全編ヤニくさい短編

Posted at 10/08/25

朝のうちは涼しくて、夜も窓を閉めて寝られるくらいまで気温は下がるのだけど、午後になると二階の私の部屋は暑くて、「蒸し風呂」のように半裸でなければ過ごせないくらいになる。そんな部屋の中で私は午前中に、思いつくままブログの文章を下書きしていたのだけど、キッチンに昼食を食べに行って戻ってきたらその文章をアップする気がなくなっていた。

その文章は、「書こうとして書いた文章」と「思いつくまま書いた文章」を比較して、前者が表芸、後者が裏芸、と名付けて前者の方が面白いとは限らないが前者を書こうとしたほうがいい、というようなことをつらつらと「思いつくまま」書いた。というのは、前者は目的があるからブラッシュアップが出来るのだが、後者は特に目的がないのでブラッシュアップがしにくい。文章を上達させようとするなら、書こうとして書いて、それをブラッシュアップする、ということをくりかえした方がいい。ということは、詳しくは今書きながら考えたことなのだけど、もともと書く前からイメージは持っていた。

「思いつくまま書く文章」というのは、自分にとっては自分の奥にしまって自分でもどこにしまったか分からなくなっているようなことを表に出してみるために書くようなもので、自動書記によって無意識の世界を顕在化させる、みたいな超現実主義的な説明をつけようと思ったらつけられる。ここのところ自分が小説を書くときには主にそういう方法を取って書いていたのだけど、もう少し「書こうとして書く」ことをきちんとやった方がいいかもしれないとも思う。書こうとして書いた文章だって、必ず自分の気が付いていない何かがそこに現れる。むしろ、思いつくままに書いたのでは浮かび上がって来ないことが浮かび上がって来るようにも思う。色々な書き方をしてみることが大事なのではないかと思う。

若かった日々 (新潮文庫)
レベッカ ブラウン
新潮社

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レベッカ・ブラウン『若かった日々』139/222ページ。この短編集の中で「魚」とともに一番長い(32ページ)の「煙草を吸う人たち」を読了。「魚」は父との子どもの頃の話を書いた文章で、「煙草を吸う人たち」は父と母のことを中心として彼女の家族、兄や姉のことも含めて書いた文章だ。彼女の家族は、全員煙草を吸っていた。今まで読んだ中で、彼女の家族についての文章の中で一番記憶に残るのは彼女の父についての記憶だ。父と母が離婚するまで、父は自分の戦争での活躍をずっと家族みんなに話していたのだが、離婚して離れた後、本当は父が訓練を終えた時、すでに戦争は終わっていて、彼には戦争の経験がない、ということが明らかになった。彼女はその後も何度か父に会いに行っていて、「魚」は14歳のときに父に会いに行った話がメインになっているのだけど、その時にはすでに父の話がウソであることを知っていた。しかし父は新しい奥さんに、自分が軍隊でいかに活躍したかについて話していた。そして奥さんがいないところで、彼女は父に向けて「本当のことを知っている」と悪態をつく。そのあとの、しょぼんとした父と魚を釣りに行くところが何とも味わい深い。

「魚」より「煙草を吸う人たち」を先に読んだ方が、「魚」の展開がよくわかる。しかし「魚」の方が先に出ているので、「煙草を吸う人たち」を読んで、この話はこういうことだったのかと少し読み返すことになった。

「煙草を吸う人たち」でメインになっているのは、大学生になってから彼女が父に会いに行くところで、「魚」のエピソードですでに彼女に一目置いている、というか「わからない娘」になっている彼女は、このエピソードでは父の三番目の妻と一緒にメキシコに出かけている。この話は全編煙草煙草でヤニ臭くてもくもくと煙さえ感じるような話なのだけど、「煙草が両親の人生を救った」と彼女が語るとき、煙が目にしみるような感じがする。決して幸福ではなかった彼らの人生を救ってくれる煙。その激しさを、その暴れ出しそうな感情を、静謐な文章の中に閉じ込める、レベッカ。

***

今まで薄紙一枚隔てて現実に触れているような感じがあったのだが、そういう感じがなくなった。そのかわり、目が回るように忙しい。忙しいことと現実感の欠落とは関係はないのだけど。

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