「邪馬台国」と「田舎暮らし」
Posted at 10/03/05 PermaLink» Tweet
昨日の仕事は忙しかったのだが、今日は暇だろうと思ったら案の定。昨日から咳がかなり出るため声が出にくくなっていて、あまり忙しくないほうがありがたいのは確かなのだが。
昨日は風雨が強く、寝る時も雨風の音がすごかったのだけど、今朝は起きたらいい天気で、昼ごろには暑いくらいまで気温が上がった。これだけ寒暖の差が激しいと体調が付いていかない。
昨夜は夕食後、入浴してから自室に戻り、足湯をしてから寝る。荒天でお湯を汲みに行けなかったのでポットのお湯を使ったら少し少なくて、本当はくるぶしまでつかるくらいお湯がほしかったのだがくるぶしの下くらいになってしまった。それでもしないよりはずっと良かったと思う。でも、寝ている間に汗をかくほど温まったわけでもなかった。でも起きた時には結構すっきりした感じがあった。
今朝は6時半ごろ起きて職場にごみを処理しに行き、帰ってきてモーニングページを書き、朝食後、手続き関係の処理をいくつか。終わらせて自室に戻り、試供品の生姜湯を飲んでみる。これが案外よくて、体が活性化する感じがした。車で出かけて、郵便局に寄った後、綿半で生姜湯とペパーミントティー、東海桜の枝を買う。それからツタヤに行ったら『惑星ソラリス』のVHSが100円の見切り販売に出ていたので買った。それから平安堂まで行き、立ち読みして『季刊 邪馬台国』と『自休自足』を買った。
なるべく自分のほしいという感覚に正直に買ってみたのだが、何とも言えない組み合わせだ。『季刊 邪馬台国』は古代史では割と有名な論者、安本美典が主催する雑誌らしい。彼は「邪馬台国九州説」を唱えているが、最近発掘が進んでいる奈良県の纏向遺跡が邪馬台国に比定されている現状を批判するのが主な趣旨のようだ。纏向遺跡・巻向地区といえば一番有名なのは箸墓古墳だが、10年くらい前の春にあのあたりをずっと歩いて回ったことを懐かしく思い出す。箸墓の周りをぐるっと回った時にはもう日が傾いていて、古墳の圧倒的な量感が強く感じられた。古墳の周囲に暮らしている人って、たぶんそうでない人と日常の感覚が違うんじゃないのかなという気がする。あの頃は発掘調査とかも目立った規模ではなかったと思うけど、最近の注目度は高い。
季刊邪馬台国 2010年 02月号 [雑誌]梓書院このアイテムの詳細を見る |
考古学的な成果で研究の裏付けを取っていくことももちろん重要だが、私は基本的に文献にあらわれた、つまり記紀を中心とした古文書群の解釈をもっと丁寧にやってもらいたいなと思う。まだまだそこから見えてくるものはあるのではないかと思う。纏向といえば崇神天皇・垂仁天皇の宮がおかれた地域で、一時期流行った王朝交代説では「三輪王朝」の本拠地ということになるが、このあたりの年代比定を従来の3世紀後半から4世紀という解釈を3世紀前半にまで早め、卑弥呼と同時代と解釈することで卑弥呼の宮跡であるという方向に話を持っていきたい勢力があり、それと朝日新聞などが共同して論陣を張っている、というような批判をしている。
私は邪馬台国に関しては、最近は、そんなものが本当にあったのかという感じになっている。戦後の古代史学者は記紀を王権による歴史捏造と考え、中国の文献至上主義になっていて、魏志倭人伝の記述をああでもないこうでもないと論じているわけなのだけど、それより後の時代の、日本と国交のあった時代の中国の正史を読んでみれば、その記述がかなりいい加減だということはすぐわかる。それであるのにもっと古い魏志倭人伝の記述を金科玉条のように信じるのはどうも納得がいかない。それより記紀をもっと公平な立場で、つまり「国家による歴史の捏造」といったイデオロギー的な偏向を捨てて虚心に読むことの方が益するところが大きいのではないかという気がする。
だから、私は基本的に纏向遺跡は崇神・垂仁二代の宮城跡と考えるべきだと思うし、記紀の記述と考古学的な調査結果を照合しつつこの時代の歴史像・政治像を描いていくべきだと思う。もちろん「親魏倭王」の金印が出土したりしたら少なくとも中国側が邪馬台国と認定した場所だということを認めるのはやぶさかではないが。
今も咳き込んで大変ではあるのだけど、箸墓を歩き回ったあの春は、飛鳥で完全に花粉症になってしまったことを思い出す。なぜか、花粉症って関東のものだと思い込んでいて、全然予防をしていかなかったのだ。少なくとも一日外を歩き回るのなら、花粉対策は必要だということは言える。
自休自足 2010年 04月号 [雑誌] VOL.29第一プログレスこのアイテムの詳細を見る |
『自休自足』は都会人のための田舎暮らし入門書みたいな雑誌で、実際に物件まで載っている。けっこうお値打ち感のある出物もあるようだが、やはり古民家がいいなと思う。私の実家も明治初期に建てられた農家の造りだったのだが、ちょうど石油ショックのころに建て直してしまった。いまでは古い建造物は御蔵しか残っていない。建物の台帳を見ると、これは大正時代に建てたものらしいのだが。
自分がそういう意味で田舎暮らしをしたいかというとたぶん全然そんなことはないのだけど、そういう暮らしをしている友達がいるといいなとは思う。また、そういうところで作っているものを食べたいなと思うし、そういうところで作っている工芸品なんかもほしいなとは思う。私は基本的に地方都市の一軒家と東京のマンションの二重生活なのだが、どこかこういう所に住みたいという具体的なイメージはあまり持っていない。どういう家に住みたいかと言われれば、松戸にある戸定邸みたいな家、ということだけははっきり言えるけれども。
いずれにしても、自分がそうするとかそういうこととは関係なく、そういう「田舎暮し」というものには何か引かれるものを感じることは確かだ。そういう選択をした人というのは、基本的にはみな幸せそうで、(だから雑誌に載ったりするんだろうけど)魅力的に見える。都会の流れ、多くの人がそこに巻き込まれている流れではなく、自分が本当にそうしたい、という選択をしてそこで自分の足で立とうとしている人たちが魅力的に見えるのは当然だろうと思う。
まあそれも、ここ一二年、自然食とかそういうものに抵抗がなくなったということととても関係があると思う。私も実際のところ、小学生から高校生にかけて「都会から来た人間の田舎暮し」を経験しているので、そういうもののいいところもわりとわかるし、そういうことをする人たちのある種の「いかがわしさ」のようなものも感じてしまうところがある。私はやはり子どものころからそういう「いかがわしさ」に対して潔癖なところがあり、そういうものを感じてしまうとまず拒否する、というところがあった。それはもともと、都会暮らし(というかスプロール化した近郊住宅地での暮らし)が好きだったし、親の一存で田舎に移住したこと自体に抵抗がずっとあったということもある。私はどうも、「環境を変える」ということ自体がもともと苦手であるらしい。
まあ、そういういかがわしさを感じるのは山岸会に対してもそうだったし、野口整体に対してもそうだったし、自然食とかに対してもそうだった。もちろんラジニーシやらニューエージやらそういうものに対しても(そういうのは今でも十分いかがわしいと思っているけれども)感じていた。逆にそういう人たちが資本主義を批判したり都会生活を批判したりすると、それだけで「そういうものはきっといいものに違いない」と考えるような子供だったと思う。
野口整体に対する偏見はわりと早めに薄れたが実際に通うようになったのは21世紀になってからだ。自然食に対する偏見がなくなったのもここ数年。だって実際においしいんだから仕方がない。自分の体がそういうものを求めているということはよくわかる。そういういろいろな物の折り合いを自分の中でどう付けていくのかというのは本当に自分にとっては大きなテーマで、まだ完全には折り合いが付いていない。創造性を開く、ということに関心の中心を置こうとすると、ちょうど反作用のように日本古代史への関心がむくむくと湧き上がる。自分の頭は都会的なもの、文明的なもの、ないし西洋的なものをたぶん求めているのだが、自分の体は田舎的なもの、素朴で純粋なもの、日本的なものをたぶん求めている。自分の中に広大な地図があって、心と頭と体がまだまだ違う水先案内をしているところがあるんだろう。少なくとも、どこかへ行こうとすると、それに反対の動きも一緒にしないと絶対にバランスが崩れる、というところが私の中にはある。だからどうも、あまり「遠く」に行けないんだなと思う。
ああ、なんか自分の中の現状が割と正直に書けた感じがするな。近代の日本人は、みな多かれ少なかれそういう隘路を生きたと思うのだけど、私もどうしてもそういうところに迷い込む。何か一つのことをすることで、頭も体も心もみんな満足する、というようなことは自分にはあるんだろうかと思う。
まあなくてもいいんだけど。結局自分の中でバランスを取ってやっていくしかないんだから。
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