気持ちのギアを入れ替える/父のこと/二人の秘密/ゆっくり講義する教授(せんせい)

Posted at 10/01/27

今日は朝から体調がいまいちだ、ということを自覚的にとらえてみて、あまりいろいろなことをせずに、むしろ後ろ向きというか、するべき最低限度のことというか、つまりはあまり積極的にものごとをこなさないようにしているのだけど、それはそれで疲れるし、気詰まりな部分がある。ただ、一歩引いてみることで、普段見落としていることが見えてくるということもまた事実で、やることがなくなる訳ではないのだ。ギアをトップに入れているときにやらなければならない、やろうと見えていることと、ギアをローに入れているときにやらなければならない、やろうと感じることは違うらしい。そういう意味では、ギアをうまく入れ替えながら回りを感じられるとよいのだが、なかなかそうも行かない。

体調、というものに正面から向かい合う、という気持ちになれるのはやはりギアがトップのときではない。自分の体の様子を仔細に観察したりするには、スローダウンする必要がある。もともとの体調や精神状態がまだそんなトップ走行によい状態ではないときからトップに入れつづけているとどうもうまくないようで、それを自信をもって調整できるとよいなあと思う。調子がよくても悪くても、そんな自分自身を見ているもう一つの自分というか、息の長い自分がいるとよいなあと思うのだ。

今日は朝からそういうことでどうもぐだぐだして、ツイッターでも愚痴に近いようなことをいろいろ書いてしまって、まあこういうのはあまりよくないなあと思う。前向きなことばかり書いてあるツイートもなんというかちょっと異常といったら変だけどどうかと思う、というよりあまり面白いと感じないけれども、あんまり暗いことばかり書く人も付き合いきれないことは確かだ。うん、今見直してみたら問題ある?ツイートは二、三個という感じかな。私的にはまあ何とかクリアしたかな。調子が悪いときにツイートしてもそんなに暗くならないなら、ツイッターしててもあんまり気にしなくていいから助かる、という感じはする。

自分で読んでみると思うのだけど、いつもつっぱらかった感じの前向きの言葉ばかり並べるよりも、ときどき角度が違う言葉が混じっている方がいいツイートだという気がする。だからときどきは、そういう弱っている自分の言葉も正直に書いた方がいいと思ったりする。その加減が難しいけど。

というようなことは、最近よく読んでるマンガ家さんたちのリストを読みながら感じたことだ。けっこうぐたぐたなやり取りをしていても、この人たちはそれだけの作品を残している、と思いながら読めるので、なんと言うか人間的魅力の側面、というように読める。ああこう言う正直な言葉も書きたいなあと自分で思ったりする。大体、口に出していう時はいろんなことを言うのだけど、書き言葉では本当の意味で自分の思っていることを表現することはわりと難しいのだ。特に感情とか、体調とか。話し言葉以上に書き言葉は多義性が生じるし、おかれているコンテクストによって全然違う意味を持ったりする。コピられたりRTされることで違うコンテクストに放り込まれるとなんだかすごいこと言ってるな俺、みたいになることもある。そこが面白いところでもあるけれども、危険なところでもある。

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
西村 佳哲
筑摩書房

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読書はそれぞれあまり進んでないが、一番進んだのは西村佳哲『自分の仕事を作る』。この本、いろいろな働き方が紹介されているが、今のところ一番共感したのが「ファシリテーター」という言葉。p.111に出て来るが、リーダーシップを持って引っ張るというより、それぞれの力を引き出すために支援者的な役割を果たす人のこと。みんなの仕事をしやすい現場を作り、それぞれの力を引き出していく。そういうことができている現場というのは素晴らしいなあと思う。というか、私の父はそういうものを目指していろいろやっていた。父は「人間は創造力を発揮しているときが一番幸福だ。人間は幸福でなければならない」という哲学を持っていて、実際にそういうものを目指していたのだけど、いろいろな免でうまく行かないところがあった。こんな風に私もそういう仕事の現場を作れたら、父も喜ぶだろうなあとそんなことを思ったりした。198/331ページ。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)
イサク ディーネセン
筑摩書房

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「エーレンガート」。『バベットの晩餐会』所収。130ページ中、50ページくらい。若き妃、リュドミラがエーレンガートに言った言葉。「その方と秘密を持つようにしてごらんなさい。この世であなたとその方以外の誰も知らないような秘密をね。そうすれば、あなたには分るわ、そのかたがあなたで、あなたがそのかただっていうことが」。昔ある友人が、人はなぜセックスをするか、ということについてこういっていたのを思い出した。「二人の秘密を作るためだよ」

思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房

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外山滋比古『思考の整理学』。ほんの少しずつ読んでいる。手帳にメモしたアイディアを醗酵させてそれをノートにとり、気になるアイディアをまたメタノートに取る。原稿依頼があったときにそのアイディアについて書いたり、講演で喋ったりしたら赤線を引いて消す、というような話。また、関係する本をざーっと読んで、自分の中で醗酵させて忘れないうちに一気に原稿を書く、という「つんどく法」。自分の心に浮かんだことを書くにしろ話すにしろ文章にして行くための方法がいろいろ書かれていて、この当たり面白い。こういうことを面白く感じるのは、ギアが低いところに入っているせいだなと思う。私がブログを書くときの書き方は基本的にはこのつんどく法と、モーニングページに書いたことを少しまとめて書いたりする感じの書き方がほとんどだ。

ブログというのは、ある意味手触りのある、体温が感じられる文章の方がいい。あんまり専門的な、抽象度の高いことは、つい書いてしまうこともあるけど、それよりはあまり抽象度が高くないことの方がいい。読むほうも、専門書を読む気持ちでは読んでないし、ときどきあることだけど本の感想がコピペされて大学のレポートなどで使ったと思しきアクセスのされ方をしているときがあるけど、あんまりそういうものに利用されたくもない。コピペでなく、ちゃんと自分なりの発展をさせてくれたらまだいいんだけどね。だから、なるべく土の匂いのするような、私でなければ書けないような角度のことをなるべく書くようにしようと思っている。最近ではあまり何も考えずに書いているような気もするけど。

まあつまり、出所はどこにしろ、なるべく一次情報を書いて、まあまとめるにしてもそんなに抽象度を上げないようにしている。あげてしまうときもあるけど。地に足がついたことをなるべく書こうとしている、と言ってもいい。それが作品、になると一応日常とは断絶するわけだから、それなりの抽象度が生じる。それがあんまりふわふわしすぎないで、日常からの通路がなるべくついたものを書かないと日常に帰ってくるのが大変なのだが、ときにものすごく抽象度が高くて帰還不可能みたいなものを書いてしまったり、あるいは日常から離れようと悪戦苦闘しても全然気持ち悪く日常を引きずったものしか書けなかったりもする。まあ作品の書き方というのはまたブログとは違ったものがある。

この本で面白かったのは、戦前の先生は講義で話すことの一字一句を全て学生に書き取らせるために実にゆっくりゆっくり講義した、という話だ。実は、私も学生時代、と言っても80年代だが、そういう先生がいた。最初はなぜその先生がゆっくり話しているのか分らなくて狐につままれたような感じだったが、みなが一生懸命ノートを取っているのを見てああそういうことなのかとようやく了解した。あの頃はもっと才気ばしった先生の方が好きだったけど、今になるとそういう先生は味だったなあと思う。今でもそういう先生はいるのだろうか。そしてあの先生はまだお達者だろうか。104/223ページ。

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