未知の快楽//何事にも先達はあらまほしきかな

Posted at 10/12/01

昨日帰郷。シギサワカヤをもう少し読みたいなと思ったのだが、『誰にも言えない』の初出一覧を見て最近気になっていた『楽園』という目つきの悪い女の子の表紙の雑誌の、その表紙がシギサワカヤが描いているということに気がつき、帰りがけに丸の内丸善で買う。昼食は大地を守る会で。中央線が止まっていたので大丈夫かと思ったが、特急は定刻に発車。しかし、前の甲府行きの停車駅の多い特急の出発が20分遅れ、甲府の手前で追い付いてしまって14分ほど遅れた。車内で『楽園』を読む。うーん。「女の子のエロ」というものの凄さに今更ながら圧倒される。シギサワカヤの作品は少し複雑で分かりにくかったが、二宮ひかるという人の作品など絵は上手いし筋は明確だし狙いははっきりしていて耳寄りな情報(?)まであり、すごいものだなと思った。キャラクターが明確で何を見せようとしているのかがはっきりしている。しかしやはり圧倒的に絵のうまさだろうな、と思う。

楽園Le Paradis 第1号
シギサワ カヤ,日坂 水柯,二宮 ひかる,宇仁田 ゆみ,中村 明日美子,かずま こを,黒咲 練導,竹宮 ジン,売野 機子,西 UKO
白泉社

全編恋愛ものということで、読んでいると頭の中は恋愛とセックスのことばかりになりそうな感じで悪酔いしそうなのだけど、どういうところが男向けのエロと違うのかということを考えてみる。感情的なある種のどす黒さというものは、どちらかというと女性の方が強いような気がするし、読んでいて当てられるのはそういうところだろう。男向けのエロというものには、ある種の暴力性が含まれていることが多いかなという気がする。それで男向けのエロは女性描写(つまり読み手にとっては対象側)が中心になるが、女向けのエロは女性の心の動き(つまり読み手にとっては自分側)に中心があるということではないかという気がする。

まあ簡単にいえば、こういう種類のものは、男向けのものは「相手がどんなにかわいいか、魅力的か」というようなことが描写の中心になり、自分自身を見ようというような部分はない。これは男の性的欲望というものの中心が自分の中よりも外にあるという感じだからかなという気がする。女性の方は性的欲望が自分の心や肉体の奥底の方に深く降りて行くという感じがあるのではないかという気がした。いずれにしても性に暴力が絡みがちなのは、何か本質的に類似したものがあるからで、でも暴力につながってしまうのはやはり洗練されていない未熟さの表れではないかなと思う。暴力に行きそうになるのを我慢して違う可能性を探ることが出来れば、未知の快楽に至ることもひょっとしたらあり得るのかもしれない。

***

何を書いているんだか。

まあとりあえずこの件に関してはこのくらいにしておこう。

***

芸術闘争論
村上 隆
幻冬舎

あと、いろいろ買ったが読んでいるのは村上隆『芸術闘争論』と養老孟司・宮崎駿『虫眼とアニ眼』。『芸術闘争論』は、現代美術の見方についての話が興味深いのだが、まだ読みかけ。『虫眼とアニ眼』は巻頭に宮崎駿の「養老さんと話して、ぼくが思ったこと」というイラストエッセイが25ページほどあり、それを見て行くと面白いなと思う。「今の若い人たちがおそろしくやさしくて傷つきやすくおそろしく不器用で愚図でいい子なのだ」と書いていて、採用面接で「これはまずい」と思っていて、湯婆婆が「どうしてあんたを雇わなきゃならないんだい!!」と叫んでいるのが内面の声なんだなと思った。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫 み 39-1)
養老 孟司,宮崎 駿
新潮社

で宮崎は、サルトルみたいに行動する知識人的に何とかしようと計画を練るのだが、どれが頭だか尻尾だかわからない巨大なミミズみたいなものとして日本社会を書いていて、「この国はどこが頭かシッポなのか…目指すべきモデルがないまま、小慾とコストばかりをめぐって、堂々めぐりをしているのだ。」と書いている。主張内容はともかく、現状は全くその通りで、この頭も尻尾もないミミズの絵というのは天皇制を鵺(ヌエ)であらわした橋本治の描写とともにかなりのヒットだとは思った。

保育園と地続きのホスピス、という絵が書かれていて、これは要するに『崖の上のポニョ』で描かれた「ひまわりの家」のまんまで、この作品はやはり宮崎が自分の理想を描いたものだったんだなということを改めて思った。

それから作品の作り方について書いているのも興味深かった。「あくまで勘ですけど、映画を作るときというのは、こうやってこうやれば納まるなという、やぐらみたいなものをまず組み立てるわけです。あそこに上ってこうやっておけば、ここら辺でできるだろうって感じで。つまり、解決するためには、解決可能な課題に絞りこまなきゃいけない。なんか映画の秘密みたいですけど、こいつをやっつければケリが着くとか、この問題をクリアすれば、世界はどうあれ、とりあえずこの場においてはカタルシスがあるとか、そういうクリアの仕方がある。」以下『もののけ姫』のサンの人間に対する憎悪を解放することが可能かどうかが検討されたりするわけだが、この考え方は作品作りに対する私の感じ方・考え方に近く、なるほどなあと思ったし、やはりそういう方向で考えればいいんだなと思った。

自分の小説の方は、今二度目の書き直しに入っていて、ちょっと話を大きくし過ぎたところをどうやって「解決可能」にするかが難問になっているのだけど、ものを作るためのモデルケースとしてこういう例、考え方が示されているのはありがたいし参考になるし心強い。何事も先達はあらまほしきかな、である。現在50/192ページ。

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