酒や理念や雰囲気や自分の文章に酔う

Posted at 10/04/03

おとといから事務作業で忙しく、本を読んだりものを考えたりする暇もあまりない。週末に上京するために今のうちに作業を終わらせておく、という趣旨でやっている。それでも昨日は、そのほかの仕事の関連で母と車で出かけた。橋を渡ってガソリンを入れてから、南に車を走らせて診療所で薬をもらい、東に走って天然酵母のパン屋で山ぶどうのパンを買った。それから北に行って車の相続が済んだというので新しい車検証をもらい、西に走って食事どころを見に行き、昼食。そこで法事の場所を予約しようと思ったらいっぱいだった。帰ってきて、友人の家の料亭に電話したらあいていたので押さえてもらった。

昨日は聖金曜日で、明日は復活祭なので、昨日は「バロックの森」で「マタイ受難曲」をやっていて、今日はシュッツの「復活のオラトリオ」をやっていた。イースターか。日本人にはなじみがないが、四月の最初にそういうのがあるんだなと思う。私の地元では御柱がはじまり、この週末は上社の山出しをしている。夜の街は酔っ払いが多く、仕事を終えて帰るときに運転していてちょっと危ない。気をつけようと思う。

今日はよく晴れている。忙しい時でも自分の時間を少しでも確保することは大事なことだ。昨日は朝は大雨で強風で、御柱も山の中で大変だっただろうなと思う。昼ころから晴れてきたのでよかったと思う。今日はいい天気だから、人出もきっとあるだろう。

集中、ということについて考えたのだが、日常生活でも一点に対する集中が必要なときはあるなと思った。正し、全力でそこに集中するのとは違う。他のところにも無意識に気を配る「遊び」がなければいけない。それがないと、いったん集中してしまうとそこから視線が動けなくなってしまう。運転などしているときは、危険きわまりない。文章を読んでいるときの集中も、本当はそういう遊びや、すぐに視線を移せるフットワークなどが必要なんだと思う。一点凝視の、いわゆる「目が据わった状態」になると、やはりまずいのだ。酒や自分や雰囲気や理念や宗教やいろいろなものに酔うと目が据わってくるのと同じように、目が据わってしまうときには、文章に酔っているのだといっていいだろう。しかも自分の文章を推敲していて酔ってしまうというのは、自分の文章によってしまっているのだからちょっとまずい状態だといっていい。先日はさすがにそれには気づいていたが、自分をそういう状態からはずすことができなかった。それは疲労のせいだろうと思う。

さて、忙しい仕事から逃避してブログを書いたが、仕事に戻らなくては。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday