久しぶりの雨/新しい面白さが認められるまで/私はデカルトを笑うことはできない
Posted at 10/09/08 PermaLink» Tweet
久しぶりに雨が降った。夜中に降ることは信州では時々あったけれども、日が出る時間以降に雨が降っているのは久しぶりだ。10時の気温が23.5度。今までの気温に比べると驚くような気温だが、季節を考えるとそんなこともない。今日は白露。残暑もこれでようやく一区切りつくのだろう。東京も26.4度だから今日は東日本は涼しい日和なんだろう。
昨夜はずいぶん激しい雨が降って傘をさしていてもびしょぬれだし、車のワイパーもフル回転させていた。でも少し時間が過ぎると嘘のように上がったり、今朝も目が覚めた時にはかなり降っていたが、今は虫の声が聞こえるだけだ。低い雲が遠くの山にかかっている。やはり台風に影響された雨という感じだ。
昨日帰郷。昨日は少し早く家を出て、丸の内の丸善で仕事の本を何冊か買ったので、荷物がだいぶ重くなった。お腹の調子がいまいちだったので弁当を買わず、おにぎりを二つと月曜に木村屋で買ったパンの残りですます。車内ではおおむね寝ていたが、起きている時にはオースター『ガラスの街』とペルヌー『フランス中世歴史散歩』を読む。基本的に、二冊ともあたりだった。面白い。
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『フランス中世歴史散歩』。フランスの各地方を、中世の歴史をたどりながら紹介する、といった趣。1章はノルマンディー。ノルマン人の首長ロロンがカロリング朝の国王からノルマンディーを与えられてから、ウィリアム征服王がイングランドを征服し、プランタジネット朝がギュイエンヌからアンジュー伯領、ノルマンディーからイングランドにかけての大領土を築きあげたのを、カペー朝の諸王がその領土を削ることに腐心し、ついにフィリップ2世尊厳王がジョン失地王から最終的に奪い取るまでの期間を描く。2章はブルゴーニュを修道士の国とし、クリュニー修道院や、シトー派の聖ベルナールの活躍を描く。3章はカペー家発祥の地、イル・ド・フランス。王権の歴史、宮廷の実態、中世の人々の暮らしなど、かなり詳しく書かれていて、長い。まだ3章の途中。64/262ページ。中世フランスのことについては知っていることもかなり書かれてはいるけど知らないこともかなりあって、知識をまとめ掘り起こしながら読んでいる感じがする。
ただ一般向けということもあるのだろう、どの世紀がどういう状態か、というようなことについてやや厳密さが甘いというか何となく流れて書かれている感じがあるなあとは思った。これは日本の江戸時代研究の一般向けのものでも時にそうなのだが、江戸時代と言っても260年あるわけで、その中ではもちろんすごくいろいろ変化している。ウナギのかば焼きは田沼時代にはまだなかったと池波正太郎は書いているが、『風雲児たち』には平賀源内が「土用丑の日」にウナギを食うと夏バテしない、という宣伝を成功させたエピソードが出てくる。池波によるとかば焼きが出て来たのがその20年後くらいなのだが、ウナギ自体は串に刺した庶民の食べ物として売られていたのだと言う。だから本当は源内もそういうものをプロデュースしたのかもしれないのだが、まあそんな具合に結構時代考証というものは難しい。フランス中世と言っても長いので、教会建築にしても12世紀はロマネスク、13世紀はゴシックとかなり変化している。まああんまり厳密だと読みにくいということも確かにある。
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オースター『ガラスの街』。何かとんでもない本だなこれは。一応ミステリーらしくミステリー礼賛のような文章も書いてあるのだけど。以下はネタバレを書くことになるので、読む予定のある方は飛ばしていただきたい。
主人公ダニエル・クインのところに「ポール・オースターですか?」という間違い電話がかかって来るところから話がはじまる。つまり劇中の主人公に、「作者ですか?」という間違い電話がかかって来るという、頭がどうかしたのかと思うような設定。その電話は何度もかかってきて、結局クインは私立探偵・オースターを装って依頼主のところに訪ねて行く。そこで出会った依頼主ピーター・スティルマンは何を言っているのか分からない話を延々13ページにわたってし続ける。それを読まされるのもすごいことだが、午前10時に訪ねて行ったのに話終わったときには深夜になっているという展開もまたすごい。何ていうか、底が抜けている。オースターは今まで『鍵のかかった部屋』しか読んでいないが、印象が全然違う。冗談の質が何か不条理な笑いと言うか、そうだなやっぱりアイルランド系の不条理さなのかな、何か読んでいて意表を突かれてしまう。クインも、依頼主ピーターも、その妻ヴァージニアも、「普通」と思われる行動を全然しないところがすごい。まだ出てきていないピーターの父もすごいが、何というかみな「普通の行動だけはしないぞ」と決めた人たちが動いているみたいで、でもそれがあまり芝居臭くなくリアルな感じさえするところがすごいなと思う。64/216ページ。
ネタバレ(あんまりないけど)は以上。
ああ、こう言えばいいのかな。この小説の面白さは森田芳光監督の映画の面白さに似ていると。私が森田の作品を見たのは『ときめきに死す』と『それから』しかないけど、特に『ときめきに死す』に現れた可笑しさに似ている感じがする。ああ、ある種のアメリカ映画にも似ているところがある気がするな。この作品、出版を17社に断られたそうだが、それは分かる気がする。この面白すぎる部分をどう評価していいのか分からなかったんだろう。『ときめきに死す』も、公開はものすごく不入りだった。私が見に行った時もガラガラだった。朝日新聞の映画欄でものすごく酷評されていた。ズラウスキの『狂気の愛』も当時の評価はひどかったな。まあ、本当に面白いものは後になれば評価されるようになる。アヴァンギャルドであるということは大変なことなんだ。
***
ここ数日書いている、「文明批判」から始まった話なのだけど、文明批判と言うよりも本当はもっと深いところの、人間存在、いや人間だけでなくすべての存在を、私は疑っているところがあるということに気がついた、ということを昨日書いたけれども、まあだから後は笑うしかない、というふうに思った、というところまで書いた。
そのあとそのことについて考えが浮かぶままにしていたのだけど、すべてのもの、すべての存在を疑うということは、それはすなわちそれこそが「知」の本質ではないかということに思い当った。すべてを疑う。疑い得ないものは何もない。そう思った時、どうすればいいのか。おれがやるしかない、ということなのだ。信じられるものが何もなければ、誰にも何にも頼ることはできない。それなら、自分がやるしかない。何をやるかも、何を信じるかも、自分が決めてやるしかない。つまり、すべてを疑うということは、自分を発見するということなのだ。
ああ、これがデカルトが考えたことなんだなと思う。「我思う故に我あり」というのは、どんどん疑って行くと、結局何も信じられるものはない、疑い得ないものはないというところに行きつく。そこで、何も信じられるものはないんだというペシミズムに至って終わりになることも多いだろう。あとは笑うしかない、という私の発想は、どちらかと言うとニーチェに近いかもしれないなと今思ったが、疑い得ないものがない以上、何もかも私が何とかするしかないということになるわけだ。私が世界の中心になるしかないわけだ。「天上天下唯我独尊」というのもそういう意味だろう。
まあ疑い得ないものは何もない状態で、「私はどうするのか」ということが問われる。その状況自体が、私が中心になるしかないという状態を強いるわけだが、それを積極的に引き受けたいという気も起って来るというわけだ。「なんだ誰もやらねえのかよじゃあ俺がやるしかねえなもうまったくめんどくせーへへへ」みたいな感じだ。
そういう状態になると、結局何を信じてもいいということになる。何を信じようと勝手なのだが、デカルトはそこで「知」を信じることにしたのだ。疑いに疑って我を発見した(それが方法的懐疑というわけだな)知の力を信じて、世界像のすべてを演繹的に合理的に組み立て直す。それがデカルト哲学なのであり、近代を作った哲学の根本にある考え方なのだと思う。
近年デカルトの評判はあまり良くない。それは近代そのものの失敗がデカルトに帰せられているからで、私もどちらかと言うとそういう立場だった。でも今となっては、私はデカルトを笑うことはできない。デカルトは必死の思いで我を発見し、そして「知」によって世界を組み立て直すという壮大な試みを始めたのだ。それは結果、大きな間違いを生んだことは確かなのだが、それはデカルト哲学を「利用」した人々の問題であって、デカルト自体は必死に生きただけだし、何ていうかそういう意味ですごく身近に感じられる感じがした。
信じ得るものが何もない時、どうしたらいいか。たとえば仏陀が至ったのは四諦八正道という結論で、正しく見、正しく聞き、正しく思い…ということを実践すればいいということ、生き物を殺さないとかまあ色々あるが、「正しい道」を行けと言うのが基本的に仏陀の考え方だろう。まあデカルトが「知」を信じよと言っているのに対し、仏陀は自分の指し示す「道」を信じよと言っている、と言えばいいだろうか。
まあ、そういう生き方も当然あるのだろうけど、私が魅力を感じるのは、仏陀が死に近づいたときに「世界は美しい」と言ったということで、信じられるものが何もないこの世界は、そうであるからこそはかなく、面白く、そして美しい、と言ってるんじゃないかと思う。
それでは私は何を信じるのか。と思ったときに、出て来たことは二つ。ひとつは、何も信じえないということが分かり、自分がやるしかないと思ったときに、そう思わせたものは何か、ということ。それは自分が生きているからであって、つまり「いのち」が自分にそう思わせたということだ。そして、そういうあらゆる情報はすべて体の五感(それ以外にもあるかもしれないが)を経由して入って来る。いのちないし生きる力というものと体というものを信じることが大切なんじゃないかということ。この辺、『回想の野口晴哉』に出てくる「全生の詞」というのが味わい深いと思った。
我あり、我は宇宙の中心なり、我にいのち宿る。
いのちは無始より来たりて無終に至る。
我を通じて無限に広がり、我を貫いて無窮に繋がる。(後略)
いのち、生きる力と言うのはどこからやってきたのか分からないが「私」に宿り、私が生きている間は私が使うことが出来て、私が死ぬときになればどこかに行ってしまう。その生きる力の広がりは私も含めて世界に広がっていて、私も含めて永遠に続いて行く。
というようなことだろうか。まあこのあたり、何を信じてもいいという次元では何を信じてもいいという話なんだろうなと思って読まれるかもしれないことなのだけど、何というかこういう考え方はいいなあと思う。
ただ、そういうことを考えていて、時間的な広がりには耐えられる、というか何もしてもしなくても時間は経って行くのだから怖がっても仕方がない、ということは思っていたのだけど、空間的な広がりを実は怖いと思っているということに思い当った。
自分が大きな挫折を経験してから、それ以前に比べてやはり外出や旅行、特に海外旅行は全然少なくなった。何というか、自分が自分であることを維持するのがやっとで、そういう空間的に未知なところ、あまり親しみのないところに出かけて行くことで自分がどうかなってしまうという漠然とした恐れがあるのかもしれないと思う。ひきこもり、というのもそういう恐れがもたらすものなのか、それは私にはよくわからないところがあるが、そんな感じなのかなという気がする。
そんなことを考えて少し煮詰まったので休んでいたのだが、結局、そんなことを言っていても仕方がない、私は「書け」ばいいんだ、ということに思い当った。
「書く」という行為によって、時間的にも空間的にも広がっていくということ。「書く」といういのちの働きによって、時間も空間も越えて行くこと。そう考えてみると、「いのち」というのは抽象的なものではなく、具体的なものなのだと言えるわけだ。「書く」ことが、私のいのちを働かせるための第一の方法なのだ、ということなわけだ。
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