丸の内から銀座へ/近代文学の始まりと終わり/現在をめぐる状況について考える
Posted at 10/01/12 PermaLink» Tweet
昨日。昼前に上京して丸の内のバルバラ・マーケットプレイスで昼食。『作家の家』という本をもらったことまで書いたけど、そのあと場所を変えて丸の内の南の方の三菱一号館のカフェでお茶。内装の感じが、池之端にある旧岩崎邸に似ている。同じ建築家だったかな。それから懸案になっていたハッシュパピーズに行こうと、東京駅南口のコインロッカーで鞄を預けて電車で有楽町に出て、帝国ホテルまで行く。銀座の店舗ほどのものを予想していたが思ったよりずっと小さく、また他のメーカーのものも置いていたりしてサイズもなく、結局注文になった。修理も頼めるということがわかったのでいちおう注文のものを取りに行くときに依頼することにした。もう少し大きな店舗が近場にないものかと思う。
作家の家―創作の現場を訪ねてフランチェスカ プレモリ=ドルーレ,エリカ レナード,マルグリット デュラス西村書店このアイテムの詳細を見る |
まだ話したりない感じがあったので銀座まで歩き、ブックファーストで本を物色。いろいろ探したが、結局柄谷行人『日本近代文学の起源 原本』(講談社文藝文庫、2009)を買った。それから日本茶でも飲もうと歌舞伎座の方にいったが、もっとごたごたした感じの店がいいということで、近場の別の喫茶店に。むかし新宿や中のあたりにあったようなレトロな?喫茶店。席の横に水槽が置いてあって、金魚が泳いでいた。結局話しこんだのだけど、まあだいたい行って上げられることはいったかなという感じ。まあもともと答えは自分の中に在るのを、これじゃないかな、と見せてあげるだけだから、納得もする。まあいつもそんなふうに上手く行くとは限らないけど。長大なストーリーを聞いた感じ。
日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)柄谷 行人講談社このアイテムの詳細を見る |
そこで分かれて、わたしは銀座のどこかに行こうと思ったけど、まず区役所に用事があるのを思い出し、銀座線で東陽町に出て区役所で証明書自動発行機で印鑑証明と住民票を取る。それから歩いて家に帰って、自転車に乗って駅に戻り、郵便局でお金をおろして、また大手町に出て、鞄を取りに行き、丸善で本を物色。このときはかなりじっくり探したのだが、結局柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト、2005)を買った。よく考えて見ると、近代文学の起源と終わりを買ったことになる。エラい話だ。
近代文学の終り―柄谷行人の現在柄谷 行人インスクリプトこのアイテムの詳細を見る |
それから新丸ビルに行って夕食を買おうと思ったが、「えん」の弁当が売り切れだったので成城石井で買って、東陽町に出て自転車で帰った。
夕食を食べてからついTVタックルを見てしまい、最後まで見た。それからブログを書こうとしたので、ずいぶん遅くなってしまった。
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柄谷と中上の対談本を読み終わったので、このあたりのところをもう少し読んでみようと柄谷の本を探した。ブックファーストで買った『日本近代文学の起源』は、まあピンと来ないけどこのあたりのことを読んでおいたほうがいいかなと思って買ったのだが、丸善で立ち読みした『近代文学の終わり』は、強い磁場を感じた。それについて、少しメモしておこうと寝る前にツイートしておいたので、それを転載。
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近代文学は終わっているという柄谷行人の主張にはどうしようもなくうなずいてしまう。もともと私もそう思っていたから。国民形成や社会変革の運動としての文学は確かに終わっている。小説中心の。文学研究や思想研究が食うための手段として制度化された時点で社会を変える起爆剤ではなくなった。
posted at 01:25:52
商品として消費される小説はこれからも書かれるだろう。また、小説を必要とするマイノリティの存在もなくならない。芥川賞もノーベル賞も、マイノリティやポストコロニアル系の作家ばかりになって行くのは避けがたい。
posted at 01:30:56
社会的に、世界的に、意味のある文学とはいったい何だろうということ。少なくとも文学というものは近代以来そういうものではあった。
posted at 01:35:35
いやまあ、歴史や社会学もみんなそうだったんだ。音楽も演劇も、単なるエンターテイメントじゃなかったんだ。
posted at 01:38:44
マンガだってね。
posted at 01:39:58
好むと好まざるとに関わらず、表現というものは何かを変える、ということ。志が資本に絡めとられているという問題はあるけどそれだけではなく、何か根本的に変な方向に行っているところがある。世界が分裂しはじめているということだろうか。
posted at 01:48:24
やはり90年代半ばごろからだろうな。世界のむかうべき方向がわけが無秩序化してきている気がする。
posted at 01:52:22
一度に情報化が進み過ぎたということも一因なのかな。社会の共通テーマがなくなってきた。
posted at 01:55:10
しかしそういう意味でいうと、あちこちでいろいろな人が民主党の政策の是非を論じるという現象は新鮮だ。政権交代が社会・政治意識の活性化につながったことだけは間違いない。
posted at 01:58:28
あれこれ饒舌に語ってしまった。寝ます。明朝また。おやすみなさい。
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その後も少しメモを書いた。曰く、
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90年代後半(windows95)以降、情報化が進みすぎて、専門化、断片化の進行が一気に加速された、ということはあるだろうな。
でも政治意識や社会意識の高い社会って、幸せな社会なのかね。
***
もともとわたしは退職したとき、ものを書いて生計を立てたかったので、まずは学問のほうでトライしてみたが叶わず、それなら文学、と思ってはみたのだが、あまり文学に対する思い入れができない中でけっこう無理して文学方面のものを読んだり書いたりしていた。まあ無理だと思えば何も出来ないので、できるつもりで。それも今考えてみれば無謀なことだったのだけど、まあこういう経験も何かに役立てられればいいと思う。
しかし、柄谷の本を立ち読みしてみて、「近代文学は終わった」という認識はどうしようもなく共通している。まあ文学を必要とする人はいなくならないと思うし、そういう人のための文学は書かれ続けるだろうし、それはそれとして読んでいくことはまあそれはそれでいいのだけど、それはまあ社会へのアンテナのひとつ、というようなもので、私もそうだけれども、批評といっても「読みの楽しみ」のものであり、社会を築き上げようとか変革しようとかよい方向に導こうとかそういうものとしての文学の力というのは多分もうあまりない。
近代文明において小説の位置は、唯一科学によっては語ることの出来ない「主体」の問題を扱うというところで、譲れない重要な位置があった、という指摘はなるほど、全くその通りだと思った。だから主体の問題を考える程度のインテリジェンスのある人間は、文学を読まざるを得なかったのだ。
しかし昔に比べて、主体というものが融解してきている、ということがひとつある。それは80年代以降顕著になり、オタクであるとかカルトであるとか、人間性というものそのものを不安視するような、また多種多様性を認めるという流れの中ですべてを相対化してしまうような(これにはポストモダン現象も加担しているが)、また冷戦構造の崩壊によって社会主義の理想の挫折が顕在化し、阪神大震災やオウム事件に寄って近代文明そのものの脆弱性があきらかになったり、911にはじまるテロとの戦争や中国という異質な経済大国の台頭の中で近代という価値そのものが脅かされる状況も生まれてきている。
主体というものそのものがかなり危うい状況にある、ということも言える。情報化によってすべての情報が無秩序に氾濫し、共通認識というものの形成が非常に困難になってきて、変わるときは雪崩を打って変わる、という郵政選挙や政権交代選挙のような状況になってきた。こういう状況に対して、文学のようなまだるっこしいものが力を発揮する状況ではなくなってきている、ということは確かだなと思うし、心理学であるとか思想であるとか、あるいはさまざまな専門性に、またあるいはアジア万歳史観やグローバル化絶対史観に埋没し、幻想的な同一化をすることによって文学を必要としないメンタリティが幅広く現れてきている。文学の方面から歴史を考察したりすると不正確であるとか罵倒されるような状況も現れてきている。
専門性をこえた、思想をこえた、主体というものの存在が見えにくくなっている。情報化の進展によって人格の断片化が非常に進んでいるような気がする。近代文学というのは結局自己の統合というか主体の確立がテーマのようなものだから、なんだかテーマそのものが迷宮化して行って難解化し、普通の人間が読んで何かを得られるものである部分が少なくなっているだろう。それならば読むことによって慰謝を求めたり、ぼんやりとした自分だけの世界にこもったりできるものの方がまだ生きることに役に立つ、というような状況に陥っているのだろうと思う。
柄谷行人は、文学にはもう一切期待しない、というようなことを言っている。まあそれはそれでわからなくはないのだけど、自分はまだそこまで読んでるともいえない状況なのでもう少しは読んでみないとよくはわからない。まずは柄谷の論を読まないと、と思って高いなとは思ったけど『近代文学の終わり』を買ったのだった。
結局、「現在」という状況がどうなっているのか、現在という状況が何を必要としているのか、自分が一体何ができるのか、ということを探らなければいけないと思う。80年代の学生時代には、それこそ『歴史の終わり』のような、ある種の多幸感があったのだけど、今の状況はそのころとは違うし、そのころ怠けていたことを今やらないといけないのだと思う。やらなければいけないことが見えてこないと、やりたいことが見えてこない、という面もある。今まで手探りで探して得てきたのはとりあえずは保守というものなのではあるけれども、もっともっとしっかりとものがみえるように、おぼろげにでも進むべき未来が見えてくるようにしないといけないと思う。
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