35年前の国語の教科書に熱中する/イノセンスの爆発と洗練志向のアンバランス
Posted at 10/08/12 PermaLink» Tweet
ひょんなところから中学時代の国語の教科書が3年分出てきて、昨日、その内容を読み返していた。懐かしい。私のものではないのだけど、同じ光村図書出版の石森延男編『中等新国語』だ。A5判で、380ページ強。読みでがある。読みながら、わくわくする気持ちがよみがえってきた。私は、点数的には数学や社会の方が良かったから国語が得意だという気持ちはあまりなかったのだけど、国語は「好き」だったのだな、と思った。学校時代、この教科は嫌いだと思ったことはないので、何が好きで何が嫌いかなどあまり考えてなかったのだけど。特に国語はやることがあまりに当たり前で、好き嫌いなど考えず、点が取れるか取れないかで得意か不得意かというような意識しかなかった。
しかし小学校のころから、新年度の教科書をもらうと最初に国語の教科書は全部読んでいた。算数・数学も大体読んでいた気がする。で、大体新年度の最初に全部分かった気になっていた。まあ周りから見れば面倒くさい子どもだっただろう。
中学のころというのは自分の記憶的には暗黒時代で、学校にもあまりうまくなじんでなかったし、部活動も嫌いだった。校則で女子はおかっぱ男子は坊主頭、と決まっていたのもいやで、うつうつとしていた記憶が強い。しかし、今この国語の教科書を読み返してみると、この教科書で知ったんだ、ということが実にたくさんある。自分でどこかで身につけたと思っていたことのうち、ずいぶんたくさんの部分が中学の教科書、特に国語の教科書から学んだんだということを改めて自覚した。そういう意味では、私たちは実はとてもよい教育を受けて来たのかもしれないと思う。
中一の最初にやったことは今でも覚えているけれども、「ルナールの言葉」という単元で、「にんじん」を書いたジュール・ルナールの短文(エピグラムというか、アフォリズムというか)をいくつか取り上げたことだ。「煙が名残惜しそうに離れて行く屋根」とか「雲が一つ、行く先を知ってでもいるように飛んでいく」とか「木の皮の半分は、北風を知らない」とか言ったものだ。よく覚えているのはこういうエピグラムを先生が生徒に作らせたことで、それが褒められたからだろう。年配の女の先生だったが、それから何かにつけよくしてもらった覚えがある。
自覚して覚えていたのはそれくらいだが、読み直してみると中一の教科書から実に充実しているのだ。庄野潤三「ひばりの子」、アンリ・ファーブル「フシダカバチの秘密」、マゼランのマゼラン海峡通過の際の苦闘を描いたホルスト・関楠生訳「針路、西」、老いた鷹匠と若鷹の心の交流を描いた戸川幸夫「爪王」、そしてヘッセの「少年の日の思い出」。古典は一茶の俳句と良寛の短歌から始まり、今昔物語の蝉丸の段の現代語訳と狂言「柿山伏」。最初に読んだ古文が狂言の、それも柿山伏だったんだということを思い出してなんだかおかしかった。漢文のほうは小学校のころから少し返り点付きのを読んだことがあったが、古文は多分これが初めてだ。
それから芥川龍之介「杜子春」、山本有三の戯曲「ウミヒコ・ヤマヒコ」と古典題材の近代作品が続き、串田孫一と吉野源三郎の随筆的なものがあってモンゴメリ「赤毛のアン」の一節、最後に宮沢賢治の評伝である。
中一の教科書としてはずいぶんたくさんの量があるし、内容的にもかなり手ごたえのある、今読んでも何かと啓発されるところがあるようなものが多い。こんなものを学校で読ませてもらったというのは幸せだったなと思う。
庄野潤三や戸川幸夫など名前も忘れていたが、庄野は芥川賞作家で戸川は直木賞作家だ。他にも現代作家は両賞の受賞者が多い。そういう作品に早い時期から触れさせようという意図があったのだと思う。
「ウミヒコ・ヤマヒコ」などは有名な神話を全く違う兄弟の話に作り替えていて、そういう意味で強く心に残った作品だった。当時はシンプルな勧善懲悪である神話の方が好きだったし今でも山本の戯曲は人工的であまりどうかとは思うのだが、文学ではこういうこともできるんだということを示すのが編集者の意図だったのかなとも思う。
中二の教科書では、まず川端康成の講演から始まる。朝の日の光にガラスのコップの生える美しさとの出会いを一期一会だった、と言っていて、明らかに私は「一期一会」という言葉をこの講演筆記で知ったということを自覚した。それから近代短歌選。今でも覚えているのが落合直文「山寺の石のきざはしおりくればつばきこぼれぬ右にひだりに」(きざはしという言葉もこれで知った)、佐佐木信綱「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」、斎藤茂吉「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」、石川啄木「秋近し!/電燈の球のぬくもりの/さはれば指の皮膚に親しき」、木下利玄「街を行き子どものそばを通るときみかんの香せり冬がまたくる」とこれだけある。啄木は三行で表現するという形式が鮮烈な印象を受けたし、あとの句はみな口に出してみるとひとりでに言葉が続くような、語呂のよさが印象的な作品が多い。そういうものが好きだったんだなと思う。
三年では夏目漱石「吾輩は猫である」の、餅を詰まらせて苦しみのあまり踊ってしまったりお師匠さんのところの猫に挨拶に行ったりしている場面が取り上げられている。お師匠さんが「天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんのおいの娘」である、という落語のようなネタがあって、そう言えばご祐筆という言葉もこれで覚えた。天璋院というのはつまり篤姫のことで、三〇数年後に大河ドラマの主人公になるとは、予想もしていない。
まあすべて書いて行くときりがないが、印象に残っている作品がてんこ盛りで、これらの作品群をほとんど(授業で取り上げなかった作品も多分結構ある、たぶん「爪王」はやってないだろう)読んだというのは実に幸せなことだ、と今にして思う。
同じ光村図書出版の今の国語の教科書は、B5判で大きくなりカラーにもなっているが、ページ数は270ページで文字も大きく、収録されている作品もずいぶん少ない。それでも各学年に35年前と同様に取り上げられている作品が一つずつある。一年ではヘッセの「少年の日の思い出」、二年では太宰治「走れメロス」、三年では魯迅「故郷」だ。この三作品が残っているというのはちょっと不思議な感じもないわけではない。
ヘッセの「少年の日の思い出」は衝動的に蝶の標本を盗んでしまったことを謝りに行って冷たい対応をされ、「取り返しのつかないことをしてしまった」ということに気づいて、自分の集めた標本を一つずつすべて潰して行く、という話だ。中一のときには何でそういうことをするのか全然理解できなかったのだけど、今読めば激しく自分を責める気持ちが突き上げて激しい自罰行為に及んだ、ということは理解できる。このイノセンス、このピュアリティ。同じ一年の教科書に出てくる「ひばりの子」は悪ガキからひばりの子を守ってやる勇気を経験した成功譚だし、「赤毛のアン」はレイチェル・リンド夫人に癇癪を爆発させたことを反省し、謝りに行くときに「謝る」という行為自体を楽しんでしまうアンの面白さみたいなものが書かれているけれども、イノセンスが行きどまりにぶつかって爆発するその激しさが「少年の日の思い出」には描かれていて、何かその危険性みたいなものに気が付きたくなかったんだろうな、という気もする。
芥川賞作家の作品などはそういう少年のイノセンスのようなものを主題にした作品を読ませるものとして取り上げられていて、直木賞作家の作品は巷間に生きる民衆の哀歓のようなものを主題にした作品として取り上げられている。まあ、もう小説もジャンルが滅茶苦茶になってきていてよくわからなくなっているけれども、小説というのはその二つが王道だったんだなと改めて感じさせられる。私たちの少年時代というのは、文学の王道というのがまだ確かにあった時代なんだなと思う。
まさに私が中二の年に村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞したのだが、文学の流れもかなりの混乱をきたしただろうなと思う。しかしまあ、イノセンスの爆発を描いたという意味ではある意味王道なのだが、その爆発のしようが古手の作家にはもう手に負えないものになり始めていたということなんだなと思う。永井達男と瀧井孝作が猛反対したと言うがさもありなん。現代ではもう混乱も頂点を極めているけれども、案外そろそろシンプルなものに戻った方が未来を切り開くことになる時期に来ているのかもしれないなという気もした。
まあ、今回読み直してみて強く思ったこと、感じたことは、一つは最初に書いたけど「私は国語が好きだった」ということに気付いたということ。これは文学が好きだということとは少し違い、文字で書かれたもの全般が国語で取り上げられているわけだから、そういう幅広い文章表現、言葉を用いた表現の、いろいろなものが好きだったということだ。心理小説みたいなものはそんなに基本的に好きじゃないし、面倒くさい。マゼランの探検を描いた「針路、西」などは今読んでもとても面白かった。「原住民」という現代ではPC的にNGなワードが使われていたり、「スペイン皇帝カール五世」というわけのわからない表現が使われていたり(彼はスペイン王カルロス一世であるか神聖ローマ皇帝カール五世であるかどちらかでないとおかしい)今ではそうは書かれないだろうという部分もあるのだけど、手に汗を握る冒険譚みたいなものはやはり男の子の王道だ。若鷹がいのちがけで赤キツネを倒す「爪王」もそうだけど、今の教科書からはそういうやや野蛮な男の子の王道的作品がなくなって被爆の話だとか戦争体験の話だとか左がかった作品が増えているのはあまりいい傾向ではないなと思う。もし国語を教える機会があったら35年前の教科書を使ってみたいと思うのだった。
もう一つは、「少年のイノセンス」というものがいかに大事なものか、人生にとって大きな意味を持つものかということをはっきり自覚したということだ。中学生のころというのは、そういうものがすごく伸びて行く時期だと思う。自分の場合、少年のイノセンス、青年らしいピュアリティ、不純や不正を憎む気持ち、というものが芽生えかけてはいたが、暗黒の中学生活の中で自分を守ることの方により強い意識があって、そういう破壊的な力を持ったイノセンス、正義感の発動を抑えていたんだなと思う。その発散されるべきエネルギーが内向きにこもり続けてしまい、それがときどき不慮の爆発をする、ということになっていたんだなと思う。
人間にはもう一つ、まず自分の幸せを確保する、という本能的な動き(それは現世的な幸せとは限らない)があって、自分にはやはりそういう部分もかなりある。洗練や精神の平衡を求める気持ちとイノセンスの爆発的な衝動のアンバランス、その両立の難しさのようなものが、自分という人間の本質というか、履歴を作ってきた部分がかなりあるんだなと改めて思ったのだった。たまには昔を振り返ってみるのも得るところがあるものだ。
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