『ピアノの森』:あまりに心に響きすぎて平常心でいられない/強い・楽しい・面白い
Posted at 10/05/27 PermaLink» Tweet
今朝。4時半に目が覚め、着替えて車でファミマにモーニングを買いに行った。ほかの車はほとんど走っていない。ファミマで車を降りると、いつもは結構うるさい国道沿いの街が、しんと静まり返っている。朝の空気。歩いてくる手もあったなと思うが、車でこういう道を走るのも悪くない。早起きしてドライブするというのもいいなと思う。東京でもそういう手段があるのだし、そういうことをしてもいい。
帰ってきてモーニングを読む。今週号は充実している。結構ネタばれ的なことを書くので、読む予定のある方は後にした方がいいかも。
巻頭は「社長島耕作」KCIAの裏世界への接触と記者の麻薬組織への接触。この場面はスリリング。女を買わないか、という誘いに麻薬がほしい、と言い、組織に近づいていくという手法はなるほどと感嘆した。しかし危険だね。「宇宙兄弟」。ピコとビンスの少年時代に、リックという第三の少年が。六太がリックに重なる。どう展開するか。「ジャイキリ」笠野と藤澤の会話。サッカーの中心は選手。想像以上のことをして心を揺さぶる選手としての達海と椿。後半戦に期待。「クッキングパパ」。ベーグルの作り方。「特上カバチ!」虐待の連鎖。「ルシフェルの右手」。幻影の大型トラック。「とりぱん」私がいない世界を見ている私。こういうのもいいが、ちょっとシリアスすぎる感あり。4コマの方が今のところ、この人のよさは生きると思う。でもそのうち、ストーリー漫画に移行するのかもしれないな、と予感させる。「チェーザレ」ちょっとこまかい字が多すぎ。シャルル8世の表現が興味深い。これからイタリア戦争だ、ということだな。「エンゼルバンク」。残り2話とのこと。壮大な本田の夢(しかしよくこんなリアリティのある壮大な夢を考えられるな。カンボジアの医療立国というのが実現可能なのかはよく分からないけど。)に井野は乗るのか。「シマシマ」。ガールズデザイア。「神の雫」。マドンナ。ねえ。ヨーロッパの伝統だと思っていて、あまりそういう女性像を真面目に考えたことはないんだけど、そういうテーマを正面からでなく、ワインという媒介を通して追求する、という試みは面白いなと思う。まあしかし、自分にとっての「マドンナ」にできる人はいたのかもしれないな、とも思う。憧れてかなわず、しかしその女性にふさわしい男に自分が成長する糧にした、というふうにはならなかったけど、考えてみればそういうふうに思えばよかったんだな。「あの時の自分」には無理だったとは思うけど、今からでも。「ラキア」。このマンガ、いまだに何を表現したいのかよくわからない。「主に泣いています」。こんだけ村上春樹をネタに使いまくっているといっそ清清しい。ラストのコマで仁先生が「1Q84」を小脇に抱えているのが笑える。「僕はビートルズ」このマンガもしばらく何をやりたいのかよくわからなかったのだけど、つまりは徹底的にビートルズへのオマージュをやりたいんだということが分かってきた。それならそれでいいんじゃないかという気がしてきた。「なごみさん」猫の捜索にヘリ出動。いままでで一番おもしろい。やはりこの人は「拝み屋横丁」のような壮大なばか話がいい。「N'sあおい」。義足歴10年。「誰寝」。舌の奢った猫。「miifa」デートで食い逃げ。実はゴスロリ。「ライスショルダー」。油断大敵。
「ピアノの森。」今回の「ピアノの森」はすごかった。前回までの二次予選でのカイの演奏に対する周囲の反応。呆然とする修平。闘志をむき出しにするパンウェイとアン兄弟。(この兄弟はギャグ含み)。ほめたたえる審査員たちと脅威を感じるピヨトロ。困惑するシマノフスキ。マリア=カイの姉と決めつける佐賀。開き直ってノーミスの演奏をする向井。一歩外に出ると、カイに殺到する記者たちの群れ。「修平は伸びしろがあるが、一ノ瀬はもう伸びない」と雨宮父にヒステリックに断言する雨宮母。誰もが動きださざるを得ない、そんなピアノを演奏したカイ。ざわざわと波乱含み。いままでずっと演奏の描写が続いていて、ストーリーの展開が抑えられていた分、急激に動き出している。つまり、世界を動かしかねないピアノだ、ということなのだろう。(という表現なのだ)
クリスティナが阿字野のピアノを「あまりに心に響きすぎて平常心ではいられない、激しく揺さぶられて体中の血が騒ぎ出す。心の中に眠らせている怒りや悲しみの感情まで目を覚ますし、恋をしていたら思わず告白したくなるようにテンションが上がる、聞く人の状況によっては神にも悪魔にもなるような危険なピアノ。興奮剤みたいなピアノ。初めて聴いた日の夜は興奮して一晩じゅう眠れず、失恋を思い出して一晩中泣き明かす」と表現したけれども、まさに同じことが起きている、と全登場人物を動員して表現している。カイの運命やいかに。
全体から緊張感がビンビン伝わってくる。「あまりに心に響きすぎて平常心でいられない」というのはむしろ、一色まことのマンガそのものだ。私は『ピアノの森』は何度も読み返しているけれども、短編集の『ガキの頃から』の方はそれこそ心に響きすぎるのが怖くてあまり読み返していない。
今ふと思ったけれど、一色のマンガというのは、とくに短編集は、橋本治に似ている。いま『ガキの頃から』の中身を思い出して思い浮かんだ風景は、橋本治の『愛の矢車草』に雰囲気が似ているのだ。大変な状況を大変とも思わず生きていく強さ、というものは『ピアノの森』とも通じるものがある。身も蓋もない描き方、というのも似ている。それでいて下品にならない、というのも似ている。それはそれだけ、卓越した技術を持っている、ということなんだと思うが。とにかくまあ、今回が読みたくて二週間じりじりと待ったけれども、もう次回が読みたい。月刊でひと月待たされるよりはましかとは思うけど、二週間もずいぶん長い。
「へうげもの」。朝鮮の役再開。それに便乗して勢力を伸ばす家康。ラスター彩から織部焼のグリーンへの道がはじまったかと思われる織部、もいいが、藤堂高虎(何で寄り目?)の養女で小堀遠州の嫁になった顎割れ豪快女がすごい。破鍋に綴蓋。
モーニングが読みたくて4時起きするというのも馬鹿げているとは思うが、読まずにはいられないものは読んだ方がいい。
考えてみると、私はやはり、自分の力で生きているという実感がほしいのだ。文章で身を立てるというのは馬鹿げた夢かもしれないが、それこそが究極の自分の力で生きるということなんだと思う。何でも自分の思いの通りにやって、それでもうまくいく。それこそが究極の「自分の力で生きる」ということなんだと思う。
対人関係では、私はまず折り合う点を探してしまうことが多い。これは悪癖だが、小学校では自分のやりたいことをみんなでやってもみんなが付いてこなかったとか、中学では孤立した暗い時期を過ごしたとかそういう時代の反映として、高校からは誰とでもフレンドリーに接する明るい自分を目指すようになったからだなと今思えば思う。やりたくないことを拒否し、やりたいことをやればバッシングの嵐。高3で転校したが、どうも自分は異界から来た人間みたいな感じになって、傍観者的な立場に自分を置くことが多くなった。大学に入って決定的な挫折。そうだな。いつもそれから立ち上がろうとするときに、経験を生かして自分のやりたいことを貫く道を選ぶのではなくて、周りと妥協することによって、自分と妥協することによって何とか立てるようになってきたから、そういう癖が抜けないのだ。誰も助けてくれる人はいないから、とにかく生き残るためには、風をよけなければいけない。雨をしのがなければいけない。飯を食わなければいけない。そんなかんじできたんだな。
そういうぼろぼろな状態と、高い観念的理想の共存。それも変な話だが、もともとそれは自分のものじゃない。それが生きる力になればよかったのだが、そうはならなかった。自分を生かしてくれるのは、もっと別のものだったんだと思う。でも、そっちの方にも引力があって、ある意味それにも落とし前をつけなければいけなくて、余計な方向にもずいぶん引っ張られた。父との軋轢というものの大部分はそういう性格のものだった。いまは父が死んで、父の残した遺産というか仕事のシステムを自分が使って生計を立てているので、まだ自分で身を立てているという感じがしないのはいわば当然なのだ。
自分が描いたビジョンを実現する。結局やはり、私はそこにこだわりたいんだろう。問題はしかし、そのビジョンを描くのに四苦八苦しているということだ。
なぜマンガを読むのか。読まずにはいられないからだ。なぜ書くのか。書かずにはいられないからだ。やらずにはいられないことをやって、何の不満があるだろう。何の不幸があるだろう。
結局、その他のことはおまけみたいなもので、やらずにはいられないことだけが本当なんだと思う。やらずにはいられないのにやってないことは、本当はたくさんある。やる前にあきらめたり後回しにしたりしていることが。そういうことが自分の健康や精神を蝕んでいる部分が本当は大きいのだと思う。
もう一つあるのは、ものを捨てるとか、やらなくていいことをやらないということが、苦手だということだ。それを考えるのが億劫になるから、ものを捨てるよりは新しいものを買ったり手に入れたりするのを控えるとか、やらなくていいことをやめる決断が出来ないから、やらずにはいられないことを我慢したりするようになる。それは確かに、周りにあわせるとか、周りの目が気になるとか、そういう理由で苦手だということもあるが、基本的に「事業仕分け」ができないのだ。と、今思ったが、あの滅茶苦茶な「事業仕分け」がなぜ人気があるかというと、みんな仕分けが苦手だからじゃないかという気がする。ああいうのは極端にいえば人の生活をどんどん切り捨てていくようなものだし、無駄だからと言って切って捨てるのはそう簡単ではなく、本当はかなり壮絶な部分がある。私が滅茶苦茶だと思うのは民主党がやろうとしている方向性に賛成できないからで、あれでいいと思っている人にはただ爽快だろう。
私は「日課」を決めてそれを「こなす」というのは比較的得意だ。考えずにやれるから。考えなければいけないことを日課にするのは大変で、それは日課とは言い難い。やることも持ち物も「増やす」ことには熱心になれるが、「減らす」ことには熱心になれない、というか、どういうふうに気持ちを持って行っていいのか分からない。増やすのは感情の応援でできるが、減らすのは理性だけでやらなければいけないという感じで、どうもやっていて納得感がない。結果を見たらそれでよかったと思ったりはするのだけど。
「減らす」というのが後退感があるからだろう。女性なら体重を減らすということに後退感はないかもしれないが、食事を減らすということには後退感はあるだろうと思う。その後退感に対抗するのに、理性だけではいかにも弱い、ということだろうか。
いずれにしても、増やすときよりも減らすときの方がはるかに労力がいるし、思考力もいる。習慣の慣性のようなものもあるし、そういう感覚的な違和感を納得させるだけの何かがやはり必要なんだと思う。
つまりそれは、ビジョンだな。ビジョンの持つ力だ。ビジョンが持てれば、減らす作業も前向きな仕事だ。ビジョンが明確に描けていないと、作業がはかどらない。ビジョンは理性が描くものではなく、もっと別のものの力だろう。決断力というものも、結局、ビジョンが明確に描けているか否かということによるのだと思う。
でもそれというのも、誰にでもできることではないのかもしれないな。誰にだってある程度のビジョンはあるけれども、すべてのものについてビジョンが描けるわけではなく、「この人について行ったら面白そうだ」とか「この人は信頼しても大丈夫」といった形での決断の仕方もある。ワクワクさせるタイプもあるし、ハラハラさせるタイプもある。ワクワクさせるタイプは人を遠い所に連れて行くが、ハラハラさせるタイプはけっこう軋轢があって大変だろう。「楽しいことをしたい」タイプは付いて行くのが楽しいが、「面白いことをしたい」タイプは何が出てくるかわからないからおっかなびっくりになる。「チェンジ」をいう政治家には、楽しそうだからみんなついて行ったんだろう。「友愛」をいう政治家はちょっと面白すぎてみんな困っているに違いない。「面白いことをしたい」タイプのリーダーというのは堀江貴文とかスティーブ・ジョブスとか、そういう反逆者タイプのリーダーであり、「楽しいことをしたい」のが本田とか松下とか果てはPHP研究所とか松下政経塾とか作っちゃうようなタイプなのかなという気がする。
リーダーであるとかないとかにかかわらず、人は「楽しい」ことが好きな人と「面白い」ことが好きな人がいて、まあ私は「面白い」ことは好きだけど、人間のタイプとしては「楽しい」ことを求める方が向いているタイプなんだろうと思う。だから「面白い」ビジョンよりも「楽しい」ビジョンを描くことを心掛けた方がいいんだろうなと思う。その中に「面白い」要素を織り込んで。
ああ、なんか少しわかってきた気がする。迷ったら、「どうやったら楽しいか」を考えればいいということだ。すごく簡単に言えばね。
***
書いた後考えたのだが、もうひとつ重要な要素は「強い」ということだな。大体忘れがちなんだけど。で、自分にとって「強い」ということの意味はどういうことかというと、「健康」あるいは「整体」だということなんだと思う。体調が良いときはスパッと物事を決められるが、そうでないときはぐずぐずする。失敗した時の立ち直りも早い。悲しいことにずいぶん沈み過ぎていた。それが体調を悪くしていたのと鶏と卵だった。と思う。強いということも大事なことだ。
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