バイクを盗んだ夢

Posted at 09/11/24

11月24日火曜日。朝6時59分。父の病室で書いている。ショパンのプレリュードを流し、窓からは山の裾野から出たばかりの朝日が差し込んでいる。廊下からは看護スタッフの声が聞こえてくる。

昨夜は連休の間長時間ついていてくれた弟と妹を駅に送るために6時前に来て、それからずっといるのだが、私もだいぶ疲れが溜まっていたため、9時前には寝てしまった。それから何度も夜中に起きて父の様子を見たり頭に手を当てたりを繰り返して、4時頃にはだいたい目が覚めた。変な夢をいくつも見て、ツイッターに書き込んだりした。本来、そういうことはモーニングページに書けばいいのだけど、起きて原稿用紙を開き、万年筆を握って升目を埋めるより、寝たまま携帯で文字を打ち込んだほうが手軽なんだなと思った。

バイクを盗んだ夢を見た。盗んで、どうしているかと言うと、別に自然に走っているだけなんだが、途中でばれたらどうしようと怖くなった。どこかの家の前においてあったバイクをそのまま乗ってきてしまった。鍵は玄関に老いてあって、それを目を盗んでとってそのまま走り去った、のだろう。そこまでディテールがなかったが。で、始末に困ってどこで捨てるかと考えたりする。しかしバイクにも鍵にも指紋が残っているだろうなあとか。困ったまま目が覚めた。まるで思春期のような夢だが、私の根本的な自己認識は、いまだに少年のままなのかもしれないと思う。外見は最近、いやになるくらい老けているのだが。

曲がワルツに変わった。作品64の1、いわゆる「子犬のワルツ」。ショパンのワルツはつい耳を傾けてしまう。

ショパン:ワルツ集(全曲)
アシュケナージ(ウラディーミル)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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6時半に本格的に起きて、父の頭に手を当てたり、昨夜の缶コーヒーの残りを飲んだり、モーニングページを書いたりした。書いていて思ったのだが、モーニングページの役割を、ツイッターが果たすことはできる。思ったことをそのまま、思考のよどみを解消するために、またそこから新たな発想を得るために、思考の癒しと創造のために書くのがモーニングページの役割なのだけど、ツイッターをそういうふうに使うことは十分に可能だ。ただ、モーニングページは原則非公開にしてやるべきものなので、非公開のつぶやきにしてはじめるべきだろう。そうしないと、思考を正直に書くという点において萎縮してしまう。私もやはり、ツイッターにもブログにもかけないことをモーニングページでは書いているので、公開してしまうとそういう秘密の場所がなくなってしまう。しかし、やや秘密にしたいようなことでも誰かに向かって叫びたい、という矛盾した衝動があるのが人間というものなので、それを誰にともなく書けるツイッターというのはある意味絶妙なところがある。その辺をうまく使えるととても面白いメディアだと思う。

私の人間に対するアプローチは、文学的というよりもっと実証的なものではないかという気がしてきた。それは科学的という意味ではない。自分が実感として正しい問い感じたものを大事にする、というアプローチだ。文学というと、私はどうしてもやくざな思考、表面的なポーズの取り方に幻惑されてしまう。本当は、文学も実証もなく、もっと魂の叫びのようなものが書けるはずだと思う。芝居だってそう思って書いていたのだから、書けたかどうかはともかく。どんな文章でも、そういうものに迫れるものが書けると思う。

そういえば、私は物を盗むという夢は比較的よく見る。盗んでもそれで罪悪感に苛まれる、というわけではなく、ばれたらどうしようと焦ったり怖くなったりするという夢だ。いつでも何か、自分のした、あるいはしている悪事がばれたらどうしよう、という怖さが無意識の中にある気がする。ものではないが、人の彼女を取ったり取られたりということはあっても、それ以上のことはした覚えはないのだけど。そういうことをしたりしたのもそういう潜在意識的な恐怖から逃れたいという思いからかもしれない、と思ったりもする。

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by Luke Peterson

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