正しさへのとらわれ/書く。
Posted at 10/04/05 PermaLink» Tweet
昨日は友人と電話で話して、午後遅くに横浜のほうに出かけた。6時過ぎに友人の地元について、迎えに来てもらって友人夫婦の家に。じっくりと話し込む。というか、私はそのへんでいろいろな本を読んだり話を聞いたり本棚を眺めていたりして、彼らが料理を作ったり洗い物をしたりしながら、断続的に話をしていたのだけど。
話したことがどんなことかはまとめようがないが、いろいろなものを見た。ロッド・スチュアートの『スーパースターはブロンドがお好き』のLP版なんか久しぶりに見たな。本棚に『ユンボギの日記』があったのも受けた。白いインコがピーチク鳴いているのも味わい深い。彼女の作品がいくつも飾られていて、懐かしい。
彼は座って私と料理を食べたり、ゲーム雑誌を読み耽ったり、洗い物をし続けたりしながら時々間歇的に話し込む。『映像の20世紀』の話とか。共通の友人がNHKで作った企画だったと思う。彼女はゆらゆらと踊りながら、るらるらと歌いながら、いろいろとはなし続けながら料理を作り続けている。彼女の文章が載った『ユリイカ』を読んだり、野田秀樹の写真集を見たり。いちばん印象深かった本は、『草間弥生詩集』。私は今までこの人がどういう人なのかいまいちよく分からなくて関心をもてなかったのだが、この言語感覚は素晴らしい。「軟らかい陰茎」(だったかな、軟らかいと言う字が違うかもしれない)という感覚。これはたぶん、言われて気がついてみなければ、男には書けないことば。この言語感覚が評価されなければ嘘だと思う。
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もちろん評価はされているんだけど、詩の世界やいわゆる文学の世界では、多分彼女はアウトサイダー的にとらえられていて、まともな評価を受けていない気がする。彼女はこの詩集で文学の世界に打って出ようという意志をあとがきで表明しているが、文学の側がこれを受け入れきれないだろうなあと思ってなんだか痛ましい思いがした。勿論、浅田彰とか高く評価している人はいて、この1989年に発行された詩集が今でも絶版にならずに買えるというのはすごいことだと思うのだけど、私は何か、やはり「正しい」ということにこだわりを持つ人間らしく、彼女の詩集が正当には受け入れられていない文学の世界というものの「正しくなさ」に憤慨してしまう、というよりやりきれない思いがする。
そう、昨日もそういうことを書こうと思っていた。正しい、ということにこだわりを持つ人間だと。それが、何というか自分の足枷だということを感じた、ということを。このことは正しくないんじゃないか、と思うと行動が出来なくなる。逆に追い詰められて、生死の危険みたいなところまで自分が追い込まれると、「ここで私が死ぬのは正しくない」という理由で吹っ切れ、すべてを撫で斬りにする、ということもあるのだけど。ただこれも撫で斬りというのは皆殺しに近くて、正しくはあっても適当であるかどうかは分からない。だからなるべく自分を追い込まないようにする、という傾向があったのは確かだ。
ただその正しさという点でだいぶ融通がつけられるようになって来た気がする、まだまだいつでもそうできる自信はないけど。正しさ、言う概念は「完全」という概念ともつながっているから、完全でないと動けない、という融通のきかなさにつながる。昔はもっと正しいか正しくないか分からないまま動くのが平気だったのに、正しくなさについて敏感になりすぎた頃から自分でもそれに縛られるようになってしまった。そして自分の「正しさ」と一般常識における「正しさ」がかなりずれていることが分かってくると、なんだか何事にも手も足も出なくなってしまう、という感じになっていたのだ。
一人になって、自分が正しいと思うことに専念できる状態になってくると、物凄く気が楽になった。まあ一度はそういう状態が必要だったんだなと思う。私なりに自分が正しいと思えることをちゃんとやってみて初めて、自分が考えている正しさとか、世の中で言う正しさというものを、ちゃんと問い直せるようになってきたようだ。そう、「正しいってどういうことなんだろう」と。
それを問い直せなかったと言うのはやはりなんだか異常だ、考えてみたら。「正しさという病」を病んでいたとしか言いようがない。「盗人にも三分の理」というか、やはり妬んだり憎んだり、そういうマイナスの感情を持つ人のことをどうも私はよく理解できないところがあった。だってそんなこと思っても無意味じゃん。そんな暇があったら自分がやりたいことをやればいいのに、と思って。でも、考えてみると、そう思うこと自体がその人が自分を守ることなんだな、と思った。私のように二進も三進も行かなくなってから状況を皆殺しにするより、適当に妬んだり嫉んだりの応酬をして、喧嘩をしたり仲直りしたりするのが人の営みだったりする、という部分もあるんだろうなとか。私がそういうものを見るとすごくイヤな気がするのは、結局そういうものが理解できなかったからだなと思う。自己防衛本能の、そういう形での発動なんだと言うことが分かれば、まあわりとおおらかな気持ちでいられる。
とにかく、自分が自分の思うことをやれていると気が楽になって客観的になれる。しかしそれだけだと制作の契機はなかなか生まれてこない。ここのところ、自分の内面を掘り起こすのも、そういうあまり波風の立たないスタティック(静止的)な平衡に戻すことを前提にやっていたのだけど、今日、友人と話していてもっとダイナミックに整理のついていない状態から書き始めたほうが、むしろいろいろなきっかけ、制作の契機はあるし、動の中の「静」、動の中の「止」の状態も今の自分ならできるんじゃないかという気がしてきた。
ということで話を戻そう。結局9時半ころまで喋ったり食べたり読んだりして帰る。行き返り横須賀線で、武蔵小杉に止まるから、今度一度降りてみようと思う。友人に会いに行くのに横浜にはときどき行くのに、自由が丘とか東横沿線になんとなく行きにくかったのだけど、小杉乗り換えを使えばもうちょっと気楽にそういうところにも行ける気がする。でもまあ昨日は遅かったから東京駅に直帰して、東西線で帰ってきた。夜は、朝見逃した「ジャイキリ」のアニメを見た。なかなかよく出来ている、と言っていいんじゃないかな。ストーリーを知っているので進行がまだるっこしいが、キャラクターの声の配役は、私的には許容範囲だった。来週も見たい。早めに寝る。
今朝は、だいぶ疲れが出ていて寝床の中でもぞもぞと体操をしていたら友人から電話で、10時過ぎまで話した。その中でいろいろなことを思ったのだけど、なるほどと思う本質的な話も多かったし、衝撃的なうち明け話もあって、まあときどきはこういう密な会話をしたほうがためになるなと思った。それは今までの自分をすごく呪縛していたものが解除される話だったので、すごくほっとした。何でも書ける、と思ったのはそれによるところが大きい。それもまあ、自分が「正しさという病」から脱しつつあるからそういう話が出来たんじゃないかなと思う。
まあ、エニアグラムというものがあって、それがどれだけ正しいのかはよく分からないのだけど、調子が悪いと「正しさ」や「完全さ」にこだわる傾向が強くなり、調子がいいときは精神的になって人生の苦しさを客観的に見られるようになる、という傾向を持つタイプ7に、やはり自分は当てはまるんじゃないかなと思った。やりたいことをやる、やりたいことしかやれない、というのがタイプ7の特徴だけど、その「やりたいこと」がだんだん「正しいこと」に取り込まれて取り憑かれてしまうというのが今まで私のまずいパターンだったと思う。自分が正しいと思ったら、自分のことを全肯定して客観的に見られなくなり、変な思いあがった印象を周りに与えてしまう(というか実際思い上がっていたんだしなんか変だなと思ってもそういう自分がセーブできなかった)し、逆に自分が間違っているんじゃないかと思うと何も出来ずに堂々巡りになる、ということの繰り返しだった。誰かに正しいことをしていると、認めて欲しくて仕方なかったんだろう。
今では、自分が正しいと思うこととやりたいと思っていることが渾然一体となってやれている感じがあって、でもそれは正しいと誰かに認めてもらいたいからではなく、自分がやりたいからやっているということに自覚がでてきたから、正しいと認めてもらう必要がなくなってきた、ということなんだろう。今まで自分のやることを正しいと認めてくれる人がいたらなあ、という気持ちがずっとあったのだけど、『碧巌録』で「廓然無聖」ということばに出会って以来、聖も師も必要ないんだ、と思えるようになってきたから、そういうものはいらないんだと思えるんだと思う。自分は誰か自分を教え導く人が欲しいと無意識のうちにずっと思っていて、それはただ一点、自分のやっていることが正しいと認めてくれる誰かが必要だと思っていたんだなということも分かってきた。自分がやりたいことをやっているなら、それは誰に認めてもらわなくてもやりたいのだ。正しいからやっているのではなく、やりたいからやっているのだ、と言い切れる方が少なくとも、強い。
逆に言えば、私のやることを「正しい」と認めてくれる人が今までの人生でもしいたとしたら、実はけっこう危ないことになったかもしれないと思う。そうなったら、私は多分その人にかなり忠実について行っただろうと思う。それでとても上手く行く場合もあったあろうけど、危険なことになる可能性も強い。そして忠実についていって、どうなっただろう。孔子の弟子たちのように孔子を超えることなく終わったかもしれないし、法然の弟子の親鸞のように師を(ある点で)越えることが出来たかもしれない。ただ、親鸞が法然を超ええたのは、ある時点で法然から引き離されたからだろうとも思う。いい師につくことは早道だし人生のバイパス工事で早めに力を発揮する機縁になるけれども、それは相当人生を左右することでもある。そういう意味では私は独覚で行くしかなかったな、と思う。勿論ずいぶん多くの人に助けられ、多くの人に実際には導かれていることはよく分かっているのだけど、自分が欲しかったのはただ自分の正しさを認めてくれる師であったので、自分としては人に導かれている感じをもてなかったのだ。ただ、それを独覚で乗り越えられたのだとしたら、これ以上自信になることもない。
ああ、なんか話が大袈裟になってきたかもしれない。今朝は眼鏡もかけずに友人と3時間くらい電話で話し、あとはNHKの「グランジュテ」を見たりしていた。今日取り上げられたのは、助産師をしながらプロボクサーになり、世界チャンピオンになった女性。すごいなと思うが、ボクシングを始めた動機はダイエットだったと言う。そこで思わぬ才能が開花したというのだから人間は分からない。
ああ、そうだな、でも衝撃の告白というのは、結局は私の作品を実は認めていた、という話だった。でも、自分がそこまで思えるようになっているということが伝わったからそういうことを言う気になったという面もあるんだろうと思う。まあそういうことを言われて、ちょっと前だったらかなり複雑に引っかかって身動きが取れなくなった可能性があるが、今は単純に嬉しい。単純に気持ちが前向きになったし、そうなるとなんでも書く気が、書ける気がする。
そういえばエニアグラムで思い出したが、動物占いに彼女の娘が凝っていて、私が「羊」だというと「自分のことばかり言うでしょ」と言ったんだという。私は別に自分のことばかり喋っているつもりはないんだが、ブログでこれだけ自分のことを書きまくっているのだからまあ当たっているのかもしれない。まあものを書く人間というのは、結局自分のことを書いてるんだと思うし。問題は、自分のことを書いているか否かということではなくてそれが面白いかどうかということだ。「羊をめぐる冒険」だと冗談を言っていたが、まあそんなものなんだろう。
正直言って、整理されてないことから書き始めれば、書くことはいくらでもある。書ける。書いて行こう、と思う。書く。
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