苦手な待ち時間/松本清張の心の叫び/三島由紀夫『文章読本』/『努力しない生き方』
Posted at 10/03/31 PermaLink» Tweet
こんなゆるい感じのブログではあるが、本人は書くときにはそれなりに集中力を必要としていて、就寝儀礼のようなものが必要になる。昔は、何かを書こうというときはまず気になることを先に片づけて、とやっていたが、そういうことというのは妙に時間がかかるし、ものを書こうということで集中力を高めているので、その雑用に妙に気合が入って必要でないことまでやってしまったりしてしまう。それでよけい時間がなくなって、書く内容が雑になったりして本末転倒だったりする。また、書き始めるのが遅くなるとその分書き終わるのが遅くなり――一度書き始めると納得いくまで書かないと気が済まない――と言ってもそれは内容的なものというよりは、自分のうちにあるものをとにかく言葉にする、というレベルのことなのだが――次の予定に食い込んでしまう。大体、いつもタイトに予定を組む癖がなかなか抜けないので、そうするとどうしても慌ててしまう。
タイトな予定をくんでしまうのは、待ち時間というものが基本的にとても苦手だからで、待ったり並んだりしなければならないものだと大抵のものはやめてしまう。それは、基本的に一人で行動するからだろう。二人で行くとそういう待ち時間というのはあまり気にならない。男の友人であっても女の友人であっても、そこに二人でいるということ自体に意味があるからだろう。そういうちょっとした空き時間というものは、ぽっかりと本音が聞けたり言えたりして、なかなか貴重な時間だ。まあ、今ならツイッターというものがあるから暇なときはそれで時間をつぶすということもできるが、熱中しているころは本当にそういうことができそうだったけど、今はどうかなと思う。「国立博物館40分待ちなう」「行列が長い」なんてことで時間がつぶせるかな。というより、やっぱりもう待つということ自体のハードルから、そう熱心になれないものには最初から行く気がしなくなってしまうんだなと思う。行ってしまえば覚悟を決めて、大抵は待つだろうと思うけれども。
ふとカレンダーを見たら今日は大安だ。昨日は仏滅だったのか。先週ふとカレンダーを見た時も、その日は大安だった。いや、たまたまだが。
と、くだらないことを書いているとそれがウォーミングアップになってくる。そうだな、最初にそういうくだらないことを書いて自分とお客さんの緊張をほぐしながらテンションを上げる、という落語の枕みたいなことを書いていれば、こういう文章にとっては十分ウォーミングアップになるんだな、と思った。
昨日帰郷。今回持ちかえった本は、おととい買った松本清張『実感的人生論』、三島由紀夫『文章読本』と、昨日出がけに丸善で買った桜井章一『努力しない生き方』(集英社新書、2010)、amazonで入手した加藤唐九郎『陶芸口伝』、あとは何度も読んでいる桜井章一『運とツキに好かれる人になる』、大森曹玄『碧巌録』下の6冊。『碧巌録』は、下は出ているのに上は品切れらしく、新刊では手に入らないようだ。マーケットプレイスでみると妙に高い値段が付いていて嫌なのでまだ買っていない。古本屋を地道に探せばもっと安く買えるかなと思う。6冊でも文庫3冊、新書1冊でハードカバーは唐九郎だけなのでそんなに重くなかった。ここのところモーニングページをすごい勢いで書いていて、一冊100ページ(200字詰め)のノートを1週間で書いてしまった。一応3ページをノルマにしているのでノルマだけしか書かなければ一カ月もつはずなのだが4倍のスピードだ。だからノートも余計に持ったりして、それでかばんが少し重くなったが、本で重くなったという感じはあまりしない。
実感的人生論 (中公文庫)松本 清張中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
松本清張『実感的人生論』は、いま86/219ページ。昭和33年から55年、つまり1958年から80年にかけて、雑誌や新聞に掲載されたエッセイが収録されたもので、著者の死(1992年)後、2004年に文庫として刊行されている。内容は4部に分かれていて、Ⅰが著者の半生を振り返り、また両親のことについてなど書いたものを中心に収められ、Ⅱがイランの瑠璃椀、キューバでカストロの演説を聞いた話など旅行記的な感じのものが収められている。
私は松本清張の熱心な読者ではない。彼の作品で一番印象に残ったのは高校時代に映画鑑賞教室でみた『砂の器』だ。加藤剛が主演だった。あとは森田健作と丹波哲郎、緒方拳なんかが出ていたと思う。東北訛りのある殺人犯を追い、それが実は出雲の方言だったという種明かしがあって、父が癩病(ハンセン氏病)患者であったことから故郷を追われて父と彷徨った主人公がピアニストとして大成し、今度はその地位を守るために父と縁を切ってそれを責め、父に会うように諭す世話になった駐在所の警官を殺す、という、まさに松本清張の真骨頂ともいうべき「社会派」の作品だった。「憎むべきものは、社会にある」というのは宇津井健の「ザ・ガードマン」の決め台詞だったと思うが、そういう通念が広く受け入れられていた1970年代後半の、つまりはまだ学園紛争の余燼が残る時代の作品だったなと思う。
彼が高等小学校しか出ていない、というのはこの本を読んで初めて知ったが、相当強烈な被差別体験があったようだ。かなり抑えた筆致で書いているので味わいはあるが、ところどころに本音がほとばしっている。抑えつけられた人間がどうしたら矜持を失わないで生きられるか。彼の母は、必ず一張羅をあつらえていて、成長過程の彼も大きくなるたびに新しい着物を作らせたという。母は目に一丁字もなく、昨日まで隣人だった人の家に住み込んで下働きになったりするという辛酸をなめながら、それがよすがになっていたのだろうという。彼自身も、高等小学校の時分に夜学で簿記を学んだり、働き出してからも懐には岩波文庫を忍ばせていたりして、そういうことがくじけそうになる自分の矜持を保ってくれたのだという述懐はなるほどなあと思う。倒壊してくる家の屋根を支えるつっかえ棒のようなもの。まあ重いというか、そういうものを背負って生きてきた人がそういうことを打ち明ける話だからやはり読んでて肩がこるのだが、確かに昔はこういう人生もあったと思うし、現在も形は変わっても、こういう重いものを背負って生きている人たちはいくらでもいるだろうなと思う。そういう人たちが、今は何を支えにして生きているのだろうか。
まあ、さすがに抑えた筆致で、苦しみもまたすごく澄んだものにはなっている。「一つの矜持を持って、自分の現在位置を絶えず観照の目で眺めることが大事であろうと思う。」と思えるだけの教養を彼が持っていたことが、彼を支え、また成功させるための大きな条件になっていたのだろう。現在の教育は、そういう「自分を支える教養」をちゃんと与えているだろうかと思うと、心寒い。
まあ、なんというか、描かれている彼自身や両親の姿は、大作家だけあってビビッドで、それ自体に強く人物的興味をひかれるように描かれているのはさすがだと思う。女郎屋の二階で布団をひっかぶって寝ている父の姿に衝撃を受けたり、場所を横取りされてテキ屋に食ってかかる母の姿を強く印象に残していたりして、昔の「庶民」というものの哀歓と力強さのようなものを感じさせる、歴史史料ともなろうかと感じさせるような描き方だ。
しかし、一番印象に残っているのは下のくだりだ。
「私は世間の主婦の方にお願いしたい。(この文の初出は昭和37年―私が生まれた年だ―の『婦人公論』である)どんな下級の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然の行為であっても、その人間にやさしいねぎらいの言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。その人間はその一言でどんなに元気づけられ、希望を与えられるか分からない。それはあなた方の想像以上かもしれないのである。相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的な観念を持たれなかったことへの喜びである。」
これがやはり、松本清張の心の叫び、血の叫びだという感じがする。今はもう大時代的な感じがするかもしれないが、どんな立場の人間であっても人間扱いされたい、という欲求は最低限のことだろう。いや、社会はもっと複雑化しているので、本当はいたるところでそういう非人間的な扱いが、もっと目に見えない形で行われていて、だからこそこういう言葉に私も共鳴する何かがあるのかなという気もする。確かに何か本質的に間違っていることがこの社会にはあるんだろう。
私はこういう文章を書きたいわけではないし書けもしないけれども、味わうことはできる。味わうことで何かが自分の中で深くなり、少しは人の心に届く文章が書けたらいいと思う。
***
文章読本 (中公文庫)三島 由紀夫中央公論社このアイテムの詳細を見る |
三島由紀夫『文章読本』。これはまだ13/236。こちらは読んでいるとさすが三島だ、と思わせる。読んでいて、彼自身がどこにいるのか全然わからない。本当に陰で、文章を操っている策士なんだなという感じがする。文章に本人が出てこないから人を引っ掛ける仕掛けも自由自在だ。『金閣寺』なんかはよりシンプルだからあまり引っかからずに済んだけれども、『青の時代』はひっ掛ってしまってそれ以上読み進めることが出来なくなってしまった。
彼は、読者をレクトゥール(普通読者)とリズール(精読者)に分ける。リズールとは「文学というものが仮の娯楽としてでなく本質的な目的として実在する世界の住人」であり、「本当に小説の世界を実在するものとして生きていくほど、小説を深く味わう読者のことであります。」と説明している。三島はこの本の目的を、「今までレクトゥールであったことに満足していた人を、リズールに導きたい」と宣言していて、読んでいていぞくぞくしてくる。今からあなたを悪場所に引きずり込むぞ、という不敵な宣言である。これだけ読んでいても三島の作家としての資質のありようとその自信の種類とその深さについて十分うかがえる、すごい文章だなと思った。引き返すのは今のうちだぞ、と彼は笑っているのである。そして彼に笑われて、引き返そうと思うものはいないだろう。そういうある種の悪魔性が彼の文体にはあり、それが彼の文章の魅力でもあり危険な部分でもある。彼自身がそれにとらえられ、逃げられなくなってしまったわけだから、ましてや人は、という感じだ。
***
努力しない生き方 (集英社新書)桜井 章一集英社このアイテムの詳細を見る |
桜井章一『努力しない生き方』。66/185ページ。相変わらず面白い。つづめて言ってしまえば「全力を出し切るためには、力んではだめだ」、ということなのだけど、何というか彼の人間の面白さが文体に素直に表れている。小節の表題を並べてみているだけでわりとビックリ仰天というか、肩の力が抜ける。「努力しない」「持たない」「得ない」「恨まない」「壁を越えない」「頑張らない」「悟らない」「苦しまない」「隠さない」「満たさない」「才能を磨かない」「休まない」・・・
これを読んでるだけでは何を言っているのかわからなくなってくるだろう。特に面白いと思ったのは「努力しない」「満たさない」「才能を磨かない」「休まない」といったあたりか。
「努力しない」というのは何もしないということではなく、肩に力を入れて「努力」するよりも楽しく「工夫」しながらやったほうがいい。肩に力が入ると必ず「違和感」が生まれ、嘘っぽくなってしまう、ということだ。これは何というか、よくわかる。何かをやったり読んだりするときに自分の思う通りにしようとするとつい力が入り、嘘っぽくなってしまう。自然に自然に、とやった方が楽しく、また爽やかな経過になることが多い。
「満たさない」「才能を磨かない」というのは、向上心ってなんだろう、ということなんだが、それがもし「自分には足りないものがあるからそれを得るために頑張る」ということであるのだとしたらそれは正しいのかな、というささやきだ。本当に「足りない」んだろうか、ということだ。「足りてる」部分は自分にはないんだろうか、ということだ。
「自分には何も無い」、とよく絶望するけれども、本当に無いんだろうか。言われてみてそうだなと思ったが、「無い」と思うのは人と比べるからで、本当は人との違いなんかわずかなもので、「ある」部分が人も自分もものすごく大きいのだ。病気をしてみればわかるが、人間の体が快調に動いているというだけで、本当はものすごく巨大なシステムが涼しい顔をして当然のように動いているのだ。お金や才能にしても、上を見れば「自分は足りない」と思うけれども、下を見ても「自分は足りている」と思わない、という指摘は全く目から鱗だった。これは優越感とか劣等感というものが、自分の「足りている」感覚とは全く縁のない、意味のないものだということも示している。劣等感は「足りない」という気持ちからきているけれども、優越感を持てば「足りている」と思うだろうか。そう考えてみれば、優越感というものを感じているときの自分というものが、いかに浅ましいだけのものであるかと恥ずかしくなってくる。「足りている」と言いきることは、全然別の次元の問題だということがよくわかる。
「休まない」というのは「努力しない」ことの結果で、つまり、仕事を楽しみながら遊び感覚でやっていれば疲れないから、休む必要がない、ということなのだ。つまり、休む必要があるということは、努力なり何なり、肩に力が入って違和感を感じていてもそれを無視して消耗しながら働いているということだから、「まだまだ」だということなんだなと思った。現実にどこまでできるかはともかく、そういう考え方でやれるといいなと思う部分はある。
***
ああ、なんだか思ったより時間がかかった。ここまで書くのに2時間かかっている。松本清張の部分が書きにくくて大分推敲したり書いた文章を消したりした。人の誇り、人の心に関する部分は、まだまだ自分の考えがしっかりしていないところがあるなと思う。そういうことが分かるのも、文章を書いてみてのことなのだなと思った。
それにしても、今日の文章は少し気合を入れすぎた。気合だけならいいけど、やはり少し力が入ってしまったかなと思う。少し自分にとって難しいことを書いたからだなと思う。難しいことでももっとらくらく書けるように書き方を工夫していきたいものだと思う。
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