現代美術というものは/何をしても生きていけるということ/『最後の国民作家』
Posted at 11/02/14 PermaLink» Comment(2)» Tweet
土曜日。6時半まで仕事をし、7時前の特急で上京。東京では雪は全然降っていなくて助かった。地元の書店で少し本を物色し、牛乳を買って帰宅。入浴して早めに寝る。
日曜日は午前中散髪へ。込んでいたらどうしようかなと思いながら行ったのだが、ほかに客がいなかった。三連休の最後の午前中、などという時間はあまり散髪をする客はいないということだろうか。ねらい目かもしれない。
苦役列車 | |
西村 賢太 | |
新潮社 |
帰ってきて友人に電話したり、買い物に行ったり。先週は行かなかった気がするが、アリオ北砂のイトーヨーカドーで昼食の買い物。帰ってきて昼食を済ませ、一息入れていたらまた友人から電話があり、しばらく話す。「苦役列車」の話など。しばらく話をして電話を切り、夕方になって丸の内に出かけた。電車の中では文藝春秋で「苦役列車」の続きを読む。丸善丸の内店で本を物色し、結局羽生善治『大局観』(角川Oneテーマ21、2011)と酒井信『最後の国民作家宮崎駿』(文春新書、2008)を買った。
大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21) | |
羽生 善治 | |
角川書店(角川グループパブリッシング) |
それから四階に上って本を物色。松丸本舗で、ひょっとしたらと思ってクロード・ロワ『バルテュス 生涯と作品』(河出書房新社、1997)があるかと思って探して見たが、結局なかった。ギャラリーに行って現代美術の作家たちの展示を見る。村上隆、奈良美智、草間弥生などなど。奈良美智の作品で女の子がアンプの上に乗ってギターを弾いているのがあってそれがほしかったのだけど、105万円だったので諦めた。一桁下なら考えたんだけどなあ。画廊の人と話をする。日本橋店の閉店セールのときに有元利夫の絵で10万きっているのがあってそれを買い損ねたのが残念、という話をしたら、その人はそのときそれを担当していたそうで、「今度も後悔するかもしれませんから買ったらどうですか」といわれたが、さすがに105万は無理。もっとはぶりのいいバカ社長にならなければ。だいたい現代美術はもう少し安かったら買うのにな、と思っているうちにどんどん値が上がるというものなので、困ったものだ。
バルテュス―生涯と作品 | |
バルテュス,クロード・ロワ | |
河出書房新社 |
カフェに行ってハヤシライスにミモザを注文し、窓際の席で新幹線を眺めながら『最後の国民作家』を読みながら食べる。ミモザと言ったのに来たのはキールロワイヤルだったが、まあいいか。食事を済ませて地下に降り、新丸ビルの成城石井でザワークラウトときんつばを買って帰った。昨夜もどうも疲れが出ていたらしく、齋藤佑樹のサムスン戦登板のニュースを見ているうちに寝てしまい、風呂に入って就寝。
***
ブログをどういう目的で書くのかということがはっきりしなくなっていたのだけど、生活記録と読書記録ということに絞ろうと思う。そういうものを読んでもらう意味があるのかどうかは分からないが、自分で書く日記より読んでもらうブログの方が書く気になる。生活をそのまま(本当にそのままじゃなくプライバシーに関わる的なところは書いてないけど)書くというのは、NHKに取り上げられたら『無縁社会』的な受け止められ方をする可能性もあるが、かっこ笑い、まあそういうコミュニケーションもあるということが従来の社会学的視点の枠組でとらえ切れてないだけのことで、新しい社会学の出現が待たれる、みたいなことなんだろうと思う。ネットで生存記録を発信しているような人は本当に人とのつながりが断たれているわけではない、無縁ではない、ということはなぜ理解しにくいのか分からないところがある。そういえば小林恭二に『電話男』という作品があったが、80年代はとにかく電話でつながる、というのがあった。結局それが文字情報や動画に変わっただけなんだけど。
まあそんなことはとりあえずどうでもいいのだけど、自分の考えていることややっていることをネット上で人目に晒すことで自分自身の中が掃除されたり相対化されたりして「流れ」がよくなるという効果は実際的にある。おしゃべりをしてもいいのだけどおしゃべりは相手のあることだから相手に合わせる部分もあって全部自分のいいたいことが吐き出せるわけではないから、ブログなどは一方的に何でも書けるのですっきりしやすいということはあるだろう。まあこれも読み手のことを考えたりしてちゃんと書き出すとどんどん辛いものになっていく場合もあるけどね。
文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
西村賢太「苦役列車」。文藝春秋三月号の444-493ページに所収。現在462ページ。最初はなんだか不思議な感じだなと思いながら読んでいたのだけど、読みやすい。暗い感じがない。私小説と銘打ち、自分でも9割がたは事実だと行っているので多分そうなんだろうと思う。15歳で中卒で肉体労働に従事するくだりで、「生きていくための労働なぞ案外容易いものだな、との嘗めた思いも抱き始めていたのである。」というのがあるのだが、私にとってはこの「思い」がこの小説の「肝(キモ)」だなと思った。一番苦くて一番美味で一番栄養がある、みたいな意味で。
最初読んだとき、私は驚いた。私も、受験産業のバイトばかりしているのがなんとなく観念的倫理観的にどうなのという気がしてきたときに、肉体労働こそが人間らしい本当の労働なんじゃないかとこれもまたナロードニキ的な馬鹿げた妄想に取り付かれて一度フロムエーで見た冷凍食品運搬の仕事に行ってみたことがあるが、きついし回りのガタイのいいおっさんたちに怒鳴られまくるし、しかも何を言っているのか聞き取れないのでまごまごずるばかり。それでも昼ごはんのときに「今日は残業なし」と言われ、5500円くらいもらえると見こんで行ったのに3800円しかもらえず、もう頭に来て二度と行かないぞと思ってそれっきりになったと言うことがあった。という経験があったのであんな仕事でそういう嘗めた思いを持てるということ自体にちょっと賛嘆したのである。
しかし目覚めの床の中でぼーっと考えていて、その思いは私もやはり15歳のころに持ったことがあるということに気がついた。つまり、「人間、生きていくだけなら何をしてたって生きていける」という事実に気がついたのである。1970年代後半のことだった。私が生きていたのは少し特殊な場所ではあったが、他の人間はともかく自分という人間は、生きるためなら多分なんでも、節を曲げてでも何でもやってとにかく生きていくくらいの能力はある、と思ったのだ。今思うとこれはつまり生きていくことが出来るというある種の自信を持ったと言うことであり、生きていくことくらいできるんだから死ななきゃいけない必要はないな、と思えたということであって、それ以来どんなに大変になっても自殺ということだけは考えたことがない、という意味ではプラスになったと思うのだけど、「何やったって生きていけるさあ」というのは、ある意味「ダメ人間まっしぐら」の哲学でもあるわけで、実際私などでも「就職活動とかなんでする必要あるの?」くらいは世の中を嘗めてしまったというところはあった。まあそれが結果的に誤っていたか正しかったかはまた別の問題なのだけど。
考えてみると私は、生きるのが大変になってくると、まあ、何をしてたって生きていけるさ、という開き直りは常に用意していた。でまあ、とりあえずどうでもいいさ、と思えるくらいのいい加減さは常に持っていてそこで急迫した状況を調整する遊びを設けていたわけである。私はまあ、そういうふうに考えていたせいもあったのか、何をやりたいかということを若いころはそんなに真剣に考えていなかった。考えてみればそれが最大の問題だったと思う。
「何をやってたって生きていける」からこそ、「やりたいことをやらないと何もしないうちに年だけ取ってしまい、何も出来ないまま終わってしまう」のである。
自分の最もやりたいことというのは何だろうと思ったのだけど、要は結局、何かを残したいと言うことではないかという気がする。だから本当はさっさと結婚して子孫を残せば第一段階はクリアのはずなのだが何でかそれはうまく行ってないのでまだまだ今後の課題なのだが、そのほかで言うと人を育てて人を残すとか、作品を作って作品を残すと言うことなんだと思う。人を育てると言うのは、学校教育では結局みんな巣立っていってしまってなんだかつまらないと言うこともあり、それだけでは自分は満足できないなというところがあった。また、学問をやっても学問の体系の中で自分のやったわずかなことがその体系の中で少しプラスになる、というだけではどうもなんだか気が遠くなるというか、自分はもっと一般の人に伝わることをしたいという思いのほうが強くなっていた。
だからまあ、やっぱり多くの人に読んでもらえる作品を書くというのが一番自分のしたいことなんだなと思う。と思ってものを書いているのだがなかなか山あり谷ありだ。(笑)
話を元に戻すと、そういう意味で「苦役列車」の作者の感じた「嘗めた思い」というのは人間にとってかなり重要な思いであり、それにどう向き合うかと言うのはかなり重要なターニングポイントになることなのだと思う。462ページに来て初めて主人公貫多以外のストーリーに関わりのある登場人物・日下部が出てきた。ここから物語の世界、ストーリーの展開に入っていくというところまで読んだと言うわけだ。
***
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 | |
宮崎 駿 | |
ロッキング・オン |
宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの奇跡』(ロッキングオン、2002)。現在136/349ページ。この本は面白い。そして読めば読むほど、宮崎駿と言うのは偉い人だと思う。本人は強く否定しているけど、志が高い。そして作劇法という点でとても参考になることを言っている。それはインタビュアーが音楽表現に関わる仕事をしている渋谷陽一であると言うことも大きいだろう。なんか放談的で行っていることにまとまりがないということもあるが(宮崎のインタビューはそのときで言うことがけっこう違うのであんまり言葉にこだわっても仕方ないと言うところもある。詳細に見てその機微を読み取ろうとするほど暇ではないのだけど、誰かそういう研究をやってくれると参考にはなるんだけどな。)自由でいいけど感想をこれだと書くのは書きにくい。一本目のインタビューは『魔女の宅急便』のあとのもので、二本目のインタビューは『紅の豚』のあとのもの。『魔女』は昭和の締めとしての作品で、『豚』は社会主義の崩壊、特にユーゴ崩壊のショックから立ち直るために作ったようなところがあるらしく、はあなるほどなあという感じだった。そしてもうヨーロッパを舞台には作れないと思ったらしい。なるほどそれで『ぽんぽこ』『耳すま』『もののけ』『千尋』と行くわけか、と思った。『ハウル』と『ゲド』は日本じゃないけど。
最後の国民作家 宮崎駿 (文春新書) | |
酒井 信 | |
文藝春秋 |
酒井信『最後の国民作家 宮崎駿』。64/181ページ。序章はまず、宮崎がなぜ国民作家と言えるかという話を書いていて、これはまあその通りだと思う。国民作家と言えばやはり司馬遼太郎のような大衆性が必要だろう。現代の作家でそれだけの幅広い読者(視聴者)を得ているのは宮崎しかいないだろうと思う。宮崎のものに対する感覚とか、確かに「日本人ならこうだ」という感覚を表現していて、それは現代の若手の表現者にはないものがあると思う。そういう意味でも日本人にとっての国民作家と言えるだろうと思う。自分としては、監督であるとかものの作り手としての宮崎駿論はあまり読んでも仕方ないなと思っているところがあるのだけど、この本はわりと社会的な視点から宮崎を見ていて、それは意味があるんじゃないかと思った。今のところふむふむと思いながら読んでいる。
***
という記事を書きながらWikipediaを調べたら、今年のジブリの新作の情報が出ていた。宮崎吾郎監督で『コクリコ坂から』、昭和38年ごろの横浜が舞台、だそうだ。高橋千鶴という漫画家の作品だそうだ。微妙だがさてどんな作品になるか。
コクリコ坂から | |
高橋 千鶴 | |
角川書店(角川グループパブリッシング) |
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"現代美術というものは/何をしても生きていけるということ/『最後の国民作家』"へのコメント
CommentData » Posted by OWL at 11/02/15
こんにちは。ツイッター以外でお目にかかるのは久しぶりです。
OWLです。
Kousさんのブログで楽しみにしているのは、生活記録と読書記録なのでそれらを書き続けてくださるということは、読者として楽しみです。
羽生さんに興味がおありなのですか。わたしは将棋はできないのですが、羽生さんについては、とても興味があって週刊現代1月29日?号の特集(充実していました)をとても興味深く読みました。羽生さんの本読了後、気が向かれたら、また感想をアップしてください。
苦役列車、少し立ち読みしました。文芸春秋買おうかどうか、まだ迷っています。本が本棚からあふれているので。
とりとめがなくてすみません。ではまた。
CommentData » Posted by kous37 at 11/02/15
>OWLさん
コメントありがとうございます。読んでいただいてありがたいです。
羽生名人にはかなり興味があって、いままで何冊も本を読んでいます。昔とはいうことが変わってきた、深化してきたと感じることも多く、そういう意味でも読んでいて楽しいです。ただ、言ってることが最近深すぎるのかわからない感じがすることが多くなってきていて、ついて行ききれるかどうか、みたいなところがあります。(笑)
また少しずつ感想を書こうと思います。「苦役列車」はだんだん読みにくくなってきて、こちらも少しずつ読んでいます。