人生にあるべき姿などない
Posted at 10/03/11 PermaLink» Comment(2)» Tweet
昨日は荒れた天気。体温も高めで、やや調子が悪い感じが続く。10時ごろ仕事を終わりにして家に帰り、簡単に夕食を食べてさっと風呂に入り、早目に寝た。今朝起きた時の体温がかなり高かったので少し危ぶんだが、体の感じはわりと爽快だったので大丈夫だろうと思い、職場に出て不燃物の処理をする。捨てなければならない古雑誌の山などもひとまとまりだけ処理。やっているうちに減っていくだろう。出さなければ少しも減らないが、少しでも毎回出していれば減るわけだから。
職場に父の友人で私も世話になった先生からの手紙が来ていて、そのことについて朝食時に少し母と話をする。父のやろうとしていたことは実際理解されにくいことであることは確かなんだが、たぶん同志を求める対象が違っていたんじゃないかとも思う。ただ、自分が生きてきた世界との重なりということもあるし、そういうのはなかなか難しいのだけど。
会計事務所に電話して必要なことを確かめ、午前中は自分の確定申告を作成。職場に出て新しいパソコンで複合機から印刷しようとしたら、複合機のプリンタが故障。あとでサポートに電話したら電源コードを一度抜いてさしなおせと言われて、やってみたら治ったので早く電話したらよかったと思ったのだが、結局自宅に戻ってインクジェットで印刷。添付書類を張り付け、ハンコを押して封筒に入れ、郵便局に車で行って窓口で差し出す。ああ、ようやく終わった。今年は青色申告の部分があったから面倒くさかった。来年以降はもっと大変になるな。
『モーニング』を買ってきて読む。「ピアノの森」、レフが鉄板の優勝候補として素晴らしい演奏をし、ついにカイの出番。カイに向井が話しかけていて、最近出てきたばかりのキャラなのにけっこう大きな存在になってきた。カイの曲目、ピアノソナタは3番だということは明らかになっているが、ポロネーズとマズルカはどういう選曲になるか。次回の掲載は2週間後の25日だが、その前の23日に単行本17巻が出る。パンウェイのあたりまではいくかな。また連載時との比較をしてみるときっといろいろ変えてくるだろうと思うし、楽しみだ。
郵便局に行った後、その足で豊田の方に行ってガソリンを入れ、そのまま西山の方へ走って天然酵母のパン屋へ行く。あんパンと、フレンチトーストを買った。ルヴァンで売っているようないちじくのぱんとかがあるといいのだけど、ああいう硬い感じのパンはひと色しかなく、少し高かったので今回はやめにした。
まだまだ風邪の経過中という感じ。体のいろいろな個所の異常が明らかになって、すこしずつすっきりしては来ているけど、風邪を卒業するには少し時間がかかりそうだ。体のエネルギーもそちらに取られていて、何かまとまったものを書いたりまとまった大きなことをしたりするにはまだ自分の中で満ちてくるものが足りない感じがする。あまり焦らずに、ゆっくり待とうと思う。
知性とか思考とかいうものについて考える。そういうものは基本的に生きる上での道具
という側面が強いと思うし、そういうものを絶対視すると危ないとは思うが、逆にそういうものを軽視したり無視したりする集団もまた危ない。学問的な、あるいは科学的な知では本当のことを知ることが出来ない、という側面も確かにあり、その不満が80-90年代には多くの学生をオウム真理教のようなカルト団体に導いたわけだが、しっかりした知性が防止する大きな間違いのようなものも確かにある。結局は一つのことにとらわれず、決めつけず、本当はどうかと問い続けるしかない。
キューブラー・ロスを読んでて出てきたヴァージニア・サターの言葉をウェブで調べていたら「人生に、あるべき形などない。人生はあるがまま。あなたのかかわり方によって、それは変わってくるのだ。」という言葉を読んで、人生がどんな形に結果的になるのかなど、誰にもわからないんだよなとあたりまえのことを今更ながら思った。やはり、人生はこんな風にしたい、という漠然としたイメージがあり、そうなるものと思い込んでいるところがあって、でも実際にはあまりそうなっておらず、それがけっこうストレスだったりするところが自分にもあるんだなと思う。
最近、仕事や様々な面で自分はこうあらなければならないというのが強くあって、本当ならゆっくり風邪をひいて体がストレスを感じている部分をすっきりさせたいという感じがあったのだけど、なかなかそういう機会がなかった。今回風邪をひいてみて、別に仕事をしながらでも風邪はひけるなと思った。もちろん多大な無理はできないが、普段普通にこなしているくらいの仕事は十分できる。こういうのって今まで自分のビジョンにはなかったが、今回なんか思ったよりうまくいっている。それは一つにはほぼ一時間おきに体温を測っているからで、37度くらいの時の自分の体の感じはこんなもの、37度6分くらいまで上がるとこういう感じになる、寝ると起きた時には体温は上がっているし、動いたり入浴したりしたらもちろん上がる。とか、体温と体調を関連付けて客観的にみられるようになった感じがする。のどの風邪は大分治って、声はほぼ普通に出るようになったが、今は副鼻腔のあたりに取り組んでいる感じで、ここはもうしばらくかかるかもしれない。コーヒーを飲むとどうもその刺激が鼻の奥を痛くするとか、口に入れるものと体の感じの関連もいろいろわかって面白い。自分の体はしょうがないなあと思うくらい自然志向なんだなと思う。
そういうことでいうと、『「死ぬ瞬間」と死後の生』を読んでいるとキューブラー・ロスが自然食とか菜食主義にすごく反発し、抵抗しているのが面白い。彼女はコーヒーを飲み、ハンバーガーを食べ、たばこを吸い、健康食品の類にはアレルギーを起こすのだそうだ。子供に心を開かせるのは自然食ではなくドーナッツとコーラだ、と言ったり、そういうものを極端主義として排しているらしい。私も基本的にそういう方向だったからよくわかるのだけど、最近はどうも体がそういう自然的な方向を要求するのでしかたないなあと思う。とにかく体が弾力を取り戻し、自然にエネルギーが満ちてくるような体に戻さないと、私のやろうとしていることなんかできないだろうなあと思う。
「人生にあるべき姿などない」というのは、大学へ行って就職して定年まで働いて、という一般的な人生像に対するアンチテーゼであるだけでなく、そこからはみ出してどんなふうに生きていくかという時にも起こりがちな「こんな風に生きなければならぬ」という人生ビジョンに対するアンチテーゼでもある。人生というのは基本的に、どっちに転ぶかわからないものだ、ということは分かっていても、そうした転び方を本当には肯定していないところが自分にはある。転んでしまったら立ち上がって元のコースに戻るという選択肢以外に、転んでみたら今までとは全然違う景色が見えることもあるのだから、そこから全然違うことをしだすことがあったって別におかしいことではないのだ。
その辺の柔軟性が欠けるというのは、結局転んだときに違う角度からものを見ることが出来ていないということと、そのことをちゃんと評価する心の余裕がないということがあるのだろう。まだまだ私の人生も謎が多いが、というかどうせ死ぬまで謎なのだけど、その謎を楽しんでいくしか人生の生き方というのはないんだろうなと思う。
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"人生にあるべき姿などない"へのコメント
CommentData » Posted by OWL at 10/03/11
日出処の天子、にコメントしました、OWLと申します。
お久しぶりです。ずっと読ませていただいています。
そうですよね。人生にあるべき姿などないんですよね。
でもついつい、こうあるべき姿じゃない自分を情けなく思ったり
落ち込んでしまったりしていました。人生なるようにしかならない、
というのもよく最近口にしていたんですが、
あるべき姿などない、のほうがなんとなくポジティブで好きになりました。
励まされました。ありがとうございます。
CommentData » Posted by kous37 at 10/03/12
コメントありがとうございます。
私もつい、「あるべき姿」を考えてしまうので、よくわかります。でもそれって、自分が「本当に」なりたい姿と同じなのかな、と思います。本当にやりたいことをやっている時、そういう姿になっていると思えるならそうだろうと思いますが、私の場合はそういうイメージにはなんか見栄とかいろいろなものが付着している気がします。
遠くのイメージでなく、近くの取り組みこそが自分にとって大事だということなんでしょうね。