「思い通り」に行かない/ツイッター:RT(リツイート)の○と×

Posted at 09/12/02 Comment(4)»

昨夜は病院泊。10時に仕事を終えて家に帰って準備。11時過ぎに病院について、母と交代。それから食事。12時ころまで父のそばにいて、寝ようと思ったときに歯磨きセットを忘れたことに気がついた。何度もゆすいだが、やはり気持ちが悪い。夜はあまりよく寝られなかった。昨日は久々に仕事が忙しかった。神経が高ぶっている。最近父の病室にいられる時間が少なくなっているので、たまにはいいかと思ったのだが、どうも寝つきが悪い。看護師が来るたびに目が覚める。

6時ころちゃんと起きて外を見たら山がきれいだった。この病室は、景色だけは本当に最高だ。携帯百景やツイッターを見ていただくとその一端はわかると思うのだが。

ものごとが自分の思い通りに行かない、のは考えてみればあたりまえのことで、ものごとも人も自分の「思い」とは無関係に自分のリズムやスケジュールで動いている。でもそれを「思い通りに行かない」と感じるのは、肩に力が入って、自分の思い通りにしようとしているからだ。こうならなきゃだめだ、とかこうなったらイヤだ、という感情のほうが先行している。そういう時は、つまりは疲れている、ということなのだ。

寝る前にちゃんと活元運動をして肩の力を抜いてから寝ればいいのだけど、あまり疲れているときにはどうもそういうことがうまく行かない。朝起きてから少しずつやって、モーニングページに愚痴のようなことを書いて少しは力が抜けたのだが。

もう少しましなことを書こうと思ったのだが、今朝はどうもなかなかたいしたことが書けない。

***

ツイッターでの会話で思ったこと。ツイッターというのは基本的に「つぶやき」、つまり独り言を読んだり書いたりするところなのだが、そういう形で告知をしたり、情報を伝えたりする人もたくさんいる。読みたい人の呟きをフォローし、自分のつぶやきを読みたい人が自分のつぶやきをフォローする。思ったことを書いたらそれに返事が来たりもする。また他の人のつぶやきをメモ的に自分のツイート(つぶやき)にコピペしたり(リツイート、略してRT)して更に自分のフォロワーに読んでもらうこともできる。

いろいろなところの情報をまとめると本来RTというのはそうしたただのコピペなのだが、日本ではそれにコメントをつけてRTを続けるというケースが一般的になっている。それは本来のやり方と違うから引用ということでQTと書いたらどうかという提案もあるのだが、それは賛否両論のようで、まだ決まった方向性は出ていない。

最初のころはあまりよくわからないので返信(冒頭に @kous37 のように書くとkous37当ての返信(私信)になる。これは出す人と出される人双方をフォローしている人には表示される。他の人に読まれたくない場合はダイレクトメッセージを使えば相手のみへの私信が送れる)もRTもあまり使ってなかったのだけど、というか私が初期にフォローした人たちはまだ同様に慣れてないようでみなそんな感じだったのだが、いわゆる「ツイッター本」を読むと、RTやハッシュタグこそがツイッターの醍醐味、というようなことを書いていることもあったり、またそのころからフォローしだした古手の使用者たち(ツイッター本の著者たちや、有名人なども含め)が盛んに使っているのを見て、自然にまねをするようになった。

使ってみると、人の発言に便乗していろいろなアイディアが出てくるのでけっこう面白い。一時RTばかり使っていた時期もあった。最近では@(返信)で済ませることも多くなったのだけど。

そんなこんなをしているうちにフォロー127、フォロワー146になっている。最近ではRTされたツイートでおっと思うようなものを発信した人をフォローしたり、坂本龍一や高橋幸宏をフォローしたり、フォローしてくれた人のツイートを見に行ってフォローしたいと思った人をフォローしたりしている。127ともなるとタイムラインはまったくカオス状態で流れるのも非常に早い。一度に10ツイート表示されて、それを読んでいる間にいくつもあたらしいツイートが入ってくる、という感じだ。その一つ一つにまったく脈絡がない。最初は一つ一つちゃんと読んでいたが、最近は基本的にナナメ読みだ。しかし、「この人のつぶやきが楽しみ」という人もあって、その人のつぶやきが来るとじっくり読んで味わっている。

正直全部が味わいでも大変なのだ。この点ツイッターは雑誌に似ている。雑誌のいろいろな記事を、読みたいところから読みたいところだけ読むという感じ。隅から隅まで舐めるように読む場合もあるが、一つの記事や一つの漫画だけ読むということもあるように。

それに比べるとブログは単行本だ。その人の個性で貫かれているし、一つの記事を読めばそれなりの充実感が得られる。

そういう意味で言えばツイッターのリストは専門誌という感じだ。私は最近ほとんどリストは見ていないし自分でもつくってないけれども、もっと普及してそれぞれの分野の人がどんどん発信するようになったら業界紙的な感じのリストが出来るのではないかと思う。そうなるともっと面白いだろう。

と、ツイッター談義というのははじめると切りがないところがあるのだが、今日思ったのはRTについてだ。さっきも書いたように初めのころはほとんど使わず、一時は非常に多用していたが、最近はこれといった記事にだけRTを使っている。コメントつきもコメントなしもあるが、コメントつきのほうが多い。

昨日タイムラインを読んでいたら、印象的なことをいう人の一人が「TwitterもRTが多用されるようになってから、つまらなくなった。」と書いていて、意表を突かれた。言われてみたら、確かにそんな一面はある。RTばかりでそのひとのつぶやきが全然ない人のプロフィール(発言録)を見ると異様だ。また、お互いに馴れ合い的になっていてそれに興味がない人には全然面白くない、気持ち悪い、というケースもある。まあそういうのを含めてカオスだといってしまえばそれまでだが、そういうことならいままでのSNSでもやれたし、また掲示板(匿名でないもの)でもやれた。昔のパソコン通信もそんな感じだった。私も自分の発言に対して感じるのだけど、RTというのは基本的に他の人の発言に乗っかって喋るので、会話としては面白いけど発言としての存在感がない場合が多い。

そんなふうに考えると、RTの多用によってタイムラインがつまらなくなる、ということは確かにいえなくはない。このあたりは趣味の問題、あるいはバランスの問題でもある。ツイッター本の著者などは、そのあたりにパソコン通信への郷愁を感じて盛り上がっていたりもする。ツイッターは、それぞれの人がそれぞれの求め方でやっているので、一つの方向に傾くとその傾向に賛成できない人は必ずでてくる。私もタイムライン上がラピュタ祀りになったときは何とかしてくれと思ったし。

でもなんだろう、行き過ぎれば揺り戻しもある、のではないかとも思う。RT多様が鼻についたらRTを多用する人のアカウントをリムーブすればいい、ともいえる。私もリムーブされそうだが。

事ほど左様に、ツイッターというのは見事なくらいに形のないサービスだ。鵺的というか、キメラ的というか、まだどんな生物が出来るかわからない段階のホムンルクス的な存在というか。これだけツイートを繰り返していてもどこに行くかわからない、こんなサービスだからこそエネルギーがあるのだろうと思う。

***

ベートーベンの第五、つまり「運命」を聴いている。いままで「運命」というのはなんだか怖い曲だと思っていたのだが、それはどうも子供のときの印象が強いからのようだ。今聴くと、なんだか元気が出る曲だなと思った。

"「思い通り」に行かない/ツイッター:RT(リツイート)の○と×"へのコメント

CommentData » Posted by egtagyck at 09/12/02

またまたお邪魔します。お父様の看病大変ですね。
看護師が涙の跡を拭いてくれない…というつぶやき、とても気になったのですが、私をフォローしている人の中に医者(女性:最近とてもお疲れ気味)がいるので、スルーしてしまいました。
私は自分が春先に入院してそういう小さなことが確かに気になったので、何か「RT」なりしたかったのですが、すみません。
髪の毛が顔に…とかすごく些細なことがベッドにいると不快だったりするので。(「潜水服は蝶の夢を見る」という映画でもそういうことを何度も考えました)
ところで「ピアノの森」がバイブルとおっしゃっていたのでwikiで調べてみました。印象だとくらもちふさこの「いつもポケットにショパン」や「のだめ」、あるいは映画「北京ヴァイオリン」を連想。ただ、自分が高校までピアノを習っていて、とても正直苦痛だったのを思い出してしまいました(^_^;)
でもアニメーションもあるということなので一度ぜひ見てみたいです。
wikiの中に作中のピアノ曲が書かれていて「ラ・カンパネラ」を発見し、聞きたくなりました。たぶんあと数分で聞き始めます(笑)

では。とりとめのない長いコメントで失礼しました。またあちらの世界で…

CommentData » Posted by kous37 at 09/12/02

お気遣いありがとうございます。いろいろコメントしにくいツイートだったと思いますが、読んでくださってありがとうございます。

『ピアノの森』、アニメでは主人公の少年時代のエピソードのみでまとめられていてます。ひとつの白眉になるところなので、アニメだけでも楽しめると思います。ただ主人公の声が上戸彩で、個人的には……です。(笑)

音楽マンガ、ほかには手塚治虫の『ルートビッヒ・B』くらいしか読んでないので(のだめもよんでない・汗)比較は出来ないのですが、『ピアノの森』は何度読んでも涙が出ます。

「ラ・カンパネラ」、フジコ・ヘミングの演奏がわりといいなと思ってます。ほかにそんなに聴いてるわけではありませんが。

CommentData » Posted by egtagyck at 09/12/03

何度も失礼します。
フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」、私も好きです。この秋にDLしたばかりなんですよ。
他のアルバムにも入っている曲なので同じ曲でいろんなバージョンが手元にありますが、彼女のタッチは力強くて素敵です。
ちなみに私がこの曲を好きになったのは「赤い激流」(赤いシリーズ、水谷豊、緒方拳、宇津井健主演。百恵ちゃんは出てません)がきっかけです。
他にもこのドラマでベートーベンの「テンペスト」、ショパンの「英雄ポロネーズ」がコンクール課題曲でした。
…あ、また古い話になってしまった(^_^;) 失礼しました。


CommentData » Posted by kous37 at 09/12/04

クラシックは、思ったよりいろいろなところで使われてますね。

テンペストはちゃんと聞いたことがないので一度じっくり聞いてみたいと思います。

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