湯島天神から日本橋へ/『ノルウェイの森』と柴門ふみ

Posted at 11/01/10

昨日。午後湯島天神に出かけて初詣。自分の文筆が世に出るように応援してください、とかをお願いする。上野広小路に歩いている間に携帯が鳴って友人が会わないかと連絡してきたが別の友人との約束があったので改めてに。銀座線で日本橋に出て待ち時間まで丸善で本を物色。あまり買うつもりはなかったのだけど、結局高田明典『難解な本を読む技術』(光文社新書、2009)を買った。

難解な本を読む技術 (光文社新書)
高田 明典
光文社

いわゆる哲学書など、読もうと思っても読めない本というのは結構あって、努力と利得のバランスが悪すぎるなと思って途中で読むのを止めた本がたくさんある。しかし中には取り組み方にもう少し気をつければ読めるかもしれないと思う本もあるので、そういうときに役に立つかなと思って買ってみた。しかし今のところそういうものに取り組む余裕があるわけでもない。この本だけ読んでおいていつか役に立てばいいと思うのだが、さてそんなうまく行くかどうか。

時間になったので待ち合わせの美術館のティールームに行く。そこでひとしきり話をし、南欧料理のレストランへ。わたしはときどき行くのだけど、いつもあまりこんでいない。オフィス街だし日曜の夜だしゆっくり出来た。いろいろ話すことが出てきて赤ワインを飲みながらずっと話をし、店を出てから銀座の喫茶店まで歩いて少し話をして有楽町まで行き、私は東京駅で下車して分かれた。久しぶりにゆっくり話をできてよかったのだが、少し飲みすぎた感じもする。

夜はなかなか寝付けず3時ごろまで起きていて、目が覚めたのは6時過ぎ。どうもなかなか睡眠が不規則だ。モーニングページを書いて、そのあとお昼までずっと昨年末に書いた小説の直しをしていた。

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)
山崎将志
日本経済新聞出版社

山崎将志『残念な人の思考法』(日経プレミアシリーズ、2010)現在188/230ページ。この本はなかなか面白い。大きくまとめると、大事なことは全体像を見極めること、それを描ける想像力を持つこと、それが出来ないと残念な人になってしまう、ということではないかと思う。自分の仕事が全体でどう意味を持つかを理解して仕事ができれば残念なことにはならない。また、市場に参入するときもその商品が全体でどのくらいの市場であるかとか、それが伸びつつあるのか縮小しつつあるのかとか、そういうことを検討し見極めて(もちろん不定形だから失敗はつきものだが)取り組むことによりリスクを減らしチャンスを生かしやすくすることができる、という話も面白い。また転職市場においても自分がどういう仕事ができてどういう実績を上げたかということを的確に説明できなければならないというのもなるほどなあと思った。

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社

『ノルウェイの森』の感想をどうもまとめて書く元気がない。二日酔いということか。いやただの寝不足かもしれないけど。また明日一度書いたファイルを見直してから書こうと思う。

一つ思い出したので書いておこうと思うのだけど、直子が死んで放浪の旅に出たワタナベが山陰の海岸で野宿していたら若い漁師が来て、泣いていたワタナベは理由を聞かれて母が死んだと嘘をつく。漁師は心から同情し、それから二人で酒を飲み、漁師は十六で自分も母親をなくした、という話を延々とする。そのうちいきなり激しい怒りに駆られて「お前の母親がなんだっていうんだ?俺は直子を失ったんだ!あれほど美しい肉体がこの世界から消え去ってしまったんだぞ!それなのにどうしてお前はそんな母親の話なんてしているんだ?」と思う。いきなり理不尽な怒りに駆られるわけだ。そして漁師は寿司折を買ってきてワタナベにくれる。そして別れ際に5000円札を渡され、断りきれなくなって受け取ってしまう。ワタナベはそのことにひどい自己嫌悪に陥り、そして「そろそろ東京に戻ってもいい頃だなとぼくは思った。いつまでも永遠にこんなことを続けているわけには行かないのだ。」と思ってもらった金で切符を買って東京まで戻ってくる。

このくだりが私は、とてもそうだよなあ、と感じる。ずっと悲しみにくれていても、世の中は動いていて、自分の中の悲しみの論理とは別の論理で世の中は動いていく。ささくれ立った悲しみに浸る気持ちの中にいても、世の中は容赦なく(たとえば同情という動機で)自分を揺り動かそうとする。それに本当に苛立ってしまうけれども、しかし逆にいえばそこで自分の怒りや苛立ちの理不尽さに気づいて愕然としてしまう。そして、「ここは自分のいるべき場所ではない」と自覚してそこから立ち去ることになる。そこに優しさを踏みつけにしてしまったという苦い悔恨と自己憐憫の虜になっていた自分への羞恥を残して。まあ私は本当にそういうことで自己嫌悪に陥ることがよくあったので、それを村上はよく形にしてくれたなと思った。勝手に悲しんでいた自分を世界の流れは放っておいてはくれない。そして放っておかれてはならないのだ。

同・級・生 (小学館文庫)
柴門 ふみ
小学館

柴門ふみの『同級生』で、鴨居と分かれて荒んだ生活をしていたちなみが行きずりの男と寝たら枕元に5万円置いていかれて、つまり娼婦と間違われて、その5万円を結婚紹介所への入会金にして今でいう婚活を始めるという話があったけど、その自己嫌悪を前向きのものに投射するために使ってしまうという動き方がなんか逞しいという感じがする。そういうのとこの5000円の使い方が同じだなと思ったのだった。『同級生』がスピリッツに連載されていたのは確か1988年。ほぼ『ノルウェイの森』と同じ年なのも何か面白いなと思う。

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