冴ちゃん/もし才能というものがあるとすれば
Posted at 11/03/04 PermaLink» Tweet
今朝は大分冷え込んで、久しぶりに水道が凍結した。3月に入ってからこんなに寒いことはあったかなと思う。雪が降った記憶はあるけれども、冷え込み方としてはあまり記憶にない。夜寝る前外を歩いて空を見上げたら星空はだいぶ冬とは変わってきていて、11時過ぎだったけど、もうオリオンの姿は見えず、おおいぬも西に傾いて、獅子座がほぼ南に見えていた。私の星座なので、獅子座は何か懐かしい。南の空に大きく広がっているのを見ると、なにかすうっとする。季節は少しずつ回っている。
人が生きるということについて考えていたのだけど、ふと『ピアノの森』の単行本を読んだ。『ピアノの森』は長大な連載で、登場人物は多く、主要な登場人物はほぼみなピアノに関係してくるのだが、二人だけそうでない人がいる。一人はカイの母親のレイちゃんだが、この人は明らかに物語の骨格に重要な役割を果たしていることは当初からよくわかる。しかしもう一人の登場人物、冴ちゃんはどのように位置づけていいのか、読んでいても中途半端だった。最初に冴ちゃんの出て来る9巻73話から10巻80話までを読んだとき、正直退屈だった。しかし連載の中ではヤングマガジンアッパーズでの連載(1998年~2002年)のラストを飾り、第一部の終わりという位置づけになっている。7巻までの小学生編、8巻58話から9巻72話までの雨宮との再会編にくらべて、冴ちゃんの話は何を書きたいのかよくわからないところがあった。
冴ちゃんはカイより2つ年上で彫り師で車に乗ってて絵を描いている。マリアのピアノを聞いて、マリアが森でピアノを演奏している様を想像し、それを絵に描いた。そしてそれを自分の家で見せた夜に、マリアの衣装を脱いだカイと恋人同士になった。そして恋愛にありがちな行き違いがあって最後にカイと一緒に暮らし始めるところで第一部が終わる。このあたり、作者も単純にストーリーの先が見えていなかったのか、それとも何か大きなものが隠されているのか、がよくわからない。
今読み直し、この文を書いてみて思ったのは、冴ちゃんはカイの「本質の理解者」ということなのだろうかと思う。そしてカイの森のピアノの本質を見抜き、カイとともに生きて行く存在として描かれているのかと考えた。しかし81話以降で再登場してくる冴ちゃんはカイと一緒に住んでいることだけが描かれ、絵を描いているとか彫り師をしているとか車に乗ってるとかいうことは出てきておらず、性格が希薄になっている。冴ちゃんという存在をどうもっていくつもりなのか、あるいはそれ自体についても迷っているのか、そのあたりのところが見えて来ていない。そういう全体の位置づけのあいまいさが冴ちゃんという存在をどう読んだらいいのか戸惑わせるところがあるのだと思う。
ただこの話は、カイの話であるとともに「カイのピアノによってすべてを変えられた」人たちの話でもある。雨宮修平、阿字野荘介、丸山誉子。少し小さくなるが佐賀武士、司馬高太郎。そういう意味では冴ちゃんもPクラでマリアのピアノの虜になったことでカイとの関係が出来たのだから同じなのだが、ただ冴ちゃんだけがピアノ関係者でないところが異色なのだ。そして存在として重要な割に彼女の背景にはあまり大きな闇が感じられない。大きな光もない。カイにとって救いになる存在としてレイちゃんとともに重要な存在だと思うのだけど、光と闇のコントラストが強烈なこの作品の中で、冴ちゃんの光はどうも淡く感じられてしまう。
もうひとりカイをめぐる重要な女の子が丸山誉子で、この子は小学生編4巻で出てきてからとても重要な存在だ。小学生編では技術はあるのにプレッシャーに勝てないヒステリックな女の子として出て来て、カイに出会うことで自分のピアノを弾く喜びに目覚め、その才能を開花させる。そして日本の音楽教育の教条性・精度偏重主義に対する強い反発を象徴する登場人物になる。彼女の背負っているものはとても整理されているしわかりやすい。分かりやすすぎるほどだと言ってもいい。
10巻81話から12巻99話まではストーリーの中心が誉子になっている。ここでの彼女は5年間カイを探し求め、同じくカイに魅せられた司馬という指導者と出会って才能を開花させるが、腱鞘炎というピアニストにとっては致命的な病を抱え、苦しみつつピアノを弾き続ける。この部分を読んでいて今日初めて気がついたが、このマンガの登場人物はカイだけでなく、重要な登場人物はみな地獄を、地獄という表現がきつかったら深い闇を抱えているのだ。主人公のカイは「森の端」の出身という一番深い、物語の構造に最も関わる闇を持っているからはっきりとわかるし、雨宮修平やその父の苦悩も分かりやすい。阿字野もスターピアニストだったのに大事故でフィアンセと左手の自由を失っている。脇役で言えば佐賀も音楽界の重鎮の子として生まれ阿字野に憧れてピアニストを志すが腱鞘炎で演奏者としての道を断たれ、韜晦した人生を送っている。深い闇の中に取り込まれ、その中で生きているカイの母・レイちゃんはいうまでもない。そしてそれと勝るとも劣らない闇を――ピアニストとしての現在と未来を左右しかねない闇を――誉子は抱えているのだ、ということに気がついた。
そして、これらの登場人物の抱えているさまざまな、それぞれに深い闇は、作者の一色まことによって生み出されている。これらの闇をそれぞれに描くことが出来るということは、それだけ一色がそれぞれの闇の中を生き、それぞれにとっての光を体験し、その双方を引き受け、天上と地獄のそれぞれをこの現世に送りだしているということなのだ。これは実際問題として、相当大変なことだと思う。自分も物語を描いてみて、人の心の闇に踏み込んだ時の底なしの怖さのようなものには戦慄させられたし、それについてどう考えたらいいのか、いまだによくわからないところもある。それだけにこれだけの闇に言及し、そしてさらに深い闇を描こうとして行く一色のマンガ家としてのプロ根性、あるいは作家としての業のようなものにも戦慄させられてしまう。
そういう意味でのすごい作品を描いているマンガ家には他にたとえば『NANA』を描いている矢沢あいもいるし『日出処の天子』や『テレプシコーラ』を描いた山岸凉子もいる。この三人を並列で並べるのはマンガ史的に多少問題はあるが、見ている世界、描いているものには近いものがあるように感じる。そしてこの三者に共通するのは、(山岸はちょっと違うかもしれないが)休載が多いということだ。『NANA』は長期休載中だし『ピアノの森』もこのところは順調だったが今年に入って二カ月ほど休載になっている。(最後に掲載されたのが1月6日発行の6号で、次回掲載予告が3月17日発行の16号。もともと隔週掲載だから4回続けて休載になったことになる。以前はもっと長期の休載になることもよくあった。)正直、これだけのものを描くのは精神的な負担は相当なものだと思う。闇の深さと光の輝かしさ。ダンテの『神曲』以来、そのコントラストを描くことは物を作る人間の永遠のテーマだと思うけれども、生身の人間のやることとしては限りなくたいへんなことだと思う。
それはなぜ大変なのか。まずその闇の深さに心を浸すこと自体の負担がある。作品として描くためにはその世界を知らなければ(書くことすなわち知ることだが)ならないが、知ることによって人の心は確実にその闇に侵され、力を奪い取られ、傷つき、下手をしたら帰って来られなくなる。5分も10分も水の中に潜っているようなものだ。それは訓練によって(書き続けることによって)向上する能力でも多分あるが、常に生き死にの危険と隣り合わせであることは言うまでもない。そしてそれはフラッシュバックという形で後遺症も生む。『NANA』のある個所を読んだ時もそうだったが、『テレプシコーラ』の千花の死んだところを読んだときは、しばらくこの世に帰って来られないような感じがした。読んだ方でさえそうだったのだから、増して書いた人間の受けたダメージは想像を絶するものがある。しかしそれでも作家は書き続けるわけで、そこには業としか言えないものがあるだろう。
しかしそれと同時に、しばらく休みたい、あるいは休まなくては続けられない、ということになるのもとてもよくわかる。作家の唯一の資源は「こころ」なのだ。こころが痛み、ぼろぼろになっているときに、それでも書き続けていたら生き死ににかかわる。それでも、上にあげた作家がみな女性であることからわかるように、そういう作家は本当に強い人たちだなと思う。本来的に痛みに耐える力を持っている人でなければ、こういう仕事は続けられないのだろうなと思う。
そう、作家の唯一の資源は「こころ」なのだと思う。もちろん技術がなければそれをうまく伝えることはできないし、またそれをうまくプロデュースしたり世に送り出したりする手助けも必要なのだが、結局は心の中から何をどう汲みだしてくるかということに尽きるのだと思う。
そしてその「こころの資源」というものは、多くの場合、人間が誰でも多かれ少なかれ持っている、「闇」なのではないかと思う。私がともにやっていた演劇の演出家が「芸術家というのは人が苦悩しきれない苦悩や悲しみ切れない悲しみを他の人の代わりに苦しみ、ほかの人の代わりに悲しむことが仕事だ」というようなことを言っていた。世間で生きている人たちは、苦しみや悲しみにいつまでもかかずらわっていられないから、そこを適当に切り上げて次に行く。でも十分に悲しまれなかった悲しみや苦しまれなかった苦しみは亡霊あるいは幽霊(いっしょか)のように宙を漂い、そのままでは浄化されることはない。しかし芸術家の作った作品を読むことで、あるいは見聞きすることで人はその悲しみや苦しみを浄化させることが出来る。作家というのはそういう意味では癒しをあたえる治療家的存在であり、ある種の霊能者と同じような存在でもある。そして人はこころの仕組みを再強化し、前に向かって進んで行くことが出来る。
だから芸術家、あるいはものを書く人間は、苦しむことは必須だ。その書くものが人の持つ苦しみや悲しみの普遍性により肉薄しているからこそ、読む人の心に届く。そしてその心をより光に満ちた場所に連れて行くことが出来る。光は闇があるから光なのであり、光の中にいたらどんなに明るい光も普通の存在にすぎないだろう。
才能というものがあるとしたら、もちろん技術的なものもあるけれども、そうした光や闇を持っていることそのものが大事だろう。それが書くべきもの、描くべきものであるはずだ。人の心の中には、そうした光や闇が無秩序に混沌としてある。しかしある作品を読むことで、まるで磁石が砂鉄を一列にしてひきつけるように、心の中に秩序が生まれる。そしてその秩序によって、人は正常なルートに引き戻される。どういう秩序かはともかく、すべての優れた作品はそういう磁力を持ったものであることは確かだ。
もし自分に才能というものがあるとしたら、それは自分の中に深い闇を持っていて、そしてそこからは抜け出さなければいけない、という意志を持っていることそのものだと思う。その意志は秩序を生む。そして自分の中に生まれた秩序は、自分の中の方位磁針を一つの方向に向けるのと同時に、近くの人々、その作品を読んだ人の心の中の方位磁針も確実に一つの方向を向かせる。それが人を動かすかどうかはともかく、それだけの力を持たなかったら作品とは言えないだろう。逆説的な自信になるが、そういう意味では才能というのは持っていても別に誇れるものとは限らないということも言える。結局生きることの、生きようとすることの方向性が、そういう手段を取らざるを得ない人であると言うだけのことでもある。
苦労のない人生はない。当たり前すぎることだけど。「泣かない女はいない」という曲があったが、それもまたそういうような意味かなとふと思った。
「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろずのことの葉とぞなりける」と書いたのは紀貫之だが、すべての文章芸術は結局のところそういうものなんだろうと思う。
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