小物ぶりの面白さ/佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』は個人的にすごく面白い/結んでしまった紐を一つ一つほどいていくような作業
Posted at 11/02/18 PermaLink» Tweet
昨日。色々懸案が片付いて、だいぶ気持ちが楽になった感じ。仕事は10時まで。帰宅して夕食、母の活元運動の後ろにつき、入浴、就寝。
真夜中のパーティー (岩波少年文庫 (042)) | |
フィリパ・ピアス | |
岩波書店 |
本は少し読めた。フィリパ・ピアスの短編集『真夜中のパーティー』(岩波少年文庫、2000)の最初の二本、「よごれディック」と「真夜中のパーティー」。「よごれディック」は何というか、衝撃を受けた。こんな面白いものを読んでなかったのか、という感じ。ただ、子どものころの私がこれを読んで面白いと思ったかどうかは分からないな。今だから面白いと思う気がする。ディックのデリカシーがとてもいいし、「ぼく」のちょっとこまっしゃくれた感じも好きだし、メイシーじいさんの小物ぶりがこれでもかという感じで笑わせる。「苦役列車」も「小物物」だが読んでいてだんだん苦役に感じてくるけれども、このくらいの長さの短編でどうしようもない小物のじいさんが描かれているとちょっといい。こういうのはイギリス文学の伝統なのかもしれないな。描写が巧みだなと思う。「真夜中のパーティー」もある種のスリリングな展開があって面白い。そしてバカバカしい落ち。こういう「そりゃありかよ」みたいな落ちも、こういう使い方をすると面白いなと思う。こう書いてみると、やっぱりこれは子どもというより大人が読んで面白い、ウィットのきいた短編集だという気がするなあ。
切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 | |
佐々木 中 | |
河出書房新社 |
佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』。新進の思想家・批評家として急に名前の売れてきた佐々木中だが、ツイッターで勧められて読み始めた。16/212ページ。目次に言及されている概念が羅列されていて、この書き方は面白いと思った。私のブログの書き方みたいだ。いつもブログの題名をつけるときにいろんなことに言及しているけどどれを取り上げればいいんだろうと迷って適当につけているんだけど、こんなふうに羅列しておくとあとで何を書いたかがわかるし読む人にとっても参考になるなあと思う。こういうの面白い、というか自分では思いついたことがあるけど実際にはもっと題名っぽくしなければというところにこだわってしまっていたけど、この思い切りの良さはいいなと思った。岩波新書などでは小見出しという形で段落を切りながら見出しを立てるけれども、佐々木のような(私のブログのような?)文体だと一つのことに言及するのが短いセンテンスだけにとどまることがよくあるから、小見出しをつけて切るのも難しい。その点、この思い切りのよいやり方は星雲状態のものを星雲状態のまま示していて、でもちゃんとナビゲートしているわけで、なかなかいいなと思う。こういう要領のよさみたいなものは、どうも私は生理的に好んでしまうところがあって、ちょっとヤバい。
内容的にも自分に引きつけられるところがある。この人は1973年生まれだから順調に行ったとしたら1992年に大学入学、96年に大学院に進学ということになる。で、アレっと思ったのだが、私は実は96年から99年の3年間、同じ大学院に通っていたのだ。仕事をしながらだから週一回だったが、同じ時期に同じ研究科に在籍したのかと思って驚いた。であるならば同じ時期のアカデミズムの空気を吸っているということになる。西洋史の人たちは一言でいえば『エヴァンゲリオン世代』という感じで、こっちはその話についていけないというか、以前も書いたがエヴァというものを生理的に受け付けないところがあるのでわりと困っていたのだ。しかしエヴァを作った庵野秀明は私とほぼ同世代で、妙に気持ち悪い距離で近い感じもして困っていた。佐々木は「すべてのものについて気のきいたコメントを出来るようになる」教育として蓮実重彦に主導された時期の文学部教育というものを否定的に言及しているけれども、考えてみれば蓮実の時代でなくても文学部の講義とか演習というのはそういうものだったのだ。ただ我々のころはみんなあんまりまじめに授業に出ていなかったというだけで(笑)。私が院に行っていたころは本当にみんなまじめに大学に来ていてやはりちょっと別の世界のような感じがした。
それにもう一つは、私は歴史学科で、彼は思想文化学科だという違いもあるだろう。佐々木の書く思想文化学科の雰囲気はディテールとしての知的意匠をいかに身にまとうかということがすべてのような退廃した感じで描かれているが、これはまあ我々の世代、80年代のポストモダニズム以降のある特徴的なアカデミズムの在り方なんだろうと思う。それでもわれわれの時代にはまだその知的意匠をまとうことにある種の必然性、たとえばものを知っていたほうがモテるとか、そういう真摯な(笑)いや違うな、ある種のリビドーに裏打ちされたどうしようもない必然性のようなものを感じたけれども、どうも佐々木たちの世代にはその意匠をまとうこと自体が自己目的化している、つまり要するに完全にオタクになってしまった気配がある。歴史はまだ、人が生きることの必然性みたいなものを常に考えていかなければならないある種の焦りめいた渇望というか、知は力なりというか、生きるための力をどうかして歴史からつかみ取りたいという蜘蛛の糸にすがる罪人たちのような焦慮が私などには常にあったけれども、エヴァ世代の優秀な後輩たちにはなかなかそういうものはなく、そういう意味では話は学生たちよりも全共闘世代の教授連との方が適(あ)ったものだった。
蓮実重彦という人は、ある種の衒学世界に人を迷い込ませる悪い魔法使いみたいなところがある人なわけだけど(まあカリスマ的な大学教授なんてみんな悪い魔法使いみたいなものだ)、我々の世代のときにはまだ一介の教授で年間映画を100本以上見ることを条件とするゼミを主宰するような人だったが、学部長とか学長とかの声がかかってからは文学部をそういう魔法使いの国にしてしまい、「それ知ってるよ、これこれこういうことでしょ、それってそういうものに過ぎないね」的な脊髄反射に長けた善良な子ブタちゃんたちを大量生産する仕組みを作ったということなんだろうな、と佐々木の文章を読んで可笑しかった。はっきりいって、80年代はそれでモテた。私はそういうのはそんなに得意ではない方だったけど、まあ門前の小僧くらいの応用を利かして多少は余禄に預かったと言ってもいい。(あの時代は知的欲求と性的欲求は確実に入り混じっていた・笑)でも90年代や00年代はそれでモテるのだろうか。いや、モテるということ自体がもうあんまり関係ないのかもしれないなという気がする。自己目的化しているのだとしたら。
そういう意味で佐々木がオタク的なアカデミズムを否定する気持ちはとてもよくわかるし、オタク一般に対して否定的になるのもわかる。オタクを肯定する現代文化の旗手たち、東浩紀や村上隆などと対立的になるのもまたそれはわかる。ただどっちが頑張ってるかと言うと東や村上の方が圧倒的に頑張ってると思うけど。自分がどっちにくみするかと言う選択は難しい、というかまあもし一緒に仕事をする機会があったらきっと東や村上と仕事をした方が「気持ちよく」出来る感じはする(でも余裕ない感じがするんだよなこの人たちは。そういう部分でこっちがついていけなくなる感じがちょっとある。)が、どっちに共感する部分が大きいかと言ったらきっと佐々木の方が大きいんだろうな。でもいずれにしても、一回り下の世代のムーブメントだなという感じがするけど。村上は同世代だけど。
ま、そういう意味で何かわりと狭い範囲のサークルの裏事情が語られている感じでそういう感じの面白さをまずは感じている。その先のものをどう受け止めるかはまた先まで読んでからの話だなと思う。
大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21) | |
羽生 善治 | |
角川書店(角川グループパブリッシング) |
羽生善治『大局観』72/234ページ。なんかアカデミズム周辺のガチャガチャしたキッチュな愚者のワンダーランドみたいな世界とくらべるとすごく静謐な世界。トヨタで点検の時間待ちをしているときにずっと読んでいた。リスクを取らないことが最大のリスクだ、とか自分の生き方を反省させられるようなことも。私は今までの人生ですごくたくさんあきらめてしまったことがあるなあと読みながらなんとなく思ったわけで、そのあきらめを可能性に戻していく、結んでしまった紐をほどいて行くような作業を今ずっとやっている感じがする。そういう時に、この静謐な世界はすごく力になる、力づけられる感じがする。一つのものに挑み続けた強さ。羽生は70年生まれ、佐々木は73年生まれ。羽生と佐々木の間にある差は3年ではないなと思う。まあ私はこういう一回りくらい違う人たちのさらに後塵を拝している感じがするけれども。米長さんは羽生世代の若者たちに教えを請うたというけれども、私もめげずに頑張らねばと思う。
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