国家とか社会とか世界とかのこと

Posted at 10/09/30

今朝も朝から雨。まだまだ晴れれば暑くなる日もあるような気がするのだけど、これだけ雨が続くともう夏に戻ることはないだろう。地表全体が冷やされて、秋の気配が強い。私の部屋の前のコスモスが満開になっている。年によっては6月ごろからずっと咲いているのだけど、今年は一度涼しくなってから急に咲き始めた。夏は他の雑草がはびこっていてコスモスの咲く隙がなかったということもあったので、夏の終わりころに他の雑草を抜いておいたのがよかったなと思う。毎年よくコスモスが咲くのに今年はさびしいなと思っていたから、ここに来て満開なのを見ていると、よかったなと思う。

今週のモーニング。ネタバレあり注意。

「ピアノの森」のない週で、しかも「宇宙兄弟」が休載。そうなると読むものが「ジャイキリ」くらいしかないなという感じなのだが、ジャイキリは今週号で椿がイエローをもらって次週が出場停止。となると今度はスタンド組だが、そうなると次の試合は多分ガブリエルと殿山が出るんだろうな。その活躍も楽しみだ。サポーターも新風が吹きそうだし、期待大。今週よかったなと思うのは「特上カバチ!」柳田にこんこんと説得される大野。「のう大野。お前が何をやろうと自由じゃけどのう。ただこの世に男として生まれて来たんじゃけん、女 子ども、他人(ひと)様の痛みがわかる人間にならんとつまらんわい」そう言われて、事件屋をやめて法律屋になるように説得される。そして大阪で運転手をしながら行政書士を目指し、そこで重森と出会う。高卒の資格取得のために夜間高校に通って。生き方を転換させた事件が印象に残る。「柳沢教授」執事萌え路線。「神の雫」ヴァン・ジョーヌ。飲んでみたい。「ルシフェルの右手」新キャラ登場。委員長タイプの女医。「僕小」。コミックスタジオの使い方。へ―。「誰寝」ベランダにおける保守対過激派の一戦。こんなところか。次週のフィーチャーは「ReMember」か。来週はへうげもの、宇宙兄弟、ピアノの森が掲載されるから来週に楽しみをつなぐか。

国家とか社会とか世界とかのことを人の頭でなくまともに考え始めたのはいつのことだっただろうか。もともと、中学で学んだ「民主主義」というものの原理がよくわからなくて、それがなぜ正しいとされるのかずっとわからないなと思っていたから、考え始めたこと自体はずいぶん前からだったなと思う。しかしどういう政体がいいかとか、世界はどうあるといいんだろうとか、そういうことについて自分の確固たる意見があるとはまだ言えない。中国のやり方はよくない、ということは思っても、じゃあどうすればいいんだと言われてももちろんこれがベストだということは難しい。それなりの意見がないわけではないが、それがベストだという確信を持って言っているわけではない。日本の政体にしても、天皇という存在をどのように矛盾なく現代世界における政体に組み込むのかとか、現今の世界状況の中で安全保障政策はどれが最上なのかとか、そう簡単に言える問題ではない。経済発展至上主義にも同意できないが、資本主義体制を続ける限り不況状態が長引きすぎるのはあまりよいとは言えない。環境負荷の問題も大きい。

現在の日本は民主主義国家で国民が主権者だから、国民一人一人が国家の方針に関心を持ち、政治家や官僚を通じて正しいと思うことを実現して行くことは重要なことだと思うけれども、世界のことを考えるときにどのように行動すべきかということも難しい。日本という国家を通じてさらに間接的に働き掛けることも考えられるし、NGOなどを通じてより直接的に関わることも不可能ではない。しかし中国や北朝鮮のようにどんな手段を通じてもその内部に関わることは相当困難だという閉ざされた領域もある。企業も雪崩を打って中国を脱出して東南アジアに出て行く傾向があるようだが、問題はさらに複雑化して行くだろう。

そういう状況に一人の人間としてどう関わっていくかというのは本当にさまざまなことが考えられる。あまり強い関心を持たずに国家に任せておけばよいという考え方もあり、自分から国を飛び出して運動体を組織して積極的にさまざまな問題にかかわっていくというやり方もあり、また政治家や官僚になって国家そのものの運営に関わり、世界を変えて行くことを目指す、ということもできる。

その無数のバリエーションの中で、現実に自分が出来ることというのは、自分がやるということにおいて、自分という主体でやっていくことと環境に働きかけるということのバランスを考えなければならない。「自分の頭のハエを追えるようになってから」ということは一つにはある、というかまずは基本で、それが出来ない人たちが運動家になると何でも反対的な建設性のないものになってしまう。今の民主党政権はそういう状態から脱皮しようともがいているのだろうけど、それは本来政権を握る前にやっておくべきことだった。もう政権を取って一年以上になるのだから、いくらなんでも大人の行動が出来ないとまずい。しかしまだ自分たちの行動に十分責任を持てる政権にはなっていないのが残念だ。

外交上手な国というのは、それだけ綱渡りをしないと国内の秩序が保てない、という国が多いと言う内田樹の指摘は全くその通りなのだが、外交上手な国というのはそういう国ばかりではない。もう一つのタイプは、覇権国ということだろう。具体的に言えば第二次大戦までのイギリスと第二次大戦後のアメリカということになる。それらの国は自国の国益のために世界秩序を維持しているという側面はもちろんあるけれども、その秩序を維持するコストは基本的にノブレスオブリージュと思っている。アメリカがそれを日本にも分担させているのがホスト国負担、思いやり予算と言われているものだ。民主党政権になって日本が日米同盟をどのような形で維持するかは世界中の関心の的になっているだろう。やはりその動きを見ていると安全保障をアメリカだけに依存するのではなく、中国その他の諸国との緊張緩和によってより安定した、アメリカに頼らない安定を望んでいるように思えるが、それが可能であるのか、あるいは倫理的に正しいのか、はまた別の問題だ。

それは中国の共産主義という政体をどのようにとらえるかということにあるだろう。民主党の首脳部は基本的に共産主義や社会主義に郷愁を持っていて、中国にも言われのない親近感を持っているように思われる。中国もそれを利用しながら日本側の足をすくい、自国に有利なように事を運ぼうとしている。日本が法治主義国家であることを少し軽く考えている傾向があるのは、弁護士でもある仙谷氏らには残念なことだ。社会主義とか共産主義に関する幻想は彼らの甘酸っぱい青春の1ページに由来していることは間違いないだろうけど、彼らの頭の中にある幻想と現実の中国や中国共産党、人民解放軍というものは全く別のものであって、それらはそれらとしてちゃんと研究しなければいけない。そういう研究が日本政府はやはり甘いと思う。

一方アメリカに関してはさまざまな論点が研究されてきているけれども、これもまだ研究不足だろうと思う。まああまりに多面的な国であるためにオーバーフロウしてしまう面があるのはやむを得ない。しかし特に考えなければならないのは、「正義」の問題だとおもう。日本人は正義というとどうもイデオロギー的にとらえてしまって敬遠する傾向がある。もともと日本人は実行重視・現場重視の文化を持った民族で、大義名分とか正義とかそういうことをじっくり考えるのが苦手なところがあり、なるべく早くどちらが正しいのかを決めてそれに全力を注入するか、でなければいつまでも態度を鮮明にせず洞ヶ峠を決め込んで柳に風と受け流すか、どちらかになりがちだ。

しかしそれも確たる信念があってやっているのであればいいのだけど、どちらにしても場当たり的になりがちなのが困るわけで、その「確たる信念」をきちんと醸成するために、「正義」という概念にはちゃんと正面から取り組まないといけないと思う。

サンデルは東京でも学生との対話を持ったが、北京でも同じようなことをやったと言う。茂木健一郎はツイッターで「北京でも真摯な討論が出来ました」とサンデルが語ったと書いていたが、案外そうかもしれないと思う。北京の学生たちの課せられている思想的表現的制約は日本の比ではないが、大義名分や正義というものを考えて来た長い歴史を彼らは持っている。諸子百家の時代から、新法党と旧法党の抗争の時代を経て、現代に至る長い歴史を。それが中国が変わるきっかけになればいいと思うし、サンデルの望みもそういうことかもしれないと思う。

私も政治や国家、あるいは社会のことを考えていると時々頭に血が上ることがあってよくないのだが、まずは個人のレベルから国家や社会、そして世界はどうあってほしいものなのかを考えることが出発点なのではないかと思う。

基本的には私はデカルトに対抗したヴィーコの保守主義的な視点が正しい部分が多いとは思うのだが、さすがにそれだけで変化しつつある世界に対応することはできないわけで、もっと多様な観点からものを考えて行く必要はあるように思った。頭に血が上らないように、ぼちぼち考えて行きたいと思う。

サンデル『これから正義の話をしよう』の読みもまだ全然進んでいない。この本がどうして読みにくいのか自分でよくわかっていなかったのだが、自分が肯定的にとらえている保守主義的な側面が、少なくとも最初の方ではあまり議論されていないということかもしれないと思った。正義を巡る三つの問題、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進の三つの面から、さまざまな問題、さまざまな事象を考えて行こうという彼の方針は分かりやすいし、思考実験としては面白い。ただそれだけでは、伝統とか習慣の力というものをどのようにとらえるかという言わば保守主義的な観点が弱いように思う。目次を見たところ、それは多分、主に美徳という側面に、一部は幸福という側面に吸収されているのだろうと思うけれども。

まあ、今がその時であるのかどうかはよくわからないが、この本をちゃんと読んで自分なりに納得が出来るまで消化してみるのはよいことだと思う。それは多分、創作者としての自分も鍛えてくれる部分があるように思う。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル,Michael J. Sandel
早川書房

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