耳を傾けて聞くと心が柔らかくなる、気がする
Posted at 10/04/01 PermaLink» Tweet
昨日はどうも気合を入れすぎ、肩に力が入りすぎた感があったので、今日は少し力を抜いて書こうと思う。『モーニング』の感想。
巻頭カラーが「ジャイキリ」。アニメも始まるし、ジャイキリを扱った雑誌まで今日発売される。カラー部分は鉛筆書きに水彩という感じだが、ちょっとはっきりしない感じ。ポジションを変えさせられた選手たちがだんだん自分たちの弱点やポジションの意味に気付いていく。「宇宙兄弟」発熱してもガンバル。「バカボンド」もう一度だけ本当に強い人間と闘いたい。「島耕作」ハハ。(笑)「BillyBat」ちょっと面白いかもという気がしてきた。「誰も寝てはならぬ」楽しそうな入院生活。「僕はビートルズ」確かに、ビートルズがいない世界で、I saw her standing there.を演奏したら超盛り上がるだろう。「ルシフェルの右手」面白くなって来たんだけど、どこかで読んだような雰囲気がある。「主に泣いてます」相変わらずよくわからないが、いつか分かる保険会社がようになるんだろうかという期待で読んでいる感じ。「シマシマ」うーん。
「柳沢教授」教授の涙を初めて見た。生きて帰って来いという重い思い。「神の雫」こういうワインの探し方が出来たらいいだろうなあ。「とりぱん」ハイタカカッコいい。「エンゼルバンク」アメリカの医療保険は、支出の可否を決めるというのはショックだなあ。日本なら自分が医者にかかるかどうかを決めたら保険診療なら必ず健保から支払いがなされるわけだから、全然違う。アメリカの制度では、いざとなったら自費というのを覚悟しなければならないのか。怖い怖い。それがサブプライムローンで家を建てることにつながり、住宅価格が値上がりしたらそのお金で医療が受けられる、というのが多くの人がサブプライムに走った原因なんだという。本当かどうか知らないが、もしそうなら日本の医療保険制度がいかにちゃんとしているかと思う。普段は不備なところばかり目につくけど。
「呼び出し一」うーん。相撲ご鑑賞マニュアル。「ボクラハナカヨシ」やはり田中誠は競輪ネタを書いているときが生き生きする(笑)。「かぶく者」こりゃすげえ。宙乗りを出したのはこういうことだったのか。「miifa」高校時代の思い出等編。ふぎゃあ。「西遊妖猿伝」うーん。善神悪神。拝火教的世界観だ。いや拝火教ネタなんだけど。「なんじゃもんじゃ」うーん、こういう落ちか。想像を絶していた。最初はもっと単純な話だと思っていたんだけど、あっちの世界へ行ったきり、というストーリーとは。ある意味ナルニアのラストを思わせる。「エレキング」今週のわりといい。というかわかりやすい。「N'sあおい」ふりゃあ。「クッキングパパ」ふふ。「東京怪童」うーん、スカイウォーカー。望月ミネタロウがこのストーリーを書くということの意味はどこにあるんだろう。今週は「ピアノの森」のないウラの週なのだけど、全体に思ったより面白かった。
***
今朝、気の進まない仕事のことについて考えていて、一応自分の中で踏ん切りがついたのだけど、どうも考え過ぎてあたまがかたくなっていたらしく、モーニングの感想を書いているのにどうも堅苦しい感じになってしまったりして、変な感じだった。
10時ごろ、亡父の友人夫妻が父に線香をあげに遠いところを来てくれて、その先生と話をする。80を越えてもう大分耳が遠く、また、自分の言いたいことは言うけどこちらがちょっと確認しようと尋ねるようなことは全然取り合わないで言いたいことを言う感じが、亡くなる前の父の感じに似ていて、なんだか少し懐かしい感じがした。こちらが何か言うことにではなく、相手が言おうとしていることに集中して話を聞くのは、少し波立ち固くなりかけていた心を穏やかに柔らかくしてくれた感じがする。
「モーニング」の感想の一言コメントなど、自分の感想をばさっと一言でいうのが面白い(読んでいる方には何を言ってるんだかわからないだろうなとは思うのだけど)のだが、今日は最初書いていたとき、なんだか月並みなことばかり書いていてどうも変だなと思っていた。
何というか、何かを考えていて正論というものにたどり着いてしまうと、それに取りつかれてしまうところがある。そのこと自体に違和感を感じるからどうもおかしいとは思うのだけど、思考というものの頭を硬直化させる傾向と、正論というもののもうどうしようもなく固まった感じが、すごく自分を呪縛するんだなと思う。こういう状態から抜け出すためには、ただひたすら聞く、耳を傾ける、傾聴するというのがよく効くということがよくわかった。自然をじっくり観察する、というのでも同じことだ。神経を自分の内部にでなく、目の前にあるものに集中すると、やはり何か「無心」に近くなるんだろう。そうなると気持ちいい。
その方は、「無意識でいると人間は神を信じ、金を信じ、教典を信じる。それが問題なのだ。意識を探し求める人間は神など信じない」ということを言っていて(ずいぶん変わった人だとお思いだろうが、何しろ父の友人なので)、「宇宙意識が凝縮して物になり、銀河系や太陽系になり、地球になり人間になった。それが生まれるということで、死ぬと意識に戻る」という話をした。ラジニーシやキュプラー・ロスの話をよくする人だ。私は、「神など信じない」というのは碧巌録の「廓然無聖」ということと同じか、と尋ねたら考え込まれて、「これは難しい」と言った。何かそういうやりとりはぞくぞくする。イエスも釈迦も天国に行って帰ってきたが、キュプラー・ロスや山岸巳代蔵、野口晴哉も行ってきたんだ、というようなことをおっしゃるのでダンテやマホメットもそうですよねと言いたかったのだが余計なことのような気もして言わなかった。何か禅問答をしているみたいだった。
松本清張にしろ三島由紀夫にしろ、やはり近代意識の典型というか、日本が最もモダンになろうとしていた時代の人なので、モダニティというものの持つ固さというか、そういうものをすごく感じる。それはプレモダンとモダンとの相克でモダンを選択してきた人たちの持つ特徴、高度成長をもたらした時代の日本人の精神性の特徴が遺憾なく現れているんだと思う。そういうものを丁寧に読んでいるとやはり取り込まれて妙な感じになってしまうところがあるなと思う。
私自身の精神性はポストモダンとプレモダンに軸足を置いて(ポストモダンがどんなものかといっても、モダニティのアンチとしての精神性というふうに思っているだけで、近代の何にアンチなのかと言っても今のところ自分としてはうまく説明できないし、説明しなければいけないなとも思わない。まあそういう曖昧なものと受け取ってもらいたいのだが)モダンをどう解体していくのか、というようなことを若いころは(多分)考えていて、でもモダンの意味というかそういうもの(近代日本国家とかね)を見直したりして、まあいろいろすったもんだしていたのだけど、何か解体とか言わなくても時代が来ればモダニティというものは必然的に解体していってしまうそういうものだなという感じがする。それを最初に感じたのは1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件だったが、モダニティは明らかにおかしくなっている一方でグローバリゼーションにより全地球化も進んでいて、退廃の中の爛熟という感じがしている。それに対抗する動きも最初は思想性からはじまっていてそういうものは無意識にいやだなと思っていた。思想を持って思想に対抗してしまえばミイラ取りがミイラになるような結果を生むだけだと思ったからなんだろう。
でも最近では、思想からでなくもっと地道にやってきた人たちが成果を上げるようになってきているなと思う。余り方に力を入れなくても、自然に外枠が崩れていきつつあるというか、モダンというものが衣替えをしつつあるんだと思う。ただ、最後までモダンが残るところはあるから、何か劇的な崩壊のようなことは多分避けられないんだろう。少しずつ崩壊していくんだろうと思う。
私もそのあたりのところでけっこう引っかかりはしたのだが、最近はあまり肩に力を入れない方向で考えている。でもそう簡単にいかないところは随所にあるし、とにかく自分のフィールドが物を書くという思想にとても近いところなのでいちいち振り返りながらやらないと毎日何かに引っ掛かりそうになっている気がする。
でも、本来自分がなりたい自分になるまでには、そういう揺れのようなもの、緊張と弛緩の波のようなものは必要なんだと思う。人間の心というものは固まったものではないから、動くのが正常なのだ。
なんだか何を書こうとしていたのか分からなくなってきたが、松本清張や三島由紀夫などの典型的なモダニティと付き合ってみることで自分の立ち位置がよりはっきりする、ということだったかもしれない。モダンにはモダンの魅力が十分以上にあるのだけど、私の求めるものはモダニティではない。プレモダンに近いけれどもプレモダンそのものではない。
プレモダン、モダン、ポストモダン、貫く棒のごときもの――そういうものと付き合ってみたいとも思う。
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