水嶋ヒロ『KAGEROU』を読んだ。/サプライズの年賀状
Posted at 11/01/02 PermaLink» Tweet
お正月というのは年に何度もないまとめて休む時期なので、普段とはどうもペースが変わり、ブログのように毎日書くものに関してはやや調子を維持するのが難しいところがある。今ちょうど箱根駅伝をやっていて、2区から3区の戸塚中継所のあたりのところだ。例年なら実家のテレビでずっと見ているところだが、今年はそういう気持ちにもならない。ただ、5区の山登りの柏原の走りはやはり見てみたいなと思うし、そう思わせるランナーであることは凄いなと思う。
昨日はまともにブログを書いていないから31日のこととかは書いていないわけだ。こういうときはツイッターでいろいろ書くこともあるが、今年はそれも特にはしなかった。しかし、紅白をはじめから最後までちゃんと見たのは凄く久しぶりのことだった気がする。印象に残ったものを三つ上げれば『トイレの神様』といきものがかりの『ありがとう』と桑田佳祐の復活。『トイレの神様』は多分聞くのは初めてだが、こういう歌だったんだなと。『ありがとう』は毎朝聞いていたが、テレビで歌うのを聞くとやはりいい歌だなと思った。桑田は思ったより元気そうでよかったという感じ。兄弟たちは紅白が終わったあと近くの神社に二年まいりに行ったが、私は裏のお稲荷さんに手を合わせた。
昨日は朝お雑煮をみなで食べてお年玉を子どもたちに上げ、年賀状をチェックしたあと自室に戻って一休みして少しいろいろやり、お汁粉を食べて出発。駅で朝日新聞を買ったら「長編小説の書き方」みたいな記事が出ていた。池井戸潤という人はあまり知らないが、いろいろな人のこういう記事を読むといろいろ面白い。
KAGEROU | |
齋藤 智裕 | |
ポプラ社 |
車内では齋藤智裕(水嶋ヒロ)『KAGEROU』(ポプラ社、2010)を読む。(以下ネタバレあり)途中で止まっていたが、この機会にぜんぶ読んでしまおうと思い。八王子を過ぎてから最後まで読了。うーん。この作品、面白いといえば面白いし、ひどいといえばひどい。
読みながらツイートしていたのを読み直してみるとそのときにどう感じていたのか思い出せるので便利なのだが、なるほどと思ったのがサイトなどで『同意します』というのを次々にクリックしていくそのことが自分の人生に対する姿勢そのものだと思ったという記述。行き当たりばったりで先のことを考えずに決めてきた、という。あの『同意します』をクリックするときに感じる「かすかな抵抗感」を水嶋は拾い上げているわけで、そういうセンスはまあまだまだだといえばそれまでなんだけどもっと凄いものを見つけてくれるんじゃないかという期待も感じさせる。
いろいろなところで問題になっていた「ゼンマイ仕掛けの人工心臓」だが、これはやりたいこと、書きたいことはよく分かる。寝ている自分の心臓を、自分の本当の心臓を移植した女の子に回してもらうというのはこの奇妙なリアルさと自己愛のファンタジーみたいなもののミックスの感じがある意味考えられないようなエロティシズムを感じさせる。ある種のアンドロギュノスとでもいうか、自分と相手との境目を奇妙に見失うセックスのある種の本質のようなもの。去年から私もこういう系のものに近いところを書いていたりするので、このやりたいことの感じはよく分かるのだ。しかし、そこか小説の難しいところだけど、とりあえずリアリズムの世界で来ていたと少なくとも読者に認識させておいて人工心臓がゼンマイ仕掛けというのはやはり突飛過ぎる。そこがもっと奇妙なファンタジックな歪んだ要素をそれまで出していればよかったとは思うのだけど、書いている本人は多分十分出していたつもりだったんだろうなと思う。人の振り見て我が振り直せと言うが、そういう意味で心してやらないといけないなと思わされた。
伏線に関しては「見張り」をしていたらしき女の視線が、忘れた頃にいきなりもう一度取り上げられていて、でもそれが全然展開しないで終わってしまう。このへんも難しいと思うのだけど、もし実際に自分がそういう場面を経験していたら、身を投げようとしたときに感じたあの視線と同じ視線をまた感じた、ということはとてもリアルに感じられることだろうと思うのだ。しかし、読んでいる立場からすると「そういえばそういうことがあったね、思いだしたよ、うんうん、それで?・・・・・・え?それだけ?・・・・・・そりゃないだろ!」みたいな感じになってしまうのだ。何かが書かれていると、読者は全力で(少なくとも読んでいる方の意識としては)その情景を想像するから、想像した以上その話は展開してほしいわけで、展開がなければ騙された、ただ振り回された、徒労、という印象を受けてしまう。つまり、小説というのはリアルに記録をすればいいというわけではなく、読み手の呼吸みたいなものをうまくコントロールしなければいけないのだ。
登場人物が何をするか、どう考えるか、ということでもまだこの作者はうまくコントロールしきれていないというか、最初に作った図式に頼ってしまっているところがある。自殺志願者の内臓はすべて移植されて生かされるが、脳だけは廃棄されるという記述があって、しかしキョウヤがのうに問題が起きて死にそうになったために結局ヤスオの脳が移植され、そのためヤスオは再び茜に会うことができる(明示的に書いてあるわけではないがあまりにも図式的にセリフが書き分けられているためにそれ以外に読みようがない)わけだけど、作者は間違いなくそのように読者に読ませたかったからそうしたのだろうとは思うけどあまりに図式的過ぎてそこはちょっと無機的な感じがしてしまった。
いやあ、こうして思い出しながら書いてみると、小説というものは実に考えなければならないことが多い。そういう部分で不自然さが相当残ってしまったために、アマゾンなどでは酷評を受けているのだと思う。まあ私が読んでみても、応募する前に一月ぐらいかけてもっとじっくり推敲すれば解決した部分はあるのではないかとは思う。ただこういうものには期限があるし、私自身も思い知らされているところだがじっくり推敲するということ自体がかなり技術・知識・経験を必要とすることだから、やりきれなかったんだろうなとは思う。
そういうことを考慮した上で言えば、この小説は決して悪い小説ではない。素直にまじめに書かれている。たぶん、その素直さとまじめさが、小説慣れした読者にとってみれば「毒が足りない」という印象を受けるのだろう。頭のいいまじめな人が一生懸命考えて書いた小説だ、と思う。私は正直言って、そういう作品があってもいいと思うのだ。
そういう意味で、この小説は、「水嶋ヒロ」というブランドがなければ出てこなかった作品かもしれないとは思うけれども、そのおかげである意味小説というものの流れを変える可能性があるのではないかと期待する部分が私にはある。彼のいのちに対する考え方とかそういうものにどこまで共感できるかというとまあそれはそれでどうかなとは思うけれども、まあ言っていることはよく分かるし実感でもあるだろうし、あまりひねくれた方向に進化していくよりはこういうまっすぐな形で行ってほしいとも思う。
『耳をすませば』で雫が小説を書いて、おじいさんに読んでもらって泣き出すところがあるけれども、どんな優れた才能の持ち主でも最初に小説を書くといたときというのはそういうものなんじゃないかなと思う。あれこれ言って潰すより、育ってほしい才能だと私は思う。
***
バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫) | |
上村 勝彦 | |
筑摩書房 |
『KAGEROU』を読了したあと、『バガヴァッド・ギーターの世界』を読む。現在118/307ページ。『ギーター』本文の方は62/142(本文のみ)ページを読んでいる。今読んでいるところは瞑想についての具体的な話が書かれていて、ちょっと自分の今の関心と離れているので読みにくい。新宿で乗り換え、東京駅について夕食の買い物でもしようと思ったがオアゾも新丸ビルも閉まっていて何も変えないので、日本橋口のコンビニで弁当を買って帰宅。東陽町で文教堂にも行って見たが閉まっていた。まあ仕方ないか。
家に帰ると『ランドリオール17巻』の限定版と年賀状が届いていた。ふと見てあっと思ったが、ツイッターで誰かがつぶやいていた『蒼井優からの年賀状』という落ちが分かった。妹宛の年賀状のあて先を古い住所に出していて戻ってきてしまった。(笑)あほかいな。
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) | |
こうの 史代 | |
双葉社 |
年賀状で驚いたのが、こうの史代さんからいただいたこと。毛筆であのマンガに書き込まれている手書きの文字のように、宛名面に丁寧に書かれている。どうも私が感想を書いて送り、作品について気づいたことを何か書いたことに対するお返事のようなのだが、もうだいぶ前のことなので何について書いたのか失礼ながら思い出せなかった。『この世界の片隅に』についての何か気づいたことだったのだろうとは思う。ブログを読み返してもモーニングページを読んでもなんだかよく分からない。残念。でもわざわざ、しかも手書きで、しかも年賀状に書いてくださるなんて、と一読者としては感激してしまう。最も嬉しいお年玉になった。
Landreaall 17巻 限定版 | |
おがき ちか | |
一迅社 |
『ランドリオール』17巻限定版、ドラマCDつき。うーん、声優がドラマ化するとこういうふうになるのか。ちょっとまったりしすぎだなあ。あとキャストトークは余分だな。声優ファンの女の子へのサービストラックなんだろうな。こういうものを喜ぶ人たちが一応ターゲットなんだなということを久しぶりに認識した。付録の小冊子「王冠とりんご」の声優と作者との対談を読んで、DXがゲームの主人公的な役割をしていると言うことが言われてみたらそうなんだなと思った。単なるゲームと考えてしまえばつまらないけど、冒険もの的な要素の話が続くところでは確かに「ゲームの主人公」的に動いているかなとは思う。ウルファネア編が終わってからはそういうストレートな冒険譚ではなくなりアトルニアの歴史と王位をめぐるより広い物語の中に回収されつつあるので話が長大化し冒険譚も減ってきているけれども最後まで読みたいなあと思う。
箱根駅伝は今三区か四区か。
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