自分の中が整理できたら物を書き始めよう、と思っていたらいつまでたっても書けないまま終わる

Posted at 10/04/09

ショパン:ピアノソナタ第2&3番
ポリーニ(マウリツィオ)
ユニバーサルクラシック

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マウリツィオ・ポリーニのピアノでショパンのソナタ第3番を聴いている。昨日の「ピアノの森」の余韻はまだ残っていて、唯そのせいでだいぶ疲れが出たようだ。ここのところ、日曜日は友人のハイテンションにつきあって、火曜日は大きな気を使う仕事が長時間あり、木曜日は「ピアノの森」でハイテンションになりと、マインドの起伏が激しくなることが続いていたので、さすがにどうも疲れたようだ。水曜日には操法を受けに行って、疲れているということは言われたのだけど、なんだかうまくテンションの高さを外せなかった。今日も何度も体を落ち着かせいようとしているのだけど、マインドのテンションがやはりまだ高いからなのか、すぐにそっちの方に復帰してしまう。体がついていかないのでもっと自然な気の流れの中に自分を置きたいのだけれど。

私の地元では御柱祭で、今日はみな下諏訪の山中に出かけていて、街の中ががらんとしている感じだ。普段に比べるとすごく静かなのだけど、なんというか気の流れは張り詰めているものがあって、それが私の神経を刺激しているんだろうと思う。本当はそれに対応できるような体のありようだといいのだけど、どうもなんだかバランスが悪い。

自分の中が整理できたら物を書き始めよう、と思っていたらいつまでたっても書けないまま終わる、ということを言われて、まあなんというか、それはその通りで、整理されていないからこそ書けるという部分が多い。自分の中が整理されてしまうと、書く動機もなくなってしまうということもある。自分の中にいろいろなものがあるから書ける、ということは確かにある。また、何を書くのかということも、自分の中の上澄みのような部分だけを見ていると書くことが何もないような感じになるのだけど、むしろ自分の中のどうにかしたい部分みたいなものに目をやった方がいい、ということなんだと思う。その「どうにかしたい」ということが大事なんだろう。表面的でも駄目だし、根本的に何か壮大なことをやろうとしてもだめで、心の中のアクティブな部分というのは、その間にある。むしろ整理しようという、どうにかしたいと感じる、今までの自分にとっては自分の見たくなかった部分のようなところから書くべきものというのは出てくるのだということが分かってきた。

そこから出てくるものはすごくリアルなというか、ドロドロしたものかもしれないし、もっと詩のような、歌のようなものかもしれない。ものすごく嫌なことに悩んでいるからと言って、ドロドロしたものが出てくるとは限らない。モーツァルトが苦悩していたことは多分すごく散文的な、音楽にならないようなことだったと思うけど、出てくるものはあの天上の音楽、人の心のかなしさを見つめるようなものだったわけで、原動力と取るべき形というのはあまり関係がない。

人は生きているだけですべてを持っている。「生きているだけ」という「無」の状態こそが、すべてを持っているということに斉しい。本当はモチーフも、方法も、すべて持っていて、そこから出てくるものを自覚して捕まえられるようになったら、あとはそれをどう料理するかだけなのだ。

第4楽章、プレスト。この導入が好きだ。第1楽章もいきなりだが、第4楽章も飾り気なくいきなり本質に突っ込んでいく、その感じがいい。ショパンという人は、こういう形式が大事なソナタのようなものはあまり得意にしていなかったんだなと思う。結構苦労して作っている感じがある。そのあたりがベートーベンなんかとは違うんだな。ベートーベンはやはり古典主義の旗手で、こういう形式性に乗せて次々と大作を作っていったけれども、ショパンはどこかにも書いてあったが本質的にロココ精神の継承者で、マズルカやポロネーズ、プレリュードやノクターン、エチュードやスケルツォのような軽く書くものがその本質をよくあらわしているような気がする。ああ、あっさりとソナタが終わった。

ただ18世紀の作家たちと違うのは、ショパンには深い苦悩があることで、それを見せないことが美しいロココの芸術家たちとは違う。また、ゴヤのようにその苦悩がものすごく巨大化したりしない。やはり彼はモーツァルトとベートーベンを経ているロマン主義の時代の人間であって、自分の立ち位置についてあまり余計なことを考えていない。社会の中では上層ブルジョアあるいは貴族社会の住人であって、その世界で生活することに幸福を感じている。だから社会変革家であるジョルジュ・サンドと愛人関係であったこと自体がやはりある種のバランスの悪さを生んでいるわけで、それが良くも悪くもショパンの人生と作品に大きく影響していると思う。子守歌から舟歌を聴いている。

心を静かにして、風の歌に耳を傾けよう。よく見、よく聞くこと。心の中から出てくるものと、目の前にあるもの。そこに関係が生まれる時、言葉が紡ぎだされ、表現に命が吹き込まれる。

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