売れているものを避けてきたわけ/貴族のお嬢さんの書いた文章/ツイッターのトラブル

Posted at 10/09/22

昨日おととい、少し無理をし過ぎたせいで今朝は疲れが出ている。少しインプットのしすぎだった。朦朧としながらいろいろなものを詰め込んでいた感じだ。でも映像というのは活字とは全然違う想像力をかきたてられていいなあと思う。今まで変なこだわりから見ていない映画がたくさんあるから、これからたくさん見られると思うとそれも楽しい。あまり無理しないで少しずつ見て行きたいと思う。

色々見たり読んだりしていると思うこともたくさんあって、ああいうのもやれるんじゃないか、こういうのもいいんじゃないかという妄想みたいなものはどんどん出てくるのだけど、どんな形にしろ小説を書くという目標は変えない方がいいと思った。やれそうなことがいろいろあるときに少し面白そうな方、やりやすそうな方にすぐ引かれてしまうことが多かったから、それで自分のやりたいことが分からなくなるということになった面もあったように思う。やりたいことは、やりたいからと言って楽だとは限らないし、単純に楽しいとは限らない。時によっては面白かどうかさえ分からない。つまり、面白いとか楽しいとか楽だとか言う以上に、「やりたいこと」というのは大事だ、ということ。

今いろいろなものを見だしたり読みだしたりしているのも、自分が物を書く者としての幅が足りないということを思ったからだ。自分の考えというのはなかなかうまくまとまらない。自分が面白いと思ったことが人に面白いとは限らない。なのに、自分にとっては当たり前のことを話すと人がすごく面白いと思ってくれたりする。しかしそれを書こうという気にはなかなかならない。自分が書きたくて、人が読みたいと思ってくれる、その接点がどこにあるのか。

自分が今まで『スターウォーズ』やジブリ作品を見て来なかったのは、自分が面白いと思わなかった、つまり「流行りものなんて見てられるか」という格好の付け方と「すごくヒットするようなものは自分には面白くない」という決めつけがあったからだ。自分は、なかなか人が面白いと思わない面白いものを見つけ出して、それを楽しみたい、という気持ちがあったからなのだけど、そうすると皆が面白いと思うものがもし面白かった時にそれを楽しむ機会がなくなる、という問題があるわけだ。今まで、それでもいい、と思っていたけど、自分が表現する立場であることを自覚すると、そうとばかりも言ってられない。みなが面白いと思ったものにはたくさんのコードが埋まっているわけで、他の作品を読んでいてもそういうコードが分からないと本当には楽しめない、ということがある。『スターウォーズ』と『勝手にしやがれ』を見ていて、そういうのが本当に沢山あるなとしみじみ思った。勉強と楽しみを兼ねて、つまり趣味と実益を兼ねて、そういうものをもっと見て行かないといけない。そういうものに、今後のヒントが埋まっているのかもしれないとも思う。

何と言うか、独学で二次方程式の解法を見つけた人のような話なんだな。数学の天才的な力を持つ子どもが、経済的な事情で進学できず、小学校の知識を一生懸命展開させて工夫しているうちに、40くらいになってものすごい発見をして小学校の先生に興奮気味に報告に行ったら、それが二次方程式の解法だった、という話だ。進学する機会があったら中学で学ぶことを、独学で見つけると言うのは本当に天才的なのだけど、ものすごく残念なことなわけだ。リソースが使えるのだからそれは生かさなければいけない。

今書きながら思ったけど、一つには面白いものを見て、それにはまることを恐れている、という面もあったかなと思う。子どもの頃、ウルトラマンやウルトラセブンを見て、怪獣の名前やら体調やら身長やらをどんどん覚えたり、小学校から高校にかけてやたらと流行歌を覚えたりしたような、そういうマニアックな方面に行ってしまうことを恐れていたところはあったなと思う。

まあ自分のそういう性向をコントロールしようと思ってそれに手を出していなかったうちに、世の中の風向きが変わってきて怪獣博士だとかコスプレだとかスターウォーズ研究家だとかが出てきたり、勝手にスピンオフ作品を作る人が出てきたり、おたくやマニアが市民権を得る時代になってきたけれども、まあやっぱりああならなくてよかったなという気持ちはなくはない。ああいう楽しみ方は純粋に消費者として楽しんでいるんで悪いことではないんだけど。

ただ、たとえばC-3POみたいなキャラクター、つまり色々ごちゃごちゃ言うけど全然役には立たないロボット、みたいな存在が何のメタファーなのかとか、そういうロボットがパロディとして登場する作品とかをそのコードを読みながら重層的に楽しむ、ということが出来ないし、そのコードの利用の仕方みたいなものが学べないということはもったいなかったと思う。

話が繰り返しになってきたので書きたいことは大体これで書いたのかなと思う。

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白洲正子と野口昭子を並行しながら少しずつ読んでいると、ものの見方とか感覚的なものは両者の条件の違いからすごく感じるのだけど、読んでいて共通する何かがあってそれは一体何だろうと思いながら読んでいたのだが、それはつまり、「貴族のお嬢さん」の書いた文章だということなのだと思った。

どうも私は、そういう種類の人が書いている文章が好きならしい。他には例えば、犬養道子だろうか。秩父宮勢津子妃の文章なども好きだった。秩父宮妃は宮中に入るからまた話は違うが、明治に生まれて戦前に特権階級で育ち、そういう特別な世界をある意味喪失して戦後の時代を生き抜く、そいう言う共通項が彼女らにはある。彼女らの書く話には、古き良き時代のエピソードから、現代の折りにふれての感想、戦中戦後の苦労話にしても、やはり「庶民」とは違う話の面白さがあって、つい引き込まれてしまう。

きちんとした教育を受けているだけでなく、女子としての教育を受けている世代、ということもあるのだろうか。毅然として、凛として、たしなみがあって、すごいなと思う。

貴族のお嬢さん、を主人公に書いたといえば太宰治の『斜陽』を思い出すが、まあ仕方がないのだけど太宰の作品は絵空事であって、現実の重みがない。時代が重戦車のように動いて行く、あの実感、あの質感、あの量感、すべてをなぎ倒して時代が進んでいく感じがない。

まあこんなふうにまとめてしまってもあまり意味がないんだろう。どうということもないかもしれないが、貴族のお嬢さんの話を私は面白いと思う、ということを書いておこう。

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昨日おとといはインプット過多だったという実感があるが、一日中本やマンガを読んでいる、ということは実は私はそんなに珍しくはない。でもそういうとき、常にインプット過多という感じになるとは限らない。新しい面白い本を夢中で読んでいる時はどんどん情報が入って来るのでああ吸収しすぎている、栄養がよすぎる、という感じがしてしまうことがあるけれども、今まで読んだ本やマンガを何度目か分からないくらい読み返すということがよくあって、そういうときはもちろん新たな発見とかもあることはあるのだけど、インプット過多にはならない。自分でその世界に浸っているだけで、吸収というよりは、自分の知っていることをもう一度読むことでなぞって行く楽しみ、というようなものだ。だから同じ本を読むというのでも、新しいものを読むのと何度も読んだものを読むのとでは全然違うことをしているのだな、と思う。昔読んだ本をもう一度読む楽しみというのはまたその中間的なもので、新たな発見(再発見も多分多い)をしながらなぞっても行く。これだけ新しいものが出てくる時代だから、そういうふうに特定の本に親しむというのはやりにくい面もあるのだけど、ものを書くと言う上では大事にしたい部分でもある。

白洲正子は西行のことについて単行本も書いているし色々なところで触れてもいるが、野口昭子も若いころは西行に憧れたということを書いていて、ああ、昔の女学生というのはそういうものだったんだなあとなんか感慨があった。ある意味、それだけ身近な存在でもあったのだろう。何の変哲もない水場が西行の歌を思い出すことでとてもロマンチックな場所になる。現代の都市とホラーや何かとの関係もそういう想像力過多の年代の産物といえば同じなのだけど、やはり西行と自然との関係を感じてくれた方がゆたかな感じがする。

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風姿抄
白洲 正子
世界文化社

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昨日は10時過ぎに家を出て、丸善丸の内店によって白洲正子『風姿抄』(世界文化社、1994)を買う。昨日もどこかに書いたが、月曜に東京堂で立ち読みした時に、白洲正子の文章が自分の今の文章の原点だなということに思い当ったからだ。文章の練習らしきことをしたのは、河合隼雄の朝日新聞連載コラムを一時毎週原稿用紙に筆写していた時期があった、というくらいだ。まあ、特急の中で白洲を読んでいると、もうすでに私の文章も全然違うところにいるなあとは思うのだけど、何というか文章の呼吸のようなものを、河合と白洲からは学んだように思う。こういうふうに書けば書ける、という書き方というか。本当はそれで書いたものをもっと推敲して行かなければいけないし、河合も白洲もかなり推敲はしていると思うのだけど、そのあたりは私はまだまだ足りないなと思う。

特急の中ではそのほか野口昭子『時計の歌』とかマイケル・サンデル『これから正義の話をしよう』などを読んでいた。

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夜に仕事を終えた時、パソコンにウィルスバスターの無料アップグレードの案内が出たのでそれをやっていたら、そのことをツイートしたらアマゾンの商品券が当たる、という甘い誘いがあったのでそれに応募するためにツイッターにつないだらたいへんなことになってしまった。いきなり画面がグレーになって変な文字が現れたと思ったら操作不能になってしまい、勝手にどんどんリツイート(RT)されていく。ホラー状態だった。同じトラブルは同時に多くの人に起こったらしく、携帯でアクセスしてみるとみんな叫んでいる。

結局、ツイッター本体の脆弱性を突いた変なスクリプトがRTによって蔓延したのが原因で、ツイッター本体でなく他のクライアント(モバツイとか、携帯とか)を使ってた人には問題は出なかったようだ。しかし帰宅までに完全には問題を解決できず、朝起きてから職場に出てもう一度パソコンをいじって問題が収束していることを確認してようやく一安心した。

まあ、ツイッターをやっているといろいろなトラブルには慣れっこになるし、そういうのもまあ仕様なんだよな、みたいな気分になるものだが、昨日のトラブルは久々にかなり派手なものだった。関係者のみなさんお疲れ様です。変なRTでご迷惑をおかけした方にはお詫び申し上げます。もっと迅速に対処できる力があったらよかったんですが。

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