『死者の書』

Posted at 10/05/07

雨が降ってきた。ここのところずっと天気が良かったから、こういうしとしと雨は久しぶりだ。信州では、5日の夕方に少し夕立があったので、首都圏のようにずっと降ってなかったわけではないけれども、それでも雨が降ると少し肌寒い感じがする。気温は15度を超えているので、日差しがないから寒く感じるだけなのだと思うが。

昨日は連休明けの仕事。5日も臨時営業したが、やはり休み中という雰囲気があってゆっくりやった。昨日は本格始動と言えば本格始動。電話連絡も何件かあったし、相談もいろいろ。しかしまあ、今週はすぐ週末になってしまうので、最終的には来週また仕切り直しという感じになると思うが。10時まで仕事、帰宅して夕食、入浴。

死者の書・身毒丸 (中公文庫)
折口 信夫
中央公論新社

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寝る前に、大分読み進めてあった折口信夫「死者の書」を一気に最後まで読む。この小説、途中から読んでいてすごく気持ちがいいというか、何物にも代えがたい雰囲気を持っているなと思うようになってきた。二上山に葬られた非業の死を遂げた大津皇子。そのいにしえの霊が姉の弔い歌に反応してよみがえり、それが新しい奈良の都の深窓の令嬢、藤原南家の郎女を呼び出す。郎女は賢い少女で老女たちの語ることをすべて覚えてしまい、新しいものを求める。父の所蔵の楽毅論や経典、これは一族ゆかりの光明皇后や橘夫人の真筆で正倉院を経て今に伝わるものだが、それらを学ぶようになった。こうした才(ざえ、学問)を学ぶことは、特に女性は否定的に見られていて、それは老女たちの会話にも表れている。郎女は霊に呼び出されて屋敷をあくがれ出で、二上山の麓の伽藍に迷い込むがそこは女人禁制の地で、寺によって謹慎を求められる。それを聞きつけた南家の家の者たちは寺に押し掛けるが、郎女自身が残ることを宣言する。郎女と霊の夢による霊的な会話。「朝目がいい」という言葉のよさ。

氏族社会の解体期、というより平城京の朝廷によって氏族的な慣習を廃止しようという動きの強まる中、大伴氏の氏上である大伴家持が古いものと新しいもののことを考えながら都を馬で歩き、また南家の郎女の「神隠し」について考える。家持は郎女の叔父で大師、つまり太政大臣となった藤原仲麻呂、つまり恵美押勝と宴をともにし、官の違いを超えて同じく氏上としての立場で―とはいっても実は仲麻呂は氏助であり、郎女の父の豊成が氏上なのだが―会話する。その中で、郎女の神隠しの原因を、「才」によるもの、という解釈が語られる。この場合の才は漢学というよりも仏教知識というニュアンスが強い。しかし、この会話を読んでいると、源氏物語の漢才と大和魂の話を思い出す。谷崎訳で読んだこのくだりが、仲麻呂と家持の会話とオーバーラップする。もちろん折口のことだから、当然そのことは意識していただろう。

郎女は蓮の茎から取った糸で織った衣服を大津皇子の霊にささげたいと考え、霊の幻を見たときの風景を書き終えた刹那、皆の見守る中で再び神隠しに遭う。仏と神の融合、古事記にある三柱の神が「身を隠したまいき」とある記述を髣髴とさせる。ああ、こんなに美しい世界があったのだなあと身震いするような記述で、こんなものは確かに折口信夫にしか書けない、最高の傑作だと思う。

何年も懸案になっていたが、ようやく読み切れてよかった。今日が返却日なので、あとで図書館に返しに行こうと思う。

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by Luke Peterson

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