやって肯定してくれちゃうので、なんだか自分の気持ちに濃淡がつけられなくて困ってしまうのだけど。でもまあ全くその通りで、こういう「閉じた世界」の全盛時代がいつまでも続くとは限らないなあと思う。あるいはグローバル化直前の最後の仇花のようなものなのかもしれない。

しばらくアマゾンのリンクをはってなかったけど、今日はためしに復活してみる。どういうものが自分の書くべきものなのか、書きながら修正していくのが可能かどうかよく分からないが書くことは自分にとって必要なことだと思う。

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