「小沢首相」と「小沢後」/橋本治のすごさ/人類が滅びた後の空の青さ

Posted at 10/09/07

民主党の代表選が熱を帯びている。私は小沢一郎という人が、自分の選挙にこんなに一生懸命になっているということに少し驚いている。どちらかというと裏で糸を引いて政権を操り、強引に自分の意志を通していくというタイプの人かと思っていた。今までずっとその基本形で来たと思うのだけど、今回はかなりの迫力でやっている。どちらが勝つかは別として、その小沢の迫力というものにはみんな驚いているのではないかと思う。

私は、小沢一郎という人は「最終兵器」だと思っていた。最後まで出てこないが、最後の手段。鉄砲は最後の武器だ、われわれは忍者部隊だ!という番組が昔あったらしいが、最後の武器だという感じがする。つまり、「最終兵器」は出てこないところに意味がある。日本の政界に、今は影にいるが、ここに小沢がいたら、良くも悪くも想像のつかないようなことをやるんじゃないか、という雰囲気だけが93年の自民党下野以来ずっと漂っていた。しかし最近ではさすがにもうその雰囲気も期限切れという感じで、今更小沢でもないだろうという感じにしばらくなっていたのだが、「首相を争う」というこのときになってある意味意表をついて表舞台に復帰した。

もし小沢が政権に就いたらどうなるか。少なくとも日本は、「次は小沢がいる」というカードを失う、ということを意味する。もうそんなカードは期限切れだと思っていたが、タンスの奥にあった商品券が実はまだ有効期限が切れてなくて使えたみたいな感じで突如表に出てきた。そういう潜在的な小沢に対する期待のようなものが、ついに無効になるということを意味する。小沢はダーティーで権力的で自民党政権の負の部分を担ってきたイメージがあるが、その分若手の英語とITだけには強そうなタイプの政治家には出来ないことをやってくれるんじゃないかという期待を一身に担っているところがある。ある意味、小沢でだめならだれがやってもだめだろう、という存在でもあるわけだ。そのカードをついに使うことになるのか。それが切り札になるのか、戦艦大和の特攻に終わるのか、ひどい状態の日本を完膚なきまでに立ち直れなくしてしまうのか、そういう危険な魅力を持った政治家は、確かに他にはいない。小沢が政権につくことで、ようやく日本の政治も「小沢後」が始まるといえるだろう。中曽根が政権につくことで三角大福中の時代が終わり新しい時代に――より一層混迷した時代だったが――なったように、全然先の見えない新しい時代に突入していくのだろうという感慨がある。

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ダ・ヴィンチ 2010年 10月号 [雑誌]

メディアファクトリー

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昨日。仕事に必要な本は火曜の帰りがけに買うことにして、昨日は主に気分転換のために夕方出かけた。というか、そういえば気分転換になったなと今は思っているのだけど、出かけたときには目的ははっきりしていなかった。駅前の書店で少し立ち読みし、電車で銀座に出る。木村屋に久しぶりに入ってみていろいろおいしそうなのがあったので、夜はパンにしようと思って教文館書店に行った。一階で『ダヴィンチ』を買う。表紙を見て驚いたが、山岸涼子「テレプシコーラ」が最終回だ。これで終わるのか。そうか、残念。まさに大団円という感じで、コリオグラファーとしての新しい道に船出する六花、というところで第一部・第二部あわせて10年に及ぶ連載が終わるのだ。次号にハンブルクバレエ学校での六花の生活が番外編として描かれるということで、この先の展開を楽しみにしていたものとしては少しだけその欲望を満たしてくれるということらしい。まあ、この位の終わりがストーリーとしていいところなのかもしれない。第1部10巻は本当に波乱万丈に飛んだストーリーだったけど、第2部のおそらく5巻はローザンヌコンクールだけで終わる。数日間のストーリーなのだ。そのほか、「文学賞への道2010」という特集があって、そこで磯崎憲一郎が評価されていてなんだか嬉しかった。磯崎が好きだというわけではないのだけど、自分の作品が似ているといわれることがあって、なんだか救われる気持ちになるところがあるのだ。

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)
橋本 治
筑摩書房

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教文館カフェでコーヒーとスパニッシュケーキ。橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫、2001)を読む。この本はよるまでか買って読了したが、橋本らしい面白い作品。へえ、そうだったのかと思うことがいろいろあるのだけど、漢文からはじまり、レ点を打ったりして書き下し文が生まれ、それが『方丈記』のような漢字カタカナ混交文になり、『徒然草』に至って漢字ひらがな混交文になって日本語の書き言葉として完成した、という見方は始めて読んだがとても面白いと思った。一方で万葉仮名の万葉集から始まりひらがなばかりの平安文学が生まれ、それが現代まで脈々と生きて現代の話し言葉への潮流が生まれた、という話も面白かった。源実朝や兼好法師の「現代青年ぶり」の指摘もすごく面白かった。橋本治は難しいことをわかりやすく現代のいろいろなものにたとえて言うのがうまいのだが、これは誰でもできそうで、そうそうできるものではない。私も何かを説明するときによくやるのだけど、橋本ほどキレがあってお洒落にやるのは簡単なことではないんだと今回読みながら思った。橋本って「すごい」とあまり感じさせない作家なのだけど、その感じさせないところが本当はすごく「すごい」んだ、と改めて思った次第。

ガラスの街
ポール・オースター
新潮社

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二階に戻って本を物色し、小説としてポール・オースター『ガラスの街』(新潮社、2009)を、読み物としてペルヌー『フランス中世歴史散歩』(白水Uブックス、2010)を買った。前者は柴田元幸訳で、このところレベッカ・ブラウンの訳文としてずっと柴田の文章を読んでいたのでしばらく読みたくない感じがあったのだが、立ち読みしていてあまりにもあほらしい場面を読んでおかしくなってしまったので結局買ってしまった。オースターってアホだな、多分いい意味で。ペルヌーは少し読んだが、ノルマンディあたりの話しにルイ肥満王というのが出てきて、確かカペー朝のルイ6世のことだと思ったがイングランドのノルマン朝の内紛とは少し時代が違うなと思ったが、父フィリップ1世の共治者としてかなり早くから政治の実権を握っていたらしい。西洋史の本など久しぶりにひっくり返して読んでみたりした。

フランス中世歴史散歩 (白水uブックス)
レジーヌ ペルヌー,ジョルジュ ペルヌー
白水社

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自分の書きたいことが文明批判だった、というようなことを書いたけど、昨日歩いたり地下鉄に乗ったりしているときにいろいろ考えていて、文明批判というよりも実は人間存在そのものに対する疑問というか、いやむしろ「存在」そのものに対する疑問、みたいなものが自分の中にはあるなということに気づく。まあそこまで疑ってしまうとあとは笑うしかないな、というようななんかそういうネガティブを極めるとポジティブに転化する、みたいなところがあるなということを考えていたりした。しかしそんなこといっても自分でもあまりよくわかってないわけで、頭の中や気持ちを整理しようとしている自分はいる。まあ生きてるってこと自体が不可思議なことなわけで、それが面白いとか神聖なことだとか魅力的なことだとかまあ言葉は何でもいいんだけどとらえてみると面白いんじゃないかと思った。ある意味焼け跡の空の青さみたいなものだ。たぶん、人類が滅びた後の空の青さは、今よりずっときれいだろうと思う。そんなところに希望のようなものを感じる明るさというか、(そんなときに自分はもういないだろうけど)そういう部分が自分にはあるなと思う。そういうものを文明批判ととらえていたのだけど、それはどうも矮小化しているような気がしてきた。もっとラジカルでもっとアナーキーだ。

いろいろな小説のテーマやストーリーが浮かんでは消える。とりあえず書き留めておいて、あとで小説になるかどうか考える。

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