落ち込み/宮崎駿『魔女の宅急便』と荒井由美『ルージュの伝言』

Posted at 10/10/31

午後10時。ようやくブログを書こうという気分になってきた。今日はほんと久しぶりに落ち込んでいた。いや、久しぶりと行っても、本当はそれほどではないのかもしれない。どちらかといえば、なんとなくローな気分のときは体調がよくない、と書いてた気がする。でも今日は体調というより落ち込んでいた、と書きたい気分。落ち込むことだってあるよと思う。でも落ち込んでても、鬱だとは書かないほうがいいなと思う。いや実際、鬱と落ち込みとは違う。鬱は理由がわからないとき、落ち込みは理由が自分としてはよくわかっているとき、だという感じがする。だから鬱は、理由が分かれば解消することもある。だから私の鬱はそう病的ではない、と自分では思っている。落ち込みは、理由がはっきりしているだけに考えていても直らないが、街に出かけたり行動することで何とかなることが多い。

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋

落ち込んだ理由はわりとはっきりしている。村上春樹『若い読者のための短編小説案内』を読んでいて、長谷川四郎が置かれていた状況と子どもの頃の自分が置かれた特殊状況とが重なってしまい、その刻印が自分から離れない、という考えに捉えられてしまったからだ。まあもともと私は思い込みが激しい方ではあるが、私は傷ついた人間にしか共感できない、というようについ思いつめてしまったのだ。

実際のところがどうなのかはいまいち判然としない部分もあるが、ただあんまり素直に恵まれた人に対する反感というのはないわけではないし、創作上でも自分がリアリティを感じるキャラクターというのはやはり傷ついた部分を持っている人間であるのは確かで、能天気なキャラクターやストーリーに共感を覚えるときというのはこの世はどうせ苦しい場だから今はただただ楽しもう、という気になっている時なのだ。

しかし、この観念に囚われると底なしで、出口が見えなくなってしまう。今ちょっとペースを取りもどした目でそういうときの自分を見ると、何か自分の弱さを内面の傷とか外傷、あるいは傷つけた外部の人間のせいにしているところが見えてきて、それはそれでつまらないなと思う。自分を痛めつけた人間、あるいは勢力は確かに存在したし今もまた存在するかもしれないのだけど、自分が痛めつけられるのは自分に弱さがあるからであることもまた確かなので、その外的要因を避けるなり何なり、自分でできることをしていくしかないのだと思う。死にたくなければ。子どもの頃の自分はただただ耐えていたので、そのトラウマが残りやすくなってしまったことは確かなのだけど、耐えるというよりは自分の弱さを克服することの方に力を注げばよかった。でも何が弱さを克服するかといえば、自分のやりたいことをやりぬくことによって自分の強さを獲得することしかないわけで、私の場合は結局、昔から書くことしかなかったなと思う。他の方向に行ったことも多々あるのだけど、結局は。

ただまあ、そういうことを考えたのは、自分が今書くことの方向性にいろいろ迷いを感じていた、というかものを書き出すと当然自分の中身を探らざるを得なくなって、それがちょうどはまったということなのだけど。だから物書きが時々陥る落とし穴にはまったということに過ぎない。過ぎない、ということにしておこう、とりあえずは。

***

というわけで村上春樹『若い読者のための短編小説案内』は読了。落ち込む原因にはなったが、参考になるところもたくさんあった。そこに提示されているいろいろな書き方が、一度は自分も考えたことがあることが多く、みなそういうことを考えてるんだなというふうに感じられることが多かったし、こういうことを試してみたらいいかなということもあったから。

美味しんぼ 105 (ビッグコミックス)
雁屋 哲
小学館

昨日の7時前の特急で上京したのだが、東京は台風で大変なんじゃないかと思ったけど、結局そうでもなかった。列車に乗る前に駅の売店で弁当を買って、そのときに雁屋哲『美味しんぼ』の105巻が出ていたので買った。この号は一冊ネオニコチノイド系農薬の問題点について。このことは甲野善紀氏も以前から言及していて、雁屋哲がこのことに関心を持っているという話が少し前にあったが、もう単行本としてまとまったようだ。もうこのマンガはある意味ストーリーや表現としては崩壊しているが、食文化や食をめぐる環境問題の深刻さを告発するための媒体としてのみ機能しているという感じになっている。私も全巻持っていて持つ意味あるのかなあと思うことも時々あるのだけど、今回は意義があるように思った。

BARレモン・ハート(26) (アクションコミックス)
古谷 三敏
双葉社

列車の中で読み終え、地元に帰って帰りにツタヤで宮崎駿監督『魔女の宅急便』を借りて帰る。このところ何度も借り損ねていたからようやくという感じだ。少し見て夜中に腹が空き、ローソンに買い物に出たら古谷三敏『レモンハート』26巻が出ていたので買った。このマンガも偉大なるマンネリで、以前はバーや酒の知識についてはこの本が私のネタ元だったが、今ではよりリアルな『バーテンダー』にその場所を譲っていて、『レモンハート』の方はこのマンネリを味わうことの方に主眼が移った感じになった。でもまあマンネリのバリエーションもこのところ少しふくらみがでてきた感もある。

COBALT HOUR
荒井由実,松任谷正隆
EMIミュージック・ジャパン

『魔女の宅急便』。昨日深夜に最初30分くらい見た。出発の場面から、空に飛び上がってラジオをつけたら荒井由美「ルージュの伝言」が流れたところでもうころっとやられた。この曲の使い方がもう最高に上手い。かっこいい。こういう演出を自分もしたい、と思わせられた。それに、私にとって「ルージュの伝言」というのは特別な曲でもある。中学一年のとき、初めて歌手名を意識してユーミンの曲を聴いたのがこの「ルージュの伝言」だったのだ。

それまでの日本の歌手にない、斬新な音作りと、独特の声、そしてなんとも日本離れしたアメリカ的なものを感じさせる歌詞。メロディー進行もあっけに取られるような飛び方。「街がディンドン遠ざかって」行ったりしちゃうわけだし。私が始めて音楽をカセットテープに録音したのがたまたまFMで流れていたこの「ルージュの伝言」で、その鮮烈なイメージは今でも忘れられない。鮮烈過ぎて、結局ユーミンのファンにはならなかったけど、好んで聴いたし結婚前の最後のNHKで放送されたコンサートも見た。「恋のスーパーパラシューター」とかすごかったな。

いやいやユーミン話になってしまうが、本当は初めて聴いたユーミンの曲は「中央フリーウェイ」だったのだ。この曲もすごい不思議なイメージで、当時の自分の楽典の知識では全然とらえきれない複雑なコードが多用された曲だった。歌手名も最初はわからなかったのだが、ユーミンだと後で気づいてこれにも衝撃を受けた。私は子供のころ中央高速が見える府中の街で育ったので、なんとなく地元のテーマソングみたいな気がして(聴いたときにはもう東京にはいなかったけど)誇らしい気がしたものだった。「右に見える競馬場、左はビール工場」とかね。私の小学校には府中競馬場の厩務員の子供たちとかも同級生にいたし、厩務員住宅に遊びに行ったこともある。競馬場に入ったことは、ついに今まで一度もないけれども。

いや、一気にユーミンの話になってしまった。途中で眠くなったので見るのをやめ、ちょっとソファーでまどろんでいたら2時を過ぎてしまい、入浴して寝た。

今朝起きたら8時を過ぎていて、同時に本格的な落ち込みが来ていて、一日のほとんどの時間を何もやる気が起こらずにのろのろと過ごす。お昼ごはんには一応ご飯を炊いて、アリオ北砂で買ってきたちょっとしたおかずに豆腐の味噌汁を作って済ます。『魔女の宅急便』を少しずつ見たのだけど、この作品、主人公のキキがいちいち落ち込むので、自分も続けてみていられなくなってしまって困った。少し見ては休み、少し見ては休みという感じでなかなか続けて見られなかった。

魔女の宅急便 [DVD]
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

2時を過ぎてから少し心の整理が出来て最後まで見るつもりで見始める。女の子の思春期の悩みという見方は私には上手く出来ないけど、ただ他の作品に比べてリアリティがあるなと思ったのは、男の子や男性に対してキキが警戒心を持っているところ。これは宮崎のほかの作品にはあまりない。『トトロ』でサツキがカンタに「男子なんて嫌い!」というところがあったが、あのくらいかな。あの男の子に対する警戒心というのは、ある意味日本人の女性作家でないと書けないところがあるんじゃないかと思う。トンボと仲良くなった海岸の場面で、トンボの仲間たちがやってきてまたイヤな気持ちになってしまうところとか、ああいう女の子の心理のリアルさというのはやっぱり面白いなと思う。

気持ちの盛り上がりと落ち込みの繰り返しがこれだけ描かれたのは宮崎の作品にはほかにないだろう。まあそんなものをこの落ち込んでいるときに見るというのがなんだかある種の天命だとは思うのだけど、やっぱり森に住んでる絵描きの少女・ウルスラが訪ねてきてくれたのが危機にだけでなく、見ている私自身にとってもすごく救いになって、あそこから後は気持ちよく最後まで見られた。最後にトンボの危機を救いにデッキブラシで飛んでいくところなどはいつもの宮崎の元気な女の子になっていて、あのへんは爽快感があった。そして最後にユーミンの「やさしさに包まれたなら」。心憎い配曲。みんなあれはやられるだろう。他人事じゃないが。でも私は、「ルージュの伝言」の使い方の巧みさの方が好きだなと敢えて言いたい気がする。

見終わってみて、この作品が人気があるというのは本当によくわかる気がした。作品の完成度とかオリジナル性とかそういう客観的な評価でなく、どれだけハートに来たかの基準で言えば、宮崎作品の中でこの作品がトップだったかもしれない。いや、その中には「ルージュの伝言」の使い方とか、そういう要素もあるからなのだが。

この作品が心に残るもう一つの要素は、「働くことって、大変だよね」というものがあることだ。やるべきことが満足に出来なかったり、一生懸命やったのに相手に喜んでもらえなかったりという小さな挫折が常に付きまとう「働くことの大変さ」を乗り越えていく過程に、少しでも仕事というものをしたことがある人なら共感を覚えずにはいられないところがある。思春期の心の動きの珠玉のような美しさとか、働くことの大変さへの共感とか、子どものころに見ていたのではわからないことが大人になってからとてもよくわかるようになる、そんな作品だ。そういう意味では『紅の豚』のように、ある意味大人向けの作品になっているといえなくもない。

でもまあ、正直言ってこの作品を見終わったときには、私もこういう作品が書きたい、と思った。読む人の心が解放されて、豊かになって、元気になれる、前向きになれる作品。この世の中にはそういう作品が、もっとあってもいい。そういう作品を書きたいと思った。まあ、それは個人的な話。

見終わって、前向きな気持ちになって、出かける。降水確率が90%だったので地下鉄に乗る前に西友によって傘を買う。地下鉄で日本橋に出る。ツイッターでコレド室町の話を聞いていってみたら木曜日にオープンしたばかりで楽しそうなところだった。地下のタロー書房が広々とした感じになっていてなかなかいい。タロー書房はあの場所だったっけな。割と品揃えが面白い書店だ。他にもにんべんのだしの匂いがプンプンする店とかいろいろあって遊びに行くのも面白そうなところだった。

必生 闘う仏教 (集英社新書)
佐々井 秀嶺
集英社

それから三越の地下に行くと、結構新しいものがいろいろ出来ていて、ハロッズの喫茶店とかも銀座三越よりよさそうな感じに見えた。夕食の買い物をする。それから日本橋駅に戻ってコレド日本橋でパンを買ったりサラダを買ったり。丸善の二階でマンガを探したが見つからず、佐々井秀嶺『必生 闘う仏教』(集英社新書、2010)を買う。佐々井師は山際素男『破天』(光文社新書、2008)で描かれたインドに渡った日本の仏教僧で、アンベードカルの衣鉢をついでインドの不可触賎民の仏教化を指導し、一大勢力を育てつつある文字通り破天荒な坊さんだ。そのことは以前、このあたりのエントリに書いたことがある。私はこの本、すごく衝撃を受けたのだが全然話題にならなかったのでちょっと残念だなと思っていた。『必生』は佐々井師の日本における若手僧侶への講演を筆記したものだそうで、日本国籍を捨てインドに帰化した(これも相当困難なことであるらしい)ある(あるいは真の)仏教者の魂の檄であると言ってもいいもののようだ。読むのはこれからだが。

破天 (光文社新書)
山際素男
光文社

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