『宇宙兄弟』/14人の私

Posted at 10/02/01

書きたいことがたくさんあって何を書いたらいいかわからないという感じだ。といっても案外こういうときはあまり書かないかもしれない。

宇宙兄弟 1 (モーニングKC)
小山 宙哉
講談社

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『宇宙兄弟』は面白い。今朝、郵便局で用事を済ませてから買い物に出かけて、西友の文教堂で2巻と3巻を買って帰ってきたのだが、あっという間に読み終わってしまった。モーニングでは一年ちょっと読んでいるけど、まだ全然そこまで来ていない。今のところ主人公の宇宙飛行士としての採用試験が続いているけど、なかなか面白い。簡単にいえば、一人一人の登場人物のキャラが立っているということだろう。最初本誌で読んだときはその辺がちょっとわざとらしいというか、あざといような気がしていたが、今読んでいるかぎりではそんなことはない。当然だが、宇宙飛行士として最終試験に残るような人は一般人とは違う強さのようなものを持っているだろう。もちろん優秀さも。それに親しみやすいわかりやすい性格を付与して、その人物のストーリーを作って、そういう背景を背負った人が夢を追っている、という作り。ある意味群像小説。よく出来ている。

SAPIO ( サピオ ) 2010年 2/17号 [雑誌]

小学館

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『SAPIO』。近頃にしては丁寧に読んだ。宗教教団特集。大本を金光教系の教団とする考え方はどうなのか。大本は別立てに考えた方が妥当だと思うがなあ。創価学会と公明党の微妙な関係の記事も興味深かった。池田大作のカリスマ性の話もそういうものかと。習近平のごり押し会見の話もなるほどと。佐藤優の連載、あんまり信用してないが、分析は面白い。民主党は選挙互助会に過ぎず、その取りまとめ役が小沢だ、という分析はあるなあと思った。自民党だってそういう意味ではそうだけど、民主党ほど理念的にばらばらではない。権力を金に変える田中角栄型システムの最後の後継者が小沢で、しかし小沢はその態勢からの脱皮の必要性に気がついて、個人献金のみでやるべきと主張し始めたという。民主党は新しい政治と金の関係のシステムを作らざるを得ない、という。まあこの変はそんなものかという感じだが。上杉隆のツイッター話。この人の話は何でいつも安っぽい感じになるのかな。ゴーマニズム宣言。台湾話。李登輝と小林と城内実の対談が感動的。というか李登輝の話が感動的なのだ。こういう人がいると政治もまだ捨てたものじゃないなと思う。惜しむらくは日本の政治家ではないことなのだが。

自分の中の焦りとか迷いとか悩みとかそういうものを観察していたら、自分の中にいろんな自分がいると考えたらわかりやすいなと思った。焦るのは、自分を管理しようとする自分。マネージャーとしての自分なんだなと思う。健康管理者としての自分はいつも自分の体調のことばかり考えているし、批評者としての自分は「つまりどういうこと?」という目をいつも働かしている。

クリエイターとしての自分はどうも遠慮がち。もっと自己主張しなければと思う。読者・鑑賞者としての自分はけっこうずうずうしくて、割とすぐ開き直る。教師としての自分も割りとけっこう発動する。学習者としての自分が最近あまり熱心でない。学習しなければならないことが多すぎるからかもしれない。探求者としての自分はひとつのことに集中するのが好き。始めると割と周りは目に入らなくなる。経営者としての自分は未知の部分が多い。息子としての自分とか、隣人としての自分はけっこう大変だ。友としての自分は、発動する機会がもっとあるといいなと思う。お洒落好きな自分はこのごろ眠りがちだ。

いろいろな自分の調整者としての自分というのが、いちばん疲れてるなと思う。なんだか磨り減っているというか。関節の軟骨や可動部分のヒアルロン酸か何かが欠けてぎしぎし言っている感じがする。

『24人のビリー・ミリガン』ではないが、自分の中にも上に考えただけで14人いる。一応全部私というひとりの人間の中に統合されていてある人格が寝ている間に他の人格が出てくるとかそういうことはないが、ある人格が優位なときは他の人格は引っ込んでいるし、何かあると急に奥に引っ込んでしまう人格とかそういうのもある。多重人格者というのもそういうのが極端になって病的になったものなのかなとも思う。

今は役割としての自分に注目してみたけど、皮肉屋の自分もいれば怒りっぽい自分もいるし、ピュアな自分もいればイヤなことばかり考えている自分もいる。人間というのはそういう複合的なものなんだなと思う。

たぶん、何かに向かって突き進んでいる人は、ある人格がクローズアップされて他の部分は見えにくくなっているんだろうと思う。動く方向性みたいなものがないと、いろいろな人格が百家鳴騒というか百花迷走というかの状態になってワケが分からなくなるようだ。私などは時に寄って全然違う方向に動かざるを得ないので、調整者としての自分やマネージャーとしての自分の役割が大きくなっていて、焦ったり心配したり心労を重ねたりしている部分が大きいなと思う。人間よい面だけで生きていくことは難しいが、表現者や探求者の側面がもっと全体をリードできるような形に出来るといいなとは思うのだが。

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