喪中はがき/民主党政権の無神経さと情けなさ
Posted at 09/12/16 PermaLink» Tweet
昨日。職場から帰った後、喪中はがきの印刷。父の年賀状リストの宛先のものは終わったが、自分のリストの整理に時間がかかった。結局父の分の印刷が終わり、自分の分の整理が終わったのが午前3時半。それから入浴して就寝。
朝は7時40分ころ起床。軽く予定を確認して少し活元運動。自分が買ったまま使ってなかったプリンタ(私のWin98のノートが使えるかどうかを確認し忘れたため)を持ってきて、父のパソコンで印刷してみる。昨日使っていた父の古いプリンタよりだいぶきれいに、静かに、早く印刷できることがわかった。自分の分を印刷してから、母のリスト作成。母はもともとの表を作っていなかったため、その打ち込みからやったが、案外すぐ済んだ。といっても午前中を半分以上潰したが。それから印刷し、なんとか昼食前に3人分の年賀状の宛先の分は完成した。あと、香典を持ってきてくれたが年賀状は出してない、という人の分への対処。これからやろうと思う。
午後は親戚に挨拶に。というより新たな相談のような感じになったが。話し込んでいるうちに時間がたって、職場に出る時間ぎりぎりに。
***
なかなか新しいものを読む時間がない。したがって新しいもののレビューなどを書くことはできないのだが、ちょっと今日はひとつ政治向きの話を書いてみようと思う。
ツイッターで私のアカウントをフォローしている方はご存知だが、最近やたらと政治向きのことをつぶやいている。それは正直言って民主党政権の仕事の進め方に懸念を感じているからだ。
事業仕訳けの文化予算抹殺や郵政問題など、子ども手当や高速無料化など、内政問題でもどうする気なんだと言う部分はたくさんあるが、ここに来て普天間基地の問題と天皇陛下の習近平引見問題という、防衛・外交・天皇という現在の1946年憲法体制、および日本の安全保障体制にとって根本的な問題をあまりに粗雑に、無神経に取り扱っていることに強い懸念を覚えている。
普天間基地をはじめとする沖縄の米軍基地は、日本では沖縄県のみに偏った過重負担の問題ばかりに焦点があてられているが、それ以外に考えなければならないことはたくさんある。第一に沖縄の地理的な条件であって、朝鮮半島有事の際、台湾海峡有事の際、東南アジア・中近東への後方基地としても、米軍にとって有利な場所にある。朝鮮半島と台湾海峡の有事は日本の安全保障や経済にとっても死活的な意味を持つことは言うまでもなく、それがゆえに憲法に制約された自衛隊では出来ない手段をとりうるアメリカと同盟し、そうした有事に備えることは日本にとって有意義なことであると自民党政権下では認められてきた。
民主党政権はまず、その観点そのものを相対化しようという姿勢があるように感じられる。朝鮮半島有事、台湾海峡有事の際、仮想敵ないしは混乱の震源になると考えられるのは北朝鮮であり、中国である。ロシアも無視できないが、西太平洋地域への関与の度合いから言ってその両国が重要であることは間違いない。
北朝鮮が問題のある国家であることは拉致問題を金正日が認めて以来日本では広く共通認識になったけれども、中国が問題のある国家であることは、本当はわかっているはずだと思うのだが、あえて見ないようにしている節がある。問題があるという言い方に問題があると思う人がいるとしても、日本と同じような意味での民主主義国家ではないということは認めざるを得ないだろう。もちろん外国なのだから違う態勢を持っていても何ら不思議はないのだけど、日本とこれだけ近いところにこれだけ強力で、チベット問題、ウイグル問題、軍備増強問題、人権軽視といった多くの問題を抱え、途上国と自称する一方で(最近は新興国と位置付けされているが)後進国に対して介入し、援助することで自国の利益を露骨にはかっている国家があることは正視するべきだろう。
自民党政権の時代もその強大な経済力に着目して倫理的にはともかく実利的に接近しようという姿勢はもちろん強かったのだが、民主党政権はその倫理的な側面にあまりに無神経でありすぎるように思う。
社会主義の理想=幻想の尻尾を引きずる人々が民主党内にかなり多くいるというのは事実だろうけれども、中国に対してこそ是々非々の態度を取らなければならない。アメリカに対してその態度を取っていることはひとつの見識と、まったくいえない、ということはないだろうが、それは中国に対してもとるべきだ。
そうしていないということはつまり、民主党政権が明らかに親中国に傾いている、ということに他ならない。それはイコール反米に傾いているということでもある。
もちろん、そう言う姿勢を選択することは当然ありえることなのだが、その理由がまったく説明されていない。日本は言うまでもなく、独立回復以来親米路線で一貫してきた。それは親米というよりむしろ従米というべきで、それに問題があったことももちろん確かである。自衛隊の活動、あるいは組織構造自体が米軍の世界戦略の補助部隊として事実上組み込まれていることは、私も不満である。しかし事実として日本の安全保障がそういう形で組み立てられてきたことは否定しようがないだろう。
民主党政権は中国よりに傾いている。問題は、なぜそうするのか、という理由が十分に語られていないことだ。誰も本気にしていない「友愛」の精神に基づいて、というのであれば、これはウィーン会議におけるロシアのアレクサンドル1世の「神聖同盟」の理念と同じで、誰も本気にしない。神聖同盟は結局反動の震源、反共和主義の震源としての役割を担うことになったが、「友愛」はまだ事実上どこの国も、あるいは国内的にも社民党などの小数例外を除いては誰も同意していないだろう。それ以前に党内的にすら同意は十分得られてないというべきだ。「亭主の好きな赤烏帽子」、であって、代表がそういうなら言わせておいてあげようよ、という域を超えた概念ではない。そんなものに日本の存在そのものを賭けようということに、いったいいつ誰がどこでどのように同意したというのか。
党内で中国への接近をはかっているのは鳩山や旧社会党勢力だけではない。小沢が本気で友愛など考えているだろうか。あり得ないの3乗である。小沢がここまで中国に肩入れするのがなぜなのか、私はまだ自分が納得の行く答えを見出していないのだが、いまのところ個人的な権力への欲望という見方が一番有力に感じられてしまっている。そのために鳩山の「友愛」を表面に出してカモフラージュしているのではないかということだ。
普天間基地の問題に戻すと、結局鳩山は沖縄の米軍の存在を日本の安全保障の必要性にとって重要だとほとんど考えていないということなのだろう。沖縄の負担が大きいということはもちろんその通りで、軽減策を考える必要はもちろんあるのだが、地理的な条件から言って朝鮮半島と台湾海峡にともに至近距離な場所はほかにはない。沖縄から米軍基地をはずすということは、即その地域での米軍の即応性を失うということであり、沖縄から米軍基地をなくすという選択肢はもちろんあってもいいのだけど、であればいま沖縄の米軍が持っている巨大な沈黙せる抑止力をいったいどのように代替するのか、その提案がなければならないだろう。
社民党の空想平和主義や鳩山の「友愛」の理念は結局その点を精神論で乗り切ろうとしているわけで、危険きわまりない。「竹槍でB-29を打ち落とす」という信念と甲乙つけがたい。相手が大変紳士的な諸国であればそれもよいかもしれないが、中国にしろ北朝鮮にしろ誰が見ても明らかな巨大な矛盾を抱えている国であって、そんな複雑な強大な危険な国家のすぐそばにいるのに友愛の理念で乗り切ろうというのでは、ほとんどガンジーのような非暴力不服従的な、「どんなに多くの国民が殺されようと信念は曲げない」という極端な、誰もついていけない思想と化してしまう。
もちろんそれもそういう前提で国民が選択したなら仕方がない。しかし、そんなことが問われているとは選挙の際、誰も思わなかっただろう。それでは微温的な物言いに変えて選挙で第一党を獲得したナチスのやりかたと基本的に同じことになってしまう。
だから常識的に考えなければならないのは、沖縄の負担軽減を主張するのはそれはそれでもっともなのだけど、それならば東シナ海周辺の軍事バランスをどのように維持していくのかという現実的な解決策を議論し見出すべきなのであって、まったくそのようなことが話し合われている節がないのは甚だ遺憾なのだ。
鳩山は結局、「結論をいまは出さないという結論」という驚天動地の結論に達したようだが、善意に考えれば、というかたぶんそうだと思うのだけど、基本的には「時間さえかければ全ての人が納得する結論が得られる」という考え、犬養毅が死の直前に言ったとされる「話せばわかる」という考えに基づいて言っているのだろう。
しかし、この件について「全ての人が納得する結論」が得られるとは考えにくい。沖縄周辺の軍事バランスについて本気で考える人がどのくらいいるか。誰がどのように負担を受け持つのが「正しい」かなど、正解はありえない。だいたい、結論を先延ばしにすること辞退に反対する人々もいる。場合によっては、先延ばしにすることがもっとも危険な結論だということもある。そのリスクについて本当に考えているのか、疑問を感じざるを得ない。
巨大化する中国にどのように対峙するのか。米国を捨てて中国を選び、今の日米関係と等しい関係を日中で持とうと言うのはまさか考えていないとは思うが、じゃあどう考えているのかといわれても全然よくわからない。
利害関係者の声をきちんと聴くことはもちろん重要なのだけど、政治家はそれらの声を止揚して理想的かつ現実的な解決策を探り、タイミングを逸せず実行していく必要がある。ほとんど不可能な仕事なのだが、だからこそ巨大な権力が政治家に委任されているのだ、ということの重さを、たぶんいまある程度は実感しつつあるとは思うのだけど、なんとも頼りなく見える。
天皇陛下の習近平引見問題も、非常にデリケートな部分を無神経に引っ掻き回している感がある。1946年憲法下における天皇の「象徴」という地位の微妙さについて、十分な意識が感じられない。
それはそもそも、天皇と言う存在について否定的な意見をもっている人が多く政権を担っていることに端を発しているのだろう。もちろん天皇の存在についてどういう意見をもとうと民主主義の原理からいって容認はされようけれども、思想家ではなく実際の権力の行使者である政権与党の人々は、天皇と言う存在の国民の中での現在の受け入れられ方はもとより、歴史的な受け入れられ方まで含めて認識を持たなければならないだろう。まず第一にその認識が粗雑なのだろうと思う。
自分たちがどういう意見をもっても勝手だが、世代により地域により個人により異なる天皇観を認識し、戦後どのように営々と象徴天皇制が築かれてきたのかという歴史的経緯を踏まえ、もちろん改変していくことはありえることだけど、もっとも阿吽の呼吸的に慣例の積み重ねによって築かれてきたこの制度を粗雑に扱うことは日本という国家の統合の実際に関わる大事を引き起こすおそれがあるということは認識されなければならない。
多くの人々が感じている皇室への親しみや信頼感は、決して軽視すべきものではない。天皇や皇室という存在の実態は、そうしたニュアンスや思いの部分で出来ている。権力をもたない権威である象徴としての天皇は、ふだんは意識されない日本というものをまさに象徴する存在なのだ。
それを政治主導などという俄かな原理で引き回そうということは国民感情を逆撫ですること以外の何ものでもない。天皇について語ることがタブーであるというのはよくないが、天皇という存在が日本においていったい何を担っているのか、もっと虚心に調べ、考えてみた方がいい。
天皇がどういう形で存在すべきか、これはとても大きな問題で、「その地位が国民の総意に基づく」と規定されている以上、なるべく一致点を見出していかなければならないだろう。その政治とのかかわりは宮内庁という役所に一任されていてあまり見えてこないという点がやはり問題はあったと思うが、積み重ねられてきた慣例を無視した中国の要請や内閣の命令に対し敢然と問題を指摘した宮内庁長官の姿勢は久々に素晴らしいものを見たという感じである。誰もが鼻息をうかがう小沢の批判にも屈しない態度を、与党の政治家にも見習ってもらいたい。
私のスタンスは、天皇の権威をもう少しきちんと確立し、日本という国家を文字通り象徴する存在として学校教育においても重視していくべきだと思っているが、そういうスタンスでないにしても、たとえ天皇という存在を否定する立場にたつとしても、天皇という存在は慣例と歴史と神話で成り立つ部分が法令的に定められている部分よりも遥かに大きいのだから、そのあたりをどのように捉えるかという認識が不可欠だ。それは日本という国家が法令によって定められている部分よりも、習慣や言語や慣例や歴史や気風や風土やそうした一言では言えないものによって成り立っている部分の方が遥かに大きいということと同じなのだ。
それを付け焼刃の「政治主導」やら「友愛」という概念で斬って見せるというのははなから無理な、無謀な、無残な企てであるに決まっている。そのことに対して動揺し、批判しようというのは、批判者が単に保守反動であるからではない。日本というデリケートな存在を無神経に扱われることへの本質的な危機感の現われなのだ。
日本において思想というものはそういう示唆や陰翳に富んだものであったはずなのだが、出来もしない言葉だけの明晰さに囚われて角を矯めて牛を殺すような真似をしている。現在の民主党への批判の根源には、そうした無神経さへの懸念があると言うことは、政権担当者に理解してほしいことなのだが、当局者のコメントを聞いているとどうもそういうことを認識する能力が根本的に欠けているのではないかという気がしてしまう。
今回は、小沢が恫喝的・強圧的な権力行使をしていることの問題点にはあえて触れなかったけれども、それを民主党内が許してしまっていることの情けなさに対する不満もまた、大きな批判の根源だろう。民主党政権は、この無神経さと情けなさを克服するためにどのように変化していかなければならないかもう少し考えた方がいい。
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