アクセス急増の波/ツイッターが補ってくれるもの

Posted at 09/11/07

今日は立冬。なぜか今日は朝からツイッターにはまってしまって、タイムラインを読んでいるといろいろなことにRT(リトリート:ツイッター用語で引用して返信の意味)がつけたくなり、あっという間に時間が過ぎ去った。立冬ということもそのなかで知った。また、今日は新宿駅の跨線橋工事の関係で新宿駅を発着する中央線の特急が中野発着になる。私は東西線沿線なので返って便利といえば便利なのだが、新宿駅や東京駅を経由しないのは東京に戻ったという感じがせずなんだか変な感じがする。品川発着の新幹線もそんな感じがするが、あれはみんな物足りなくないのだろうか。

昨日は久しぶりにアクセスが1100を越えた。これは多分、村上春樹の『1Q84』に言及してそこらじゅうでリンクを張られて以来ではないかと思う。リンクされたりはてなでブックマークされたりしているのは野村監督の引退と新庄・清原の解説に関する感想を書いた回のエントリーだが、ブックマークされ、引用されるとそのサイトからだけでなくブックマーク情報を二次的に流すサイトからもリンクされ、多数のアクセスがあるので、第二波・第三波のアクセスの盛り上がりがあり、たいへん面白い。今まで一時的に急激にアクセスが伸びたことは何度もあったが、第二波・第三波の到来というのは初めての経験だ。これが無限連鎖していくといつまでもアクセス数が高いままで安定するわけだが。

高値安定するためには、結局は私のサイトそのものを目当てに来る人がどれだけあるかということが問題だ。今のところ、通常のアクセス数は400~500で安定しているので、もちろん検索エンジンの力は大きいのだけど、毎日そのくらいの人が自分の文章を読んでくれているというのを心強く思いながら書いている。自分が書きたいことを書いてこれだけの人が読みにきてくれるというのは幸せなことだ。改めて感謝の気持ちが起こる。ありがとうございます。以前、アクセス数を稼ぐのを狙って受けそうな話題を選んで書いていた時期もあったのだが、それは自分が何のためにやっているのかわからなくなってしまって続かなくなる。自分が面白くなくなるとアクセス数も減る。自分の中から出てくるものと人が読みたいものが一致することが必要だ。

私はお喋りな人間なので、喋っている間にこれを書きたいとかこのことを言いたいとかいうことが出てくることが多い。しかし現実世界では残念ながらあまりそういう相手が身近にあまりいなくなっている。ときどき友人と話すことで啓発されることも多いけれども、どんな話題でも自由自在に、とは残念ながら行かなくなってきている。昔は多くを共有できた友人たちも、今ではそれぞれがそれぞれの世界を持っているので、そういう意味では守備範囲が狭くなって来ているし、自分の範疇にないものや自分に反対するものに対する感性がビビッドではなくなってくるのは仕方がないことだ。人間、失うものがあるから得るものがあるのだから。

最近、それを相当補ってくれているのがツイッターだ。ミクシイは固定的な友達を作るのはいいがやはりリアルな人間関係と同じで気を使うところが多く、発言を控えたりせざるを得ないことが意外と多い。そうなるとあまり発想の源泉としてのおしゃべりというのとは違ってくる。しかしツイッターなら言いたいことはいえるし、言い過ぎたなと思うことは引っ込めるし、イヤなことをいう人の発言は無理に読まなくていいし、関係もそう考える必要がない。いろいろ面白いこという人の発言を聞いているうちに啓発されることは多いし、それを元にいろいろ書きたくなる。ツイッターをやり始めたらブログを書かなくなる、という話があるけれども、既に私はその域は出ている気がする。ツイッターのタイムラインが物を書く一つの源泉になりつつある。

そして、固定的な友達でないたくさんの人たちの発言を読むことは、自分の意見や人の意見の偏りもわりと客観的に見直すチャンスが常に与えられるということでもある。タイムラインがカオスだから読みにくい、という意見があるけれども、私にとってはカオスであるからこそ意味がある、という気がする。

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