自分が心を置いているところ/差別と理解は同じだよ/34歳下の奥さん
Posted at 11/02/06 PermaLink» Tweet
けっこう自分のスタンスの根本的なところから考え直しているので、どうもブログを書くという感じでもないのだけど、日常記録など。
人形作家 (講談社現代新書) | |
四谷 シモン | |
講談社 |
四谷シモン『人形作家』読了。もう最高に面白くて没入してしまった。四谷シモンは、私にとってまずは私が見始める前の状況劇場の看板役者だったのだが、『あるタップダンサーの物語』で実際に舞台に立つのをみてからはやはり人形作家という印象になった。しかしその後、あるいはその前、どういう人生を送ってきた人なのかということは全然知らなかったのだけど、すごく示唆的なところがあって印象深かった。新宿で金子国義たちと出会ったことが大きなきっかけになったことは確かだったのだろうけど、その前から自分で人形は作っていて、一方で中学時代は荒れに荒れていたというのは、彼の雰囲気や風貌から行ってすごく頷けた。そして、金子国義らと会ってから彼らのサロン的な集まりを四谷婦人会と呼んで(国防婦人会の洒落だという)いたのだけど、それが多士済々で、でもその当時はみな全く無名だったのが、澁澤龍彦と出会ったり、唐十郎と出会って状況劇場に関わりだしてから一気に知名度を上げていく様子がすごく面白くて、眩しくて、すごいなあと思ったのだった。
そのときの「四谷婦人会」の仲間たちが彼の創作活動の一つの拠り所ではあったのだけど、人形制作学校のエコール・ド・シモンの運営などをめぐって溝が出来たり、また状況劇場をやめることで劇団員たちと諍いのようなことも会ったりなど、やっぱりそういう生々しい話があるんだなと思った。自分自身の中で、自分の劇団時代の仲間やそのころに学んだこと、身についたことなどが自分にとってすごく拠り所みたいになっていたのだけど、考えてみたら当時の仲間でピンで世の中の一線でやっている人は一人しかおらず、なんかそれはつまらないことだなと思う。自分もいろいろ回り道して悩みながらやってきたけど、心を変にそこに置き続けるのは自分にとってあまりよくないことだなということを思ったりした。
しかし読んでいて思ったのは、やはり自分はアートというものに心をおいているということ。四谷シモンが、人形というものが工芸としてとられられていることにやはり物足りなさを感じ、独立したアートとしての作品をつくりたいという志向を持ったことは、すごく理解できる。やっぱりそういう意味でのアートというものを自分もやりたいんだということは思ったのだけど、でも自分に出来るのはやはり書くことなので、そこのところですごく作戦が立てにくかったのだなということを今更ながら思い出した。
書くというジャンルにおいて、よりアートに近いのは詩であり戯曲であると思っているのだが、残念ながら詩や戯曲では食えないし世の中に対するインパクトが小さすぎる。だから小説でなければだめなんだと思って小説を書き始めたのだった。そのこと自体を忘れていた。動機自体が面倒な構造を持っているので自分の書きたいものというのもより複雑になってしまう。
私はもともと小説というのは性に合わないところがあって、面白いと感じられる小説というのはそんなに多くない。私は割りと手当たり次第に読む子どもではあったけれども、好き嫌いはわりあいはっきりしていた。基本的に思想系―文学系のものはだめだった。鴎外はいいけど漱石はだめ、みたいな。朔太郎はすごく好きだった。太宰は最初すごくダサいと思っていた。三島は割りといい。つまり耽美系のものはアート色があるから受け入れやすいということか。詩でも八木重吉とかは好きだが荒地系のはだめだとか、結局文学そのもの、小説そのもの、詩そのものが好きなわけでなく、アートのバリエーションとして現れたそのジャンルのものが好きだというのに留まっていた。
で、結局それではどういうものなら面白く感じるのかということを考えたときに、人間の運命というものを扱ったものなら小説でも何でも面白く感じるということはあるということは分かった。それがすべてではないけど。マンガでも結局、そういうものが好きなんだなと思う。人間にはどうしようもないものと人間がどう付き合っていくかということが、自分にとってすごく大事なことで、その付き合い方というものの一つがアートなんだというふうに自分はとらえている気がする。『ピアノの森』が好きなのは、とてもそういうところがある。
私は運命に対してすごくじたばたしている割には全然的を絞れなくていまだにがたがたしているのだけど、でも一度運命の特急列車に乗ってしまったらぽんと走り出すところがあって、そういう自分が全然見えていなかったりする。運命って自分で受け入れるものでもあり自分で一歩踏み出すものでもある。一目見たとたんにこの人は私のことを好きになるだろうなということが分かったり、逆にどうしようもなく好きになってしまうだろうなと思ったりする。それに逆らってみたりもよくするのだけどあんまりいいことは起こらない。運命の流れには従っておいた方がよいことが多い。
私は生理的に無駄なことが嫌いで、どうせだめになるなら最初から手を出さないと思ったりもするのだけど、でもそれだけではだめなんだなとも思う。昔やったことを無駄にしたくないからいつまでも過去にこだわったり、これからやることを無駄にしたくないから無駄になりそうなことに手を出せなかったりする。しかし、人生というのは無駄はつきもので、切り捨てなければならない過去もあるし無駄を覚悟でがむしゃらに前に進まなければならないこともある。なんかそういうことを、シモンさんの伝記は今更ながら私に教えてくれた気がする。
それから思ったのは澁澤龍彦という存在。シモンさんは、「澁澤さんにさえ認められればあとはどうでもいい」と思っていたので、澁澤が死んでからどうしたらいいのか分からなくなったのだという。澁澤というのはやっぱりそういう存在だったんだなあと思う一方で、シモンさんですらそうだったのかとなんだか安心する部分もあった。現代のシーンで、そんな力を持った存在がいるかといえば、もちろんいない。「○○さんにさえ認められればそれでいい」というような目利き、ある意味での権威。現代はフラット化している。現代では自分は自分で認め、自分で売り出していかなければならない。滑稽で、かっこ悪いことだけど、セルフプロデュースが何より重要だ。村上隆なんか、苦労してるけどすごく頑張ってるなと思う。澁澤龍彦がいた時代とは違うのだ、ということは重要なことだと思う。とにかく今なにかやろうとしている人間にとって一番大事なことは、セルフプロデュース能力なのだ。
運命と人間という点では、ショパンという作曲家は最もそれと向き合った人間だという気がする。『革命のエチュード』とか『雨だれのプレリュード』とか。思い、というような、人間の言葉に出来るような何かに一度換言されてはいない、もっと原始的な何かをそのまま音楽にした感じというか、音楽家は音楽でしか語れないというか、そういう感じがすごくする。モーツァルトもそういうところはあるのだが、彼は基本的に18世紀的な気楽さの中で生きているのでそういうものを発揮する機会がなかったんだろう。ショパンは常に自分の、周りの人の、ポーランドの、あるいは世界の運命と会話している。
羣青 上 (IKKI COMIX) | |
中村 珍 | |
小学館 |
昨日の夜からそんなことを漠然と考えつついろいろなものを見たり読んだり。中村珍『羣青』上を少しずつ読む。帯に本谷有希子が「魂と引き換えに描いているとしか思えない」と書いてあるように、ぶっ続けに読むのはきつい作品。
すごいなと思ったのは、というかその通りだと思ったのは、「差別と理解は同じだよ」というセリフ。レズビアンの子が他の子たちの会話を立ち聞きする。その子が好きな子が言う。「いい子じゃない?レズってとこ以外は、何かしてくるってわけでもないし。実害ないから私は普通に接してあげてもいいと思うけど。」「酷い言い方するのね」「理解あるほうじゃない?」「理解と差別は似てるから」それをきいて彼女は思う。「差別と理解は同じだよー。」
これはすごいと思った。目から鱗。「同情するより金をくれ」というセリフを思い出したが、理解とは、もっと言えば愛とは、差別と同じなのだ。ある意味で、だけど勿論。理解というのはしてやるものであって、つまりはある意味見下している。「理解できない!」というセリフを言いたがる人の傲慢さというのは、つまりはその「上から目線」にあるわけだ。私も常々「理解したい」と思っている人間だから、つまりは「理解する」ことによって「世界の上に立ちたい」という欲望があるのかもしれないと思ったのだった。いや、多分ある。そう、私だけでなく、学問を志した人間はみんなそういう、傲慢さという業を持っている。
逆にいえば、誰かを尊敬するということは逆差別だ。見えない階級制度を組織することだ。そういうヒエラルキーを嫌だと思う人もあるだろうけど、理解も愛も尊敬もない世界を、だれが魅力的だと思うだろう。理解しあい愛し合い尊敬し合う世界というのは、平等な社会ではない。お互いに差別し逆差別しあう世界なのであって、平等な社会ではない。そのくらい人間の業というのは深いはずだし、多分それがありのままの人間の世界なんだろうと思う。
相手を理解したいという欲望は本質的に相手を見下すことにつながるし、理解されたいという欲望は本質的に相手に見下されたいという欲望につながる。理解し理解されるということはそういう意味ではお互いにSでありMである関係だと言えなくはない。一方が一方を理解しているだけの関係というのはそういう意味でもあまりよくない。いやそう思うのは私だけかな。私が人のことを理解したいと思うのは、人に私のことを理解されたいと思っていることの裏返しだとも思うんだな。でも理解されないことは苦しいが、理解されるだけに安住するのもまたみっともないとも思う。人は幸福であればいいというものでもない。なんていうか人間のダイナミズムというのはそういうあたりにあるんじゃないかという気がする。
なんかまあ次々とそんなことを考えさせられて面白いよこの作品は。書く方は相当きついだろうけど、それを面白がってやるというのはなんだかいたぶっているような気がしてきていいんだか何なんだか。やっぱりSの方が強いのかな私は。
Panasonic デジタルハイビジョンビデオカメラ ホワイト HDC-TM35-W | |
パナソニック |
『人形作家』を読んでいたからなのか、なんか動きたくて仕方なくなったのだけど、一人で踊っていても仕方ないのでちょっと録画でもしようかと思い立ち裏のヤマダ電機に行ってビデオカメラを買ってきた。実は、これが人生初ビデオカメラ。パナソニックのHDC-TM35。軽くて小さくて驚いた。静止画も撮れるのでハイビジョン画質の写真をブログにも載せられるかもしれない。店員にいろいろ聞いているうちに三脚とキャリングケースをサービスで付けてくれてラッキー。アマゾンの価格よりやや高かったがその二つを計算に入れるとかなり安い。やっぱり言ってみるものだな。帰ってきて充電してショパンのプレリュード24番を口ずさみながら少し踊っているのを撮って見た。なんか馬鹿馬鹿しいが面白い。アップするには恥ずかしいが、そのうち覆面でもしてYouTubeにアップロードしてみても面白いかもしれない。
夕方になって、考え事をしたまままた出かける。地元の文教堂で少し本を見て、電車に乗って日本橋へ。まず丸善に行って、『人形作家』を読んでいるうちにほしくなったベルメールの人形の写真集を探すが、画集しか見つからなかった。どうもそれには食手が動かなかったので、トンボの本の『バルテュスの優雅な生活』(新潮社、2005)を買った。バルテュスの奥さんは日本人だが、34歳の年下でそのとき20歳だったのだそうだ。希望は持てるが、その度胸が私にあるかどうか。8歳下の元妻と結婚したときでさえ「犯罪だ」云々と散々言われたし。34歳下だといまなら14歳で、実際まさに犯罪なのだが。
バルテュスの優雅な生活 (とんぼの本) | |
節子・クロソフスカ・ド・ローラ,夏目 典子 | |
新潮社 |
それから京橋まで歩いて蜂蜜とジャムを買い、また日本橋まで戻ってプレッセで夕食を、メゾンカイゼルでいちじくのパンを買って帰った。
***
忘れてた。きのう、amazonのマーケットプレイスに注文したビートたけし『教祖誕生』が届いてたんだった。
教祖誕生 (新潮文庫) | |
ビートたけし | |
新潮社 |
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