気負いという問題/物語はなぜ面白いのか/滅びへの郷愁
Posted at 10/02/11 PermaLink» Tweet
昨日は午前中に二件アポイントメントがあり、午後は会計事務所に行って仕事の話、確定申告の話、等々。結局2時半頃までかかり、ほとんど休むまもなく仕事。あまり忙しくなかったので助かったが、本当は忙しくないとまずい。広告宣伝のことで仕事中にもう一見アポ。これはわりとすんなり済んだ。まあ何とかなるだろう。頭がもうひとつ冴えない状態でミスをいくつかしてしまったが、冴えてないということに気がつくと、慎重にもなれるのでそれでいいかなと思う。もちろん、最初からミスをしない方がいいのだけど。
仕事は夜10時前まで。帰宅して夕食、入浴、就寝。昼間買ってきたモーニングとビックコミックを読み返す。『ピアノの森』がふたたび高揚する展開に入ってきて先が楽しみだ。大体連載9話分くらいで単行本になるのだが、まだ単行本になってないのが18話分に達したから、そろそろ単行本が待たれる。というか、3月23日発売予定とモーニング公式ページに書いてあった。連載時と描写を変えてくることがあるので、またそういうのを見比べる楽しみもある。前にも書いたけど。
気負い、という問題について考えた。劇団をやっていた頃も教員をやっていたころもそうだったが、劇団を背負ってたつとか、学校を背負って立つとかの「気負い」を持つと、私はろくなことがない、ということを今朝思った。私がやらなければ、というようなことでも、もっと「さらっ」とやれば大丈夫なのだ。まあそれは、「背負って立つ」ということが具体的に想像できないからかもしれない。できないことをやろうとするから「気負い」になってしまうのだ。
周りからプレッシャーを与えられたり、その同じプレッシャーを自分に与えたりしてしまう。それは自分のプライドに関わることだから、できないことでもわからないことでもできるといってしまい、やるといってしまう。本当はそこでプライドを発動させないで、素直にどうしたらそれが出来るのか、というふうに問題をブレイクダウンしてこれならできるという感触をちゃんとつかんでやればいいのだけど、プライドと仕事をはかりにかけてプライドが重いから分らなくてもやる、ということになってしまうと話がややこしくなってしまうし結局うまく行かなくてプライドのやり場がなくなるということになってしまう。そこで変にプライドを発動させなければいいのだけど、若い頃はどうしてもそういう問題が先に立ってしまう。
というのは結局、組織の中の人に、あるいは組織の外の人に対しても、自分を認めてもらいたいという思いがあるからだろう。自分に本当に自信がある場合はそんなに無理をする必要はないのだけど、認められないと自分の存在が危ういと自分が感じてしまう(妄想である場合も多い)場合に、ある種の自己防衛本能みたいなものとしてプライドが発動することになるのだろう。
しかし本能というのは正しく働くこともあればそうでないこともある。仏教に「無明」という概念があるけれども、あれは「生きようとする盲目的な意志」を指すのだと私は思っている。何も見えない状態でただやみくもに生きている。プライドに導かれてやれもしないことをやろうとしているときなど、まさにそういう状態だよなあと思う。
人は何故、覚悟とか姿勢というものを評価の基準にするのだろう。姿勢、スタンスというのはもちろん、人が何を志向しているのか、何かをやろうとするときにその人がどれくらい当てになるのか、ということをはかるときにはかなり重要なポイントだろう。覚悟のある人、という感じの人になると、ある鬱陶しさが感じられることもあるけれども、そのことについてはまあ任せておいても大丈夫だろうと思えるし、逆に頼んだ以上はあれこれ口を出せないという緊張感も出てくる。まあそれは鬱陶しさというものと同じことだろう。
そういう「覚悟」というものを人に求めるのは、自分がそういうタイプの人間だったらそういう人は信頼できるということでそれを求めるということは分らないではない。しかし人間というのはそういうタイプの人ばかりではないし、私などはそういうタイプではないよなあと思う。時代の潮流もそういうタイプの人間を好む方向ではないように思う。
それよりはもっと柔軟な人を求めているだろうなと思う。変化していく世の中に常にフレッシュな感性で対応できる人。覚悟のある人、というのはある種自分の世界をそういう意味で確立している人だろうから、場合によってはそういう対応はしにくいだろうと思う。
私など、「覚悟があるか」といわれたら「さあ、でもやるしかないんじゃない」としかいいようがない。そうか、覚悟というのはもっと斬った張ったの世界の話なんだな、現代では多分。結局割り切り方の問題で、それを重々しい仰々しい言い方をすれば覚悟ということになるけれども、結局はやりたいこと、やらなければいけないことをやりぬく姿勢の問題に過ぎないわけで、あまり大時代的に考えることもないと思った。
気負いというのはどうも必要以上にそういうものをついてこさせてしまうから起こることで、やりたいことをやるために生じるやらなければいけないことに粘り強く対応し、かたづけ、やりたいことをやっていく、実践していくというプロセスを大事にしていればそれでいいのだと思う。
私が気負っている時は、自分に対してもあれこれ柄にもないことをやらなければ、考えなければ通しつけ、人に対しても不寛容になり、さまざまなことを押し付けようとしたり、意にそわない動きに対していつもいらいらしていた。結局、気負いにとらわれて、「覚悟」という言葉にとらわれて自縄自縛の状態になってしまっていたなと思う。
必要なのは気負うことではなくやるべきことをやり、自分が選び取った、あるいは場合によっては与えられたその役割を果たすことで、一つ一つやるべきことを把握し、実行していくことそのものが必要であり、それが全てなのだと思う。そういう余裕のある態度があって初めて、人にも目が向けられるし、やっていることを向上させていくこともできるだろう。
気負いと、その背後にある「人に認められたい」という気持ちを、一時鎮め、一つ一つの仕事をちゃんと把握して実行していけば、それでいいのだと思う。
***
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「物語の面白さ」、というものについても考えた。物語や小説というものは何故面白いのだろう。外山滋比古『思考の整理学』を読んでなるほどと思ったのだが、物語の面白さはその多義性にある、ということなんだと思った。どんな物語、小説でも文字通りかかれているそのお話の背後に、別の何かが隠れている。だから一つの物語を読むことで、私たちは二つの世界、あるいはもっとたくさんの世界に入っていくことが出来るということになるわけだ。
子どもの頃読んだ話では、悪いものがやられていいものが勝つ勧善懲悪の話とか、正直者は報われて欲深者は懲らしめられるとか、そういうものが多かった。単純ではあるけれども、そこに物語がなければ、いいことをしなさいとか正直にしなさいとか言われても、あまり実感がなかっただろう。
子どもの頃はそうやってよいことをすればよい報いがある、というのが当たり前のお話だったから、「フランダースの犬」や「ごんぎつね」のように、よいことをしても理解されないとか、いくら望んでも叶わないこともあるとか、そういことはとても理不尽に感じて、それだけ強い印象に残ったのだろう。「赤いろうそくと人魚」なども好きだったが、これは悪いことをした人たちが滅ぼされる話だからで、でもそれが跡形もなく消えてしまうということになると天地の怒りの壮絶さというものに否応なく戦慄を覚えてしまうわけで、不思議な興奮と畏怖と満足感とが入り混じった不思議な感情を覚えた。考えてみたら、ダンテの神曲、「地獄篇」で感じた感情は「赤いろうそくと人魚」と重なっている。
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いずれにしても、物語というものはそこに描かれている、描写されているものを体験する喜びと、ある種の精神の世界の体験をする喜びとがともに味わえる、一粒で二度美味しい、あるいはこの世界とは別のもう一段高いレベルの世界が存在するというある種の宗教性の芽生えのようなものと、多重な世界を楽しめるという3D画像的なわくわく感と、そういうさまざまなものが物語の中に存在するということなのだろうと思った。
リアリズムの小説があまり好きでないのは、言っていることがあまり現実から離れていないことが大きいだろうと思う。つまり世界の多重性のぶれが少ない、したがって、世界の見通しがあまり先まで見えない、という感じがつまらなさを感じるということなのだと思う。そうであるならば、リアリズム小説よりもその世界について書いた啓蒙書を読んだり論説を読んだりしたほうが純粋に知的に知ることが出来るわけで、リアリズム小説の面白さの意味がわからなかったのだと思う。なんというか、読む前から言いたいことがわかってしまうようなものはあまり読みたくない、というのが本音なのだ。どうせ読むなら今まで知らなかったことを知りたいし、味わいたいと思うからだ。
であるが、まあ知っていても何度も味わいたいと思うテーマ、世界もあるわけで、そういうものに人は嗜好を持つわけだ。私は子どもの頃から、「この世界はいずれなくなる」というテーマのものがなぜか好きで、そういうものを好んで読んでいた。『ナルニア』のシリーズが好きなのも、『さいごの戦い』でナルニア世界が滅び、次の世界が始まるという描写があったり、『魔術師のおい』でチャーンという世界が滅びるという描写があったりしたことが大きい。旅は終わるものであり、人生は最期があるものであり、世界は滅びるものである、というテーマがなぜか好きなのだけど、それはひょっとしたら自分の死ということに対する関心が現れているのかもしれない。昨日まで元気で普通に話していた人が高速道路で事故を起こして次の日にはもうこの世にいないとか、子どものころにそういう経験があって、同じように続いてく日常の毎日の力、ホメオスタシスのようなものと、突然その見えない隙間に入り込んでくる死というもののリアリティとが子ども心に大きな謎だったのだと思う。
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どういうわけだか、「滅びる」ということに何か郷愁を感じてしまう。欧米には廃墟趣味というのがあって、建物を作るときもそこが廃墟になったときに理想の廃墟になるためにはどのように建てたらいいか、ということを考えて建てるという話を聞いたことがある。滅びとか廃墟というものは、逆説的にだが「永遠」というものを感じさせ、考えさせるからだろう。廃墟に出る亡霊というのはある意味「生の残骸」であり、永遠の世界において生というものがいかにか細い、弱いものであるかを暗示しているようにも思われる。まあこれもある種の宗教的なセンスなのかもしれない。
物語の面白さという話からだいぶ離れてしまったような気もするが、要は「今ここ」の世界から遠いところに連れ出してくれる力を物語というものは持っているということであり、また「今ここ」に舞い戻ってきても、また違う角度から「今ここ」を眺めることが出来る、そう言う作用を持っているものだということだと思う。
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