使命について考える/谷川雁というカリスマ/世界を変えるのか、世界を選ぶのか/ものごととの距離感

Posted at 10/02/14

昨日からいろいろ考えてしまって、ブログが書けないでいた。こういうときはひとつ考えるたびに考えを転換しようと無用な気分転換をたくさん入れてしまったり、また気分転換のためにその都度変なものを食べて胃に負担をかけたりしてしまいがちだ。腹の調子はあまりよくないので胃に物を入れるのは自粛してはいるのだが、しかし何もない日のようにすっきりと完全自粛というわけには行かず、つい時々食べてしまう。昨日もらった義理チョコを冷蔵庫に入れているのもよくない。つい目に付いて食べてしまう。いや義理チョコが悪いのではなく、自分が悪いのだが。

まだまだ自分の中に不安定な部分があると思うときがある。自分のやりたいことをやる、ということを先日書いたけれども、そのとき書いた自分のやりたいことというのは本を読んだりものを書いたりするのが好きでそれがしたいということ。そのほか、田舎より文化的なもののある都会の方が好きだということ。つまり文化的なものを空気のように呼吸して生きたいという渇望が自分の中にあるということもあるなと思った。そしてそのいろいろなものを知る過程の中で見につけてきたいろいろなものを生かして生活の資を得ていくという生き方が出来たらいいな、ということを書いた。それはそれで変わらないのだけど、自分の中の凍った芯を少しずつ溶かしていく過程の中でいろいろなものが露わになっていく。

昨日書いた「父の死を受け入れがたい」ということを病院のせいにすりかえているということとか、自分の中でいろいろと受け入れがたい運命に関するようなことを何か別の理由付けをしてしまっているということがいろいろあるのではないかという気がする。まあそういうことは気がついたその都度その都度自覚していくしかないのでそれはそれでいいのだけど、世界が自分を攻撃しているのではなく、運命というものと直面しているのだということを自覚したためか、今度は自分に与えられた使命というものは何なのかということについて考え始めてしまったのだ。

それは昨日上京する特急の中で朝日新聞の、谷川雁の特集を読んだことに起因している。谷川雁という人は、名前はよく聞くがあまりよく知らず、何とはなしに反発を感じていた人だったのだが、ネットなどで調べて見ると民俗学者の谷川健一の弟(健一はまだ存命だということも驚いたが)だという。朝日の記事(文・河合史夫)によると、谷川雁は革命詩人と呼ばれ、60年代の青年に大きな影響を与えた思想家なのだという。かつて学生は吉本隆明か谷川雁を読んだ、のだそうだ。で、吉本派と谷川派に分かれたのだそうだが、正直言ってそれほどとの存在とは全然知らず、かなり驚いた。

谷川は熊本出身で三池闘争を組織したり、「東京へ行くな ふるさとを創れ」という言葉で地方の若者を呪縛したりしたが、本人は東京に出てきていて、15年間も沈黙を守った末、1980年ころから北信州の黒姫で「ものがたり文化の会」を作り、少年少女を相手に表現活動を始めた。私の友人にもこの系統の活動のなかから育った、あるいは強い影響を受けて人間形成した人が何人かいて、そういう形で谷川という人を認識してはいたが、「革命詩人」というカリスマ、15年の沈黙、そういうものを持っていたとは知らなかった。

記事を読んで思ったが、とにかく谷川の言葉は上手すぎる。キレがありすぎる。人々を否応なく引っ張っていく力がある。知らず知らずのうちに人を巻き込み、自分でこんなはずじゃなかったと思ってすがたをくらます、そういうタイプの人だったらしい。戦時中東大の学徒動員の壮行会で「たとえ奴隷になっても寓話くらいは書けるのではないか。イソップは奴隷だった」と言ったとか、三池闘争で生活がかかっているから出来ないと渋る相手に「そんなに生活が大事なら運動なんかやめて貯金でもすればいい」と言ったとか、全共闘のシンボルのような言葉、「連帯を求めて孤立を恐れず、力尽くさずして倒れることを拒否する」という言葉も谷川の言葉だったとか、他人も自分も巻き込んでしまう言葉の力に時に振り回されてしまった人なんだろうと思う。私自身もそういうところがあるので、ある意味同族嫌悪のような部分もあるのかもしれない。

だいたい、「ものがたり文化の会」というネーミング自体が秀逸だ。この種の系統のネーミングは世の中のある方面に溢れているけれども、この谷川自身がつけたと思われるネーミングを超えるものはない。人体交響楽という発想も秀逸だ。しかし、この舞台装置も衣装もない朗読の場で育った人にとって、いわゆる演劇の世界は全く別物になってしまい、交点を作ること自体が困難であるように思われる。ある思想の中で育つ、ということの特殊性は、世間一般のさまざまなあり方との不協和性も生み出す。しかし、そういうはっきりした思想の中で育つということは真っ当な「内部指向型」人間として育つということでもあり、しっかりした信念を持った人間になる可能性は大きい。

私の周囲にいる人たちも、谷川雁という存在を置いて見るとそこからの距離ではかれる存在の人がけっこういるような気がする。

ものがたり文化の会は宮沢賢治を取り上げている。宮沢賢治を、おそらくは谷川雁は反東京の精神の拠点としてとらえているように思う。東京に行かず、連帯してふるさとを創る、というのがやはり一貫した彼の主張であるように思われる。ただ彼の言葉は切れすぎるので、意図していること以上のことを呼び込んでしまうことが多々あるような気がする。谷川が集めようとした人たちと、彼のもとに集まってきたその種の人たちと、おそらくはそれなりにギャップがあると思うのだけど、まあそれは集団というものを創るときにはいつも起こることなので仕方のないことだろう。しかしその致し方のない現実の動いた方向が彼の求めていたものなのかどうかはもちろん分からない。

私の父が関わり私も強い影響(というか巻き添え)を受けざるを得なかったヤマギシズムの提案者・山岸巳代蔵が死に際して「本当の本当は伝えられないまま死ぬんかいな」と言ったというが、谷川はそういう思いはなかったのだろうか。それとも野口整体の創始者である野口晴哉が書き残した「我は往くなり」の言葉のように、あとは任せた、ということだっただろうか。まあどちらも本当は同じことかもしれないが。

まあそういう谷川雁という存在を、どうも強く意識してしまったらしく、自分の「使命」というものについて考え始めてしまったのだ。この世で楽しく生きるのはいい、しかし、私はそのためだけに生まれてきたのではないのではないか、何か「使命」があって生まれてきたはずだ、という何か確信めいたものを感じ、しかしそれが何かといわれても見当がつかない、そのことを考えてあはれ今日の午後も去ぬめりという感じになってしまったのだった。

まあ先週の考えで言えば、「使命」というものはじぶんでこれこれと決めるものではなく気がつくものであって、自分が好きなことをやる中で身につけたものを社会に還元することでその資を得る、その「社会に還元すること」そのものが「使命」だと考えるべきなんだろうと思う。しかし、それだけではすまない自分もいて、やはり何か世の中をひっくり返すような働きをすることでわくわくしたい、という野蛮な衝動がどこかにある。宮沢賢治で東京中心の日本をひっくり返す、という谷川雁のたくらみは、おそらく見えないところで着々と成果をあげているんだろうと思う。表に見えるようにならないまま消えてしまう可能性ももちろんまだあるけど。

誰かのブログで読んだが、勝間和代―香山リカ論争は勝ち組派と負け組み派の対立のように思われているけれども本質はそうではなくて、勝間はとにかく「この世の中」に順応してその中でステップアップして行こうという姿勢であり、香山は自分の行きたいように生きられる世の中に変えるための可能性を捨ててない、粘り強くある意味で世の中をひっくり返す望みを捨てていない人だ、ということを書いている人があって、それはその通りだなと思った。つまり、80年代までは、「世の中を変えることを目指す」というのがとんがった若者にとってはまだまだデフォルトの思考だったのだ。

90年以降はやはり若者たちは小さくまとまりだして、「この世界の片隅に」自分の気持ちよい居場所を確保できたらいい、という感じになってきていると思う。そういう方向性の動きの中で、確かに気持ちよいカフェとかちょっと気の利いた雑貨屋さんとかそういうものは増えているし、そういう意味で居心地がよくなっていることは確かだけど、世の中を変えてやろうなんていう大それた迫力がないのが私たちの世代から見ると物足りないというかあまりにこじんまりしすぎて見ていて気持ちが不完全燃焼してしまう感じがある。

考えてみたら、私が結婚に失敗したのもそういうジェネレーションギャップのようなものが大きかったなあと思う。やはり何かを変えたいという山っ気が私にはあるが、元妻だった女性はそういうものはなく、自分がいちばん能力を発揮しやすい場所を求めてアメリカに行ってしまった。日本を能力が発揮できる場所に変えたらいいじゃないか、と私は言ったのだけど、そんなことには興味がない、と言われてしまった。私はやはり日本で生きるしかないという自覚を強めていた時期だっただけに、結局その当たりが決定打になったなあと思う。

だから谷川雁の話などを読んでいると、どうもそういう血が騒ぐ部分があるらしい。「使命」なんていう大袈裟な言葉でそういうことを考えてしまうのも、「血が騒いでいる」からに他ならないだろう。

ただその背後に、ある種の不安がある、とも思う。まだ私のどこかに、私がこの世で生きていることが許されるのか、という不安がある気がするときがある。「使命」があると思えることは、少なくともその限りにおいて、この世に存在を許されるパスポートを得ることであると思っている節があるのかもしれない。

しかしまあそれも観念の遊戯、観念の暴走に過ぎないこともまたどこかで分かっている。人は生まれてきた以上、死ぬまで生きなければならない。そのときにどんな生き方をしたいかだけが問題なのであって、使命なんて大仰なものがないと生きられないというのはある種の心の弱さの現われだろう。こんなふうに生きたいと思って生きているうちに人の役に立ったり世の中のプラスになることが出来たりすればそれでいいわけで、それが「使命」だと自覚されてくるのだと思う。

血が騒ぐというのはどうしようもないことで、人は昔からそういうのを祭りのエネルギーにしたり戦いという過剰なエネルギーの発散を行なったりしてきたのだろう。革命とか世直しというのもそういうあまりあるエネルギーがなければ成し遂げられない。高度成長のときの日本は、そのエネルギーがすべて経済成長に注がれていたのだろう。今でもサッカーのサポーターが必要以上に騒いだりするのはそういうエネルギーの発露なんだろうと思う。

そのわくわくを、執筆にぶつけていってそのパワーがこめられればいいんだなと思う。世の中を変えてしまうようなパワーを持った言葉を書けばいい。

と、いうことか。

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昨日も書いたが、『ショパン全曲解説』をちらほらと読み直している。今もyoutubeでマルタ・アルゲリッチのプレリュード16番から24番というのを聞きながら書いているのだが、音源が古いから音は悪いが、アルゲリッチの指の速さというのはもうめちゃくちゃだ。しかしこの映像、肝心の24番の途中で乱れてしまって最後まで聴けないのが残念。他にもポリーニ、シフと聞いてみたが、24番はみなそれぞれ本当に特徴のある演奏で、最初に聞いたアシュケナージの演奏が本当に標準的でノーマルなのに比べて、みな本当に個性を出している。すごいなと思う。

朝、活元運動をしようと思って何をかけようかと考え、マリア・ジョアン・ピリスのノクターンをかけたら、本当に癒される感じだった。ただ、このCDにはノクターン3番が飛ばされているので、レオンスカヤで聞こうと思ったのだけど、ちょっと癒しという感じではない。レオンスカヤの音もそうだが、3番自体がちょっと理知的な曲で、あまり癒しという感じではないからなんだなと思う。2番はピリスのほうが癒される感じがする。最近、本当に一人一人音が違うんだなと実感している。

文豪の古典力―漱石・鴎外は源氏を読んだか (文春新書)
島内 景二
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漱石と源氏との関わりということをもう一度読みたいと思い、島内景二『文豪の古典力』(文春新書、2002)を引っ張り出して読んでいた。彼の時代の大学予備門の学生というのは本当に普通に源氏を読んでいたということが分かってやはりすごいなと思った。

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ものを見る距離というものについて考える。今までは少し、ものとの距離を取りすぎていた感じがする。それは、なるべく遠くを、なるべく全体を、なるべく先のことを見ようとして遠くから、上から、鳥瞰的に、鳥の目でものごとを見ようとしていたのだけど、そうすることで自分の心の機微というか、何が好きで何がそうでもないかとか、そういう距離感みたいなものがつかみにくくなっていたなあと思う。

それは物理的にもそうで、足の裏が床に触れる感じとか、手を広げたときの空気の感じとかを感じにくくなっていたなあと思う。

昨日、自分の本棚の近くでじっくり自分の持っている本の背表紙を見ていたら、どれも面白そうだという感じがしてきた。もともと、面白そうだと思って買った本ばかりなのだから、面白そうだと感じるのは当たり前なのだけど、最近は全然そういう感じがしなくなっていた。それは本棚も、遠くから眺めようとしすぎていたからではないかと思う。

そういう目で見ていると、どの本も面白そうで、コローやミレイの画集とか、昔買った雑誌とかを読んでいると時を忘れる感じがあった。やはりそういうものにたくさん囲まれていると、生が充実している感じがする。まあそんなにないお金をはたいて買っているのは本ばかりなのだから、そのくらいのお返しはないと困るのだけど。今までそういうものをうまく使えてなかったことのほうが問題なのだと思う。でも、東京に帰ってくると自分の部屋にいるだけである種の充実感を感じるのはこういうことが大きいなと思った。

ものごととの付き合い方というのは、こういう距離感が大事なんだろうと思う。一歩踏み込まないと、それぞれのものごとの魅力はわからない。ただ踏み込みすぎると、そこから離れられなくなる。なんに対してもそうだが、適切な距離感を心がけていかないといけない。近寄ることは大事だが近づきすぎて距離感を失ってはいけない。時には一歩引いて全体を確認することも大事だが、離れすぎて距離感を失ってはいけない。まあつまり、車の運転みたいなものだ。ぶつからないようにきちんと確認することも大事だが、そこを通り過ぎようとして他の車や歩行者がいないか確認することも大事なわけで、常に距離感を意識して付き合っていく必要があるのだと思う。

若いころはそういうことをあまり意識しないで、友人に対しても、女性に対しても必要以上に近づいたり近づきっぱなしでべたべたしたりしたものだが、ちょっとびっくりするともうさあっと遠ざかって近づかなかったり、全然距離感が取れていなかったなと思う。

距離感を正確につかむためには、冷静な目と、ある種の身体感覚が必要なのだけど、いろいろな意味でそういうものは両方とも鈍りやすいものだとつくづく思う。スキーのモーグルを見ていても、少し感覚がずれたりほんのちょっとした緊張や油断で変なところに力が入ったりすると致命的なミスにつながることがわかる。

私のような定番どおりでない人生を送っているとそういうのって本当に大事なんだけど、けっこう失敗するのは結局運動神経が鈍いんだなあと苦笑せざるを得ない。

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なんだかいろいろ長くなった。今日は一日中ブログを書いていたような気がする。

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