ダメ男のキモさをこれでもかと突きつける/本を読むことは世界を変えること
Posted at 11/02/19 PermaLink» Tweet
昨日から佐々木中『切りとれ、その祈る手を』に熱中していて、ずっと読んでいる。構成としては5部から成り、第一夜「文学の勝利」、第二夜「ルター、文学者故に革命家」、第三夜「読め、母なる文盲の孤児よ――ムハンマドとハディージャの革命」と読み進めている。今第三夜の途中で、106/212ページ。全くちょうど半分のところまで読んだ。
並行して読んでいるのが3冊あって羽生善治『大局観』78/234ページ、こちらはほとんど進んでない。フィリパ・ピアス『真夜中のパーティー』は「牧場のニレの木」を読み終わって「川のおくりもの」に入った。「牧場のニレの木」は男の子って馬鹿だよな、みたいな話で可笑しいのだが、「よごれディック」ほどの衝撃はない。
文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌] | |
文藝春秋 |
もう一つは『文藝春秋』3月号所収の西村賢太「苦役列車」なのだが、ようやく読了した。まさに苦役だった。(笑)読み始めたころは何というか突き抜けた明るい感じもあって、昔の私小説のような苦いものでなく、ポップなところがいいかなと最初は思っていたのだが、結局ざっくりと深い傷みたいなものを押しつけられちゃったという感じがした。ダメ男なりの開き直り、でどんどん行って吾妻ひでお『失踪日記』みたいなめくるめく世界が展開するのかと期待したのだけど、キモいものを生々しく鼻先に突きつける、みたいなうわあっという感じがあって、そういう露悪的なものを調子に乗って書いているようなところが作者なりのサービス精神なのかなという気もするのだけど、スカトロジズム的な傾向がまんまだとちょっと勘弁してほしいという感じが正直した。キモい、という呪詛交じりの言葉がどうもふさわしいとしか言えないところが何かあるなあと思う。
西村賢太は読み手をげんなりさせる天才だなと思うのだけど、しかし彼の書くダメ男のキモさというものが、男ならだれでも持っている部分もあるなというふうにも思った。具体的にどの描写が、ということではないのだけど。
ただ、広く共感できる普遍性があるなという感じが中盤ではしていたのだけど、これでもか、これでもかと重ねていくダメさ加減と終盤に来て特に際立って来る強烈な劣等感を読んでいると結局これかという辟易した感じになってしまう。日下部と美奈子の「イマドキの大学生の典型」みたいな会話を読んでいるとこれは主人公の劣等感大刺激だなと思いつつ、なんかいい気味という感じさえして来てしまうので、読む側の人の悪さをあぶり出しにするのが狙いなのかと思ったり。美奈子の描写のところでまるっきり魅力がないという感じに悪罵しているけれども、この二人の会話を読むとそれなりに魅力もあるように感じられ、本当はけっこう美人なんじゃないの?という邪推?もしてしまう。ちょっとそういうところは困ったなという感じがあった。
あと、どうも腑に落ちない違和感があったのは主人公の「ぼく」という一人称で、これはなんだろう、もともとの育ちのよさみたいなものをあらわそうとしているのだろうか。ちょっと不思議な感じがした。
まあ全体にある意味うまく書けていると思うけど、上手いだけに余計いやったらしい感じがあって、でもぬけぬけとしたひょうきんさというかとぼけた味わいもあって、なんか見るからに近づきたくない感じ。(笑)芥川賞を取らなかったら読もうとは思わなかったことだけは確か。
でも最初にあったように、「どんなにダメでも生きてしまう人間というもの」に対する感慨は全くその通りだなと思う。前も書いたが私も15歳のときに「この現代という時代の日本では、人間どんなふうにしたって生きていくだけなら生きていけるんだ」と思ったことがある。でも、だからこそ「やりたいこと」や「目標」というものを持って生きなければ何もしないうちに年を取り、結局何もできなかった、ということになってしまうんだ、とはなかなか思えなかった。そう思うようになったのはかなり年を取ってきてからのことだ。だから主人公がせっかくプラッターとフォークリフトの免許を取るチャンスを与えられたのにそれを辞退してしまうというわずかな上昇の機会さえ放棄してしまうのを読むとひときわやれやれと思ってしまう。日本に来ていたり都会に出てきたりした中国人や韓国人なら目の色を変えてそれに取り組むだろうにと思ったり、この主人公のようなわずかなチャンスをみすみす逃す現代の日本の若者のことを思ったりしてしまう。
まあある意味「下流社会」はなぜ下流になってしまうのかという一つのケースの描き方として面白いなとは思う。そうならない人とどこが同じでどこが違うのかとか、まあそういう読み方もできる。
***
切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 | |
佐々木 中 | |
河出書房新社 |
佐々木中『切りとれ、その祈る手を』。なんか内容をまとめてしまうと陳腐になるので、断片的な感想をいくつか書いてみようと思う。第一夜では本を情報として処理して行くという姿勢の思想家たちを批判していて、あとで気付いたがこれはある意味東浩紀などを強く意識して批判しているんだなと思った。ただ、具体的な誰かというわけではなくてもすごくそういう危険をアカデミズムというものは本来的にはらんでいるということは言える。本を読むということは本来狂ってしまいそうになるくらいの危険をはらんでいるものなのだということを何度も強調している。
そういう内容を読んでいて私がすごく共感を感じたのは、すごい内容が書かれていると自分には思われる本を読んでも、結構みんな平然としているということについての違和感を持つことが多いからだ。これ読んだらそんな平然とした反応はできないだろう、という。また、大学院に行っている時も英語の本を読んでレジメにまとめるという時にすべての文章が語りかけてきてしまうような気がしてまとめるにまとめられなかったということがあった。他の人の(別の本だけど)まとめを聞いていると実に手際がいいのだが、でも全然心に残らない。心のこもらないレビューなんて聞いても何の意味があるんだろうと思う。でも今考えてみたらあれは情報として処理していたんだなと思う。そういうことが私はやはり基本的にあまりうまくない、というか好きではない。学者というのは情報処理業者ではないと思う。
そうそう、「準拠の恐怖」というのも私はよく感じる。「自分にはこうしか読めないのに、人はどうもそうは読んでない、そういうところは重視していないようだ」、と感じること。私がブログに本を読んだ後書いているのはだいたい「自分にはこうしか読めない」ということをなのだけど、それがいったいどう受け取られているのか、あるいは自分の読みが本当に正しいのかどうか、すごく不安になるということはよくある。まあ実際には最近はけっこう予防線を張っていて、読みながら並行して他の人の言及を読んで、ああ、こういう読みもあればああいう読みもある、でも自分はこう読むね、ふふん。みたいな感じで読んでいるのだけど、それは考えてみたら補助輪をつけて自転車に乗っているようなものかもしれない。情報として処理するならそれでもいいが、補助輪に頼って読んでいると屹立した読みが出来なくなり、文字通り「眼光紙背を射抜く」力が養われないな、とその部分を読んで思ったのだった。
なぜ小説を書くのかと言われて小説を読んだからだと答えた人がいるらしいけど、確かに読んだら書かざるを得ないところがある。読み、そして書くことによって我々は常に自分の世界像を更新している。今見えている世界は、常に最終更新のあとの世界なのだ。そして昨日世界がどう見えたか、もう分からなくなってしまっている。ツイッターで三日前のタイムラインを読むが困難なように。
第二夜はルターについて、第三夜はムハンマド(マホメット)について書いているのだけど、私はルターについての記述の方が面白い感じがした。端的に、ルターという人はきっとそういう人だったんだなと思えた、ということだと思う。ムハンマドについては、まだ読みかけだからかもしれないが、本当にそういう人だったのかなという気がどこかにある。ルターについての書き方は、すごくルターに寄り添っている感じがして、まるで小林秀雄が本居宣長について書いているのと同じようだという気がした。ルターについて、こんなに感動的に描けると言うだけで、十分この人は才能だと思う。
いずれにしても、徹底的にテキストに準拠して行くことで、あるいは準拠した研究を読んで行くことで、これだけ触感のあるルター像を描けるんだなと言うことは思った。また、テキスト(聖書)を読むことで大革命(宗教改革)をなしとげたという佐々木の主張は十分説得力があると思った。
途中のまとめみたいになるけど、この本は、生き方を問い直されているというか、そういうとてもラジカルな感じがして、人間の芯に息を吹き込まれているような感じがする。世界は常にひっくりかえせるんだ、それも暴力なしに、というテーゼの持つ魅力はすごい。特にものを書いたり、ものを作ったりしている人間が、自分が作っているものが「世界を変える可能性のあるもの」としてとらえられるかどうかというのは全然違うことだ。
つまりこの人は、現代にあって全くオタクではない。今この時代を生きるのは、オタクとして生き延びるしかないのかと知らず知らずのうちに思い込まされていたようなところがあったように思うけれども、そうでない生き方は今もなお出来るんだと思えたことが一番の収穫だと思う。最後までしっかり読みたいと思う。
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