自分の人生というストーリー

Posted at 10/04/29

昨日、10時まで仕事。操法を受けたからだろう、午後は大分眠く、頭もあまり働かない状態だった。夕食、入浴。しばらく脚湯をして、就寝。午後は暖かく、コートでなくジャケットで行き来。帰りもそんなに寒くなかった。いよいよ本当の春かなと思う。と言っても暦の上ではもう晩春も終わりかけているのだが。

7時前に起床。あまり寒くはないし、天気も悪くはない。腹の調子も良くなった。今日は家の周りの片づけをしようと思っていたのだが、そういう時間になってきたら雨が降ってきて、風が強くなってきた。どうも巡り合わせが悪い。朝食。きんぴら工房の食パンを食べる。わりと美味しい。自室に戻り、スーパージャンプを読み、ゼロサムの「ランドリオール」を何度目かの読み直し。アトルリアが、他国と違いモンスターの多い国だ、というのを実例を挙げて。私も思ったが、エカリープの火竜が竜脈を伸ばしてアトルリアも竜を持つ国になるのではないか、というようなことを、五十四さんが言っていた。それもまた「国が新しくなる」ことの一つではないかと。

とにかく頭の緊張が取れていないことが色々な個所に問題のようなものを起こしている原因だという感じなので、とにかく息を長く、深く、ゆっくりとすることを心掛ける。完全に武装解除してしまうとものを書くのに必要な緊張感もなくなるので、それはできないが。

今日は昭和の日。連休の初日。私の仕事は土曜日まであって、そのあと水曜日から。いつもと違うのは火曜日を休みにすることだけだ。それでも楽しみではある。

小説。場面を展開させながら筋を作っていく。余り計画的ではないが、出来上がってから全面的に修正するとして。ストーリーを貫く主管のようなものも書きながらでてきている感じ。去年(こぞ)今年貫く棒のごときもの。

小説、筋を考えてもなかなか出てこない。場面を重ねて、大体の枠組みが出来てから、どういう筋なのかということが見えてくる、というのが結局私の話の作り方なんだなと思う。ストーリーは後から付いてくる、という感じだ。途中で、ラストというか話の進むべき方向が大体は見えてくるんだけど、そこにどうつなげていくかという感じになる。そこで無理にストーリーを作るより、場面を重ねて行くことで自然に動いていくという感じがないと納得感がない。ふわふわしたわからないものを一つ一つ積み重ねて、だんだん膨らませて、途中で骨組みを入れて、それから完成に向かう。動物だって、最初から脊椎動物で生まれはしなかったのだから、骨が途中で入るのが自然なのだと思う。

ストーリーが完成するのは、結局作品が完成するのとほぼ同時なんだと思う。結局、あらすじというのは作品が完成してからでないと書けない、ということが普通だ。最後の場面まで、自分の作っているストーリーが結局は分からない。それは多分、自分の人生というストーリーでも同じことなんじゃないかという気がする。

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by Luke Peterson

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