セリーヌ『夜の果てへの旅』とか/クラシック音楽の雑誌に沈潜する

Posted at 09/11/30

昨日は久しぶりに東京で起きて、3時ごろ家を出てまず大手町へ。丸の内地下のコインロッカーに荷物を預ける。ここはモバイルスイカで払えるので楽。6時の特急の席を取って八重洲口まで歩き、日本橋丸善へ。昨日は曇っていて肌寒かった。ベージュの少し厚めのハーフコートとグリーンの薄めのジャンパーとどちらにしようか迷ったけどハーフコートを着て歩く。丸善の一階で雑誌を見て、二階に上って新書を買う。

ハリウッドではみんな日本人のマネをしている (講談社 α新書)
マックス桐島
講談社

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マックス桐島『ハリウッドではみんな日本人のマネをしている』(講談社α新書、2009)。割と肩がこらずに読めそうなもの。日本のいいところを見直そうという趣旨の本はいくつもあるが、それは大事なことだ。こういう本を読むとやはり日本はすごい、みたいな夜郎自大になる人がありがちで、というかそういう傾向のある人がどうしてもメインの読者になってしまうのだろうけど、むしろ日本人の現状に違和感を持っている人がこういうものを読んで何が日本人の長所でどこが短所なのか、自分なりに考える材料にするのによいと思う。私もなんだかんだいって批判に傾きがちなので、こういう本を読むことで自分の中を中正にしようと思っている。

レコード芸術 2009年 12月号 [雑誌]

音楽之友社

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マンガのコーナーに行ったり文学書を見たり。地下に下りて文具のコーナーでモーニングページ用のライフの原稿用紙掛けノートを買う。モーニングページを書くのにはこのノートが一番書きやすい。だいたい二、三週間で一冊使う勘定。なかなか東京に出てこれない可能性があるので二冊買った。それから雑誌コーナーにまた上がっていろいろなのを立ち読みしているうちに、『レコード芸術』12月号(音楽之友社)を見て、とても気に入る。視聴用のさわりのCDが付属していて、音楽評、CD評、特集は世界の名指揮者、現代の名指揮者。こういう雑誌が読みたかったんだ!と思う。少し高いし重いが買うことにした。なかなか東京にこれないから、という言い訳があると本当にほしいものが買えていい。

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)
セリーヌ
中央公論新社

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重いけれどもほくほくしながら桜通りを東京駅へ。途中の神田達磨でひっかかり、鯛焼きを一つ買う。丸善の丸の内本店へ。同じ本屋にばかり行っているようだが、二軒の雰囲気はかなり違う。一階の特集コーナーでふと手に取った文庫本の表紙が気になり、中身を読んで、即買い。セリーヌ『夜の果てへの旅』上下(中公文庫、1978)。表紙の、多分木版画はケルマン・セルヴォ―という人。また二冊も買ってしまった。二冊で1700円あまり。昨日はだいぶ散財をした。でもしばらく東京に来れないから…と言い訳すればたいていのものは買える。

コインロッカーから物を出して中央線に乗ったら、ちょうど帰宅ラッシュの時間で混んでいたがいちおう座れた。新宿駅で夜の弁当を買う。実に松花堂弁当と根菜サラダ。特急に乗って、しばらくして弁当を食べ始めた。まず鯛焼き。うまい。なんか泣けそう。弁当とサラダもうまい。東京の食べ物は、何でこんなにうまいんだろうと思う。

セリーヌを読む。私は以前、この人の詩を読んだことがあるが、何がなんだか全然わからなかった。ただ暴力的な雰囲気の詩で、とてもいいとは思えなかったのだけど、この「自伝的小説」はすごい。読むとぞくぞくしてくる。最近読んだものでいえばマンシェットのものに共通するものがある、もちろんセリーヌの方がずっと早い作品だが。

この作品を、単純に厭戦もの・反戦ものと見てしまったらつまらないだろう。ものすごく知的で、ものすごく美学的で、ものすごく感性的な作品。朗読しても「いい」だろうと思う。なんというか、わたしはこういうのが大好きなのだ。最初にこの系統のものに感動したのは映画『狂気の愛』だった。アンジェイ・ズラウスキ監督、ソフィー・マルソー主演。もうとにかく暴力や気違い沙汰があふれているが、とんでもなくリリカルで、確かに人間性の真実がここにある、と感じさせる作品。先日マンシェットを古典新訳文庫読んだとき、久しぶりにその感覚が蘇った。こういう作品に、「系統」があるとは知らなかった。もっと積極的に探せばよかったのだけど、『狂気の愛』の感動があまりに強かったし、「フランス」の作品という意識より、東欧とかロシアとかの方に感じを引っ張られてしまったのでフランスのものでそういうのを探そうという意識がなかったのだ。今からでも遅くない、こういう系統の作品をもっと読みたいと思う。現在上巻48/381ページ。

8時過ぎに山麓の駅につき、車で来た弟と交代。弟はこれから帰京、父の様子を聞いて言づてを聞いて、弟を見送り私は車で病院へ。そのまま消灯時間まで父についていて、雨の中を帰宅した。雨の夜は、路上のラインが見にくい。あまりスピードが出せない。帰宅後少し母と話をして、見舞いにもらったパイナップルを食べて、入浴して就寝。11時頃には寝たと思う。『坂の上の雲』を見てもよかったのだけど、原作を全部読んでもあるし、江川達也の『日露戦争物語』も読んでいるので話を知らないわけではないし、頭のなかでもっくんと阿部寛と猿之助の息子の演技を想像してなんだかけっこう十分な感じ。それより睡眠を取りたいと。

起床7時過ぎ。8時間ちゃんと寝るなんていったいいつ以来のことなのか。起きて少し活元運動をして、朝食。パン半分にマーガリンといちごジャム、ホットミルクカップ半分、妹が作っていったミネストローネスープ少々。これくらいで朝は十分。自室に戻ってモーニングページを書き、活元運動と出かける準備をして、結局9時半前になった。郵便局でお金をおろし、職場によってパソコンをもち、GSでガソリン補給。綿半で猫避け剤、靴ブラシ、ハンドタオル、エヴィアンを買う。川沿いのバイパスを通って山麓へ。

父は穏やかな感じ。『レコード芸術』の付録のCDをかけながら父のそばにいる。だんだん落ち着いてきた感じがしてきてから、『レコード芸術』を読み始めた。昨日手にとったときに感じた感覚は間違ってなかった。読めば読むほど熱中する。クラシックについて、私は何も考えずに聴く人である期間が長かったので、基本的な知識はかなり欠落しているのだが、『ピアノの森』を読んでからショパンについてずいぶん読んだり聴いたりしたことによって、ピアニストについてもだいぶ知ったしその他の演奏家についても一定のイメージがもてるようになってきていたので、こういう時期に読むべき雑誌としてはまさにうってつけの感じがする。バレエなどに興味をもっても結局舞台を見に行かないとその真価はわからないということもあって結局あまり熱中できなかったのだけど、音楽ならCDを聞けば(ある意味では)いいので経験度のこなしやすさが全然違う。現在手に入るCDを中心として音楽についてじっくり語る記事がたくさんあって、今まさにこういうものが読みたかったんだなという実感がある。ショパンのピアノ曲を中心にさまざまな演奏についての記事を読み、特集の世界の名指揮者/現代の名指揮者の記事を読む。

名指揮者の一位はフルトヴェングラー。知名度からいえばわかるけどいまだにそうなんだなと思う。フルベンは『エレオノーレ序曲』のコーダの鬼面人を驚かすような休止が印象的なのだけど、やはり演出に熱心なあまり、そういうびっくりさせるような演奏がけっこう多かったんだなと読んでいて思った。カラヤンは端正でちょっと自分の趣味とは違う。バーンスタインも作曲家としては印象はあるが、指揮者としてはあまり好きでない演奏しか聞いてない気がする。他の指揮者についてはまだあまりわからないとしかいえない。スヴェトラーノフが好きなのだが50位までには入ってなかった。

付属のCDはいろいろな演奏が聞けて面白い。こういうものを付録につけていいのを買ってもらうというのはいい作戦だと思う。味見作戦。

午前中はずっとそういう感じで時間が過ぎた。昼前になってブログを書き始めたのだけど1時半の帰宅時間までには書き終えられず。帰宅して昼食。母と少し話をして、自室に戻ってブログの続きを書いた。もう4時半。

今回の一時帰京はだいぶ収穫があった。

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