些細なことだが/「一番説得力のある線」/演技・演奏と感情
Posted at 10/02/24 PermaLink» Tweet
午前中に二件用事を済ませたのだが、二件ともアポを取った相手ではなく、留守番の人に要件が託されていて、まあたいした用事じゃないからいいんだけど、ちょっとイヤな感じがした。まあこういうこと、よくある些細なことなんだけど、代理の人から「申し訳ありません」の一言があれば気持ちはだいぶ違うよなあと思う。そういうところに気が回るかどうかが会社の印象を決める部分があると思うし。また、窓口でもやたらはきはきしている人よりも、注意が行き届いているという感じの少しベテランの人のほうがやり取りをしていて安心感がある。こういう人選というのも難しいんだろうなあ。今までそういうことを意識していなかったのだけど、毎日いろいろな手続きにいったり注文を出したり受けたりしていると、そういうことって人間関係の潤滑油として重要なことなんだということがわかって来る。ウチの田舎では「率直なことが美徳」のような観念が支配的なところがあるので、東京のあたりの柔らかい対応に慣れているとときどき「何だ?」と思うことがある。
実は、銀行印を中学の卒業記念に全員に配られたものをまだ使っているのだが、ちょっと欠けてるところがあったりして、さすがに変えたほうがいいなあと思い、作ってみることにした。先日会社の社判を作ったところで頼んでみようと思う。字体はいろいろ見てみたけど、篆書(てんしょ)がポップでいいなあと思う。自分の精神には、やっぱりどこかポップなところがある気がする。
ユリイカ2010年2月臨時増刊号 総特集=中村佑介 イロヅク乙女ノユートピア中村 佑介,宇野 亜喜良,山本 直樹,村田 蓮爾,後藤 正文,松井 みどり青土社このアイテムの詳細を見る |
昨日帰郷。行きがけに、丸の内の丸善に寄って『ユリイカ2月増刊号 総特集中村佑介 イロヅク乙女ノユートピア』(青土社、2010)を買う。日曜日に『Blue』を買ったときの清水の舞台から飛び降りるような決心(大袈裟)に比べると抵抗なく。というか、もうルビコンを渡ってしまったので(仰々しい)もう行け行けと言う感じだ。手に入れるのにある程度抵抗を感じるものが本当に自分の欲しいものだ、ということはあるかもしれないと思う。
このユリイカの特集はとても面白く、というよりも特急の中でほとんど没入して中村のロングインタビューを読んでいた。彼の絵に関する生い立ちは本当に面白い。両親が二人とも絵の専門家で、父が建築士、母がデザイナーだったとか、「アジカン」のジャケット絵でブレイクしたとか、(アジカンは聞いたことはないんだけど)なんか貪るように読んだという感じ。何がそんなに面白いのかよくわからないのだけど、インタビュー自体にすごくひきつけられるものがある。
これはまあ大阪人の特性みたいなところもあるんだろうけど、話している内容にサービス精神がある。聞いている人に面白いように話していて、だから後に出てくる宇野亜喜良との対談で喋っていることと微妙にニュアンスが違う話とかでてきて可笑しい。つい口が転がっちゃったんだろうなと思う。どちらがより真実に近いのかは分らないが、まあそれはもともとどっちでもいいんだろうと思う。私も喋っているときについついサービスしてしまうのでそれはよく分る。私の場合はちょっと口が転がりすぎて後悔することも多かったが。
どこかである限界にぶつかったときに先輩に、「中村君は結果として出てきた線だけを真似て描いているから、その線が出てくる仕組みが分っていない」といわれてデッサンに本腰を入れるようになったという話は面白い。それをインタビュアーが受けて、「マンガを見てマンガを書くとよくない」と言っていたけど、それはそうだなと思う。それは文章で言えば、「小説を読んで小説を書くとよくない」という話なんだなと思った。
自分の文体はどうやってできるかというと、真似した方がいいという部分は一つあることは確かで、私もだいぶ前になるが、朝日新聞で連載されていた河合隼雄のコラムを毎回原稿用紙に書き写していたことがある。写してみて初めて「1200字とはこういう量だったのか」とかそういうことがわかるという面もあるし、話がどこまで来たときにどういう呼吸で話を変えればいいかとか、そういう文章上の「阿吽の呼吸」のようなものが分ったというところがある。
中村は今でも、いくつか線を引いてみて「一番説得力のある線」を選ぶという。これはなるほどと思う。宇野亜喜良との対談で言っていたが、彼は「オリジナルであること」にあまり価値を感じないのだそうだ。それよりも、「みんなが見てくれる」作品がいいのだという。イラストレーションの最終生産物はマスプリされた製品であって原画ではない、原画展をやることによって原画の方がより価値があるかのように思われるのも心外だ、と言っているのも面白いなあと思う。ちょっとウォーホールっぽい。しかし、「説得力のある」線を選ぶことで実に彼の個性が際立ってくるわけで、そこに徹すれば書き手が立ち上がってくるという逆説がイラストのような分野におけるアート性なんだなあとしみじみしたのだった。
それは一筆で竹を表現してしまうような意味での線の力とはもちろん違うのだけど、中村の場合はロットリングで描かれた線の伸び具合、屈曲そのものに馬鹿に説得力があるわけで、ああやはりそういうことを考えて描いているんだなあと思うと嬉しくなってくるという感じなのだ。
線をなぞる、文を書き写すというのはその書き手の呼吸を物にすることで、その人の見つけ出した説得力を自分のものにしていくということではあるのだけど、それだけでは自分の志向や生理に基づいた説得力にはなっていない。それをものにするためにはやはり現物を見ること、「石膏デッサン」のようなことが必要なんだろうと思う。保坂和志が書いていたことが割合それに近い気がする。
絵を描く人の話というのは、あまりペダンティックになってしまうとよく分らないが、率直な話は大体面白い。その作品を見ながらいろいろ話せると実に面白いのだが、なんだか読んでいるうちに実は自分は絵を書きたかったんじゃないかという気がしてきた。人に見せるのではなく、それこそモーニングページのようなつもりで描いてみると面白いかもしれない。また、絵に書けないものを字によって書くという方面で多分今の自分は物を書いているところもあるんじゃないかという気がした。何でもやってみればいい、面白いと思う。
葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)平野 啓一郎新潮社このアイテムの詳細を見る |
今日は車の点検の待ち時間に『葬送』を読んだのだけど、ドラクロワが演劇論を戦わせている部分でこれはなかなか面白かった。一つにはロマン主義と古典主義のどちらが勝っているかという論争から始まって、ロマン主義の代表みたいにいわれているドラクロワが実はロマン派には不満を持っていて、感性(というより感情だな)よりもより知的な自己統御を肯定し、感情に支配されてはならないというディドロの説を肯定する。古典派に足りないのは想像力であって感情ではない、と言っているのが面白かった。
ここで語られているドラクロワの芸術観・演劇観が平野のものとどのくらい一致するのか分らないが、ほぼ私から見て妥当、つまり私自身の演劇観と近いだろうと思った。
「デズデモーナの不義を知ったオテロの怒りを二十回目に演ずる際に、最初にそれを演じたときと同様の感情の昂ぶりを以って演技することなど出来るかい?」
「それが出来るのが、俳優ではないでしょうか?」
このやり取りには少しく仰天した後、じわじわと「やばい。」という感じがこみ上げてきた。オテロを演ずるとき、オテロの怒りを役者自身が感情の昂ぶりを以って演技している、と思う人は考えてみたら必ずしもいないわけではないだろうと。
実際、そんな演技をしている人など、まずいないだろうと思う。いわゆる「役になりきる」という型の演技が近いとは思うが、役者は舞台上でさまざまな約束事をこなし、立ち位置を考え(ずれると照明が当たらない)、セリフのタイミングを意識するなど、自分を外から見る目がなければ演技は成り立たない。
感情表現に関しても、他の人のことが厳密にわかるわけではないが、私の場合は自分の内面を「盛り上げて」行き、テンションの波をたゆたわせてクライマックスに向けて上げていくことは考えても、怒り自体をどう表現するかは基本的には稽古の段階ですでに作り上げてあり、本番の舞台上ではちょっとした揺れのようなものにあわせて表現を微調整することはあっても、感情に任せて演技したらまず失敗する。実際、舞台上ではその役の感じたであろう感情がこみ上げてくるということは実際にあるのだが、むしろそれは抑えて練習通りに演じた方がそういう感情は伝わるようである。
つまり表現を感情に頼ってはならないということで、テンションの強弱が先行する問題であり、後は感情表現をどういうふうにするかという技術上の問題があって、こぶしを握って腕を目の前に上げうつむくだけで嘆きを表現する能の型のように、演者の感情とは無関係に感情は表現される。以前はよく歌舞伎を最前列で見たのだが、遠くから見れば愁嘆場を演じている女形が近くで見たら時々咳込んでいたりして、これで遠くから見たら愁嘆場に見えるんだからすごいものだとたまげたことがあった。
まあそういうことを書いてから思ったが、考えてみたら私自身、まず内面の動きを作ってから強弱をつけていったことがあったが、これは自分でもうまく行かなかった芝居として分類されている。造形において、特に舞台芸術においては、感情を先行させたい、という欲望はやはり起こることだし、見ているほうもそう考えた方が理解しやすいのは確かだなあと思った。
『ピアノの森』で修平を教えているパヴラス教授がプレリュードの演奏について、感情を先行させた演奏は聞き苦しい、ということを言っているけれども、感情に頼ってテンションを盛り上げることの限界を言っているのだなと考えればよくわかる。つまり、感情というのは自分という人間の本体ではなく、ときに自分を支配しようとする何かであって、ある意味気まぐれなものであるから、それに頼った演技・演奏は安定したものには出来ず、せっかく長期間の稽古で作り上げていっても感情が盛り上がらなければ演奏できないということになってしまう。アートというものはそういうものではない、と思う。
そこから先は少し面倒な話になるが、役者というものは身体自身が表現手段であるので、進退がテンションを保ち、盛り上げ、抑えることが出来るように稽古されてなければいけない。さまざまな演劇ジャンルがあるのは、身体をどのように作り上げるかという方法がそれだけたくさんあるということで、日本的なもので言えば能なら謡と舞い、歌舞伎なら長唄(とか清元とか)と舞踊というように、基本的な発声と身のこなしについての基本的な稽古がある。
そうした稽古を通じて作り上げた身体をもって役に臨み、その役を造形していくのが役者であるわけだが、その役作りの仕方に知的な方法を持ち込んだのがスタニスラフスキーだ。スタニスラフスキーはテーブル稽古といって戯曲の背景をみなで学習し、このときの役の人はどのような感情を持っていたかということを討議したりして知的に納得したうえで役の造形に入る。ただこれは逆に言えばどういう感情かということを説明はできるけれども演技はいまいち、という人を作りかねないところがあって、60年代末からのアングラあるいは小劇場の台頭の中で見直されつつあった。新劇の方がどうなのかはよく分らないが。
まあ、感情表現というものにはそういうわけでいろいろなアプローチの仕方、造形の仕方、線の引き方があるわけだが、そういうのって上に書いた中村佑介と、たとえば林静一なんかの違いとかにも重なってくるところがあるなと思う。
まあ芸術論はあまり書くと自分の創造力自体に支障をきたすところがあるので程々にしておきたいと思うが、久々にこんなことを考えたこと自体が楽しかった。『葬送』、現在第一部上巻180/355ページ。
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