考えるだけ無駄、でもないらしい/ツイッターをやり過ぎないようにしないと
Posted at 09/11/04 PermaLink» Tweet
昨日。朝はこまごましたことをしているうちに時間がなくなってあわてて飛び出した。駅まで、普通は歩いていくのだけどこういう時はバスを使う。しかし朝のこの時間、混んでいることが多いのだけど、きのうはがらがらに空いていた。きのうは文化の日。お休みだったから。
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いろいろ考えてはいたのだが、丸善で『ウェブデザイン見本帳』(インプレスコミュニケーションズ、2008)を買う。どんなデザインにするのかただ考えていても出てこないので今あるいろいろなケースを分析したものを読んだ方がいいと思ったので。しかし昨年のものであるためか、いいなと思ったものの実際のウェブページを見たらもう変わっていた。ソースを参考にしようと思っていたのだけど、実際の構成をするにはまた違う本を見ないといけないということになりそうだ。
朝少し食べ過ぎたので、東京駅で小さ目の弁当を売っているところを探して買う。結局車内では食べず、実家に戻ってから食べたのだが。特急列車の中では『ウェブデザイン見本帳』を読み、ツイッターをし、時間が余って『本の読み方』『リュシス』などを読んだ。駅につくときのうからきていたという弟が迎えに来てくれていて、母と三人で家で昼食を取る。しばらく話をして車で山麓に出かける。カーナビ付属のCDプレイヤーの調子がおかしく、CDが入っているのにノーディスクと出たためにもう一枚入れてしまい、二枚入ってしまった。だいぶその対処に苦労したのだが、何度かやっているうちに出てきたので助かった。もうディーラーまであと少しのところまで行っていたのだけど行かずに済んだ。
山麓で少し話をして職場に出る。休日だが臨時営業をしたのだけどまあ予想通りだが閑散としていた。事務的なことなどこなす。TLで日本シリーズをのぞくがきのうは小笠原に打たれて負けた。前回の日本一のときは新庄と小笠原の力という感じだったから、相手に取られた飛車が大活躍して負けたという感じ。まあそんなものではある。
夜はだいぶ冷え込んだ。早めに帰宅して食事、入浴。風呂が余り温度が上がらず、なかなか芯から温まらない。プラトン『リュシス』読了。昨日は4時間くらいしか寝てなかったので11時過ぎには就寝した。夜中に暑くて目が覚めたのは、布団の下のホットカーペットを最強でつけっぱなしにしていたから。でも何か、そのおかげで腰が少し楽になった感じもする。これから冬になると、また体がかじかんだり冷えたりすることが多くなる。もう一度寝て起きたのは6時過ぎ。起きて寝床のなかでモーニングページを書く。活元運動をしようとするが、寒くてなかなか体が動かず。朝食を取って帰ってきて、今ブログを書いている。9時20分。
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プラトン「リュシス」読了。友とは何か、というテーマで延々と議論がされているが、結局結論が出ないまま終わる、という結末で驚愕した。愛するものが友なのか、愛されるものが友なのか。似ているものを愛するのか、似ていないものを愛するのか。愛するのは必要の故か、そう定められているからか。ソクラテスが美しい二人の少年をつかまえてあれも違う、これも違うと議論する。結論が出ないまま日が暮れて終わり。
哲学ってそういうものだったのかと思う。考えて考えて、結論が出ない、なんてことはいくらでもあることだけど、でもそれは「考えるだけ無駄なことをした」と思っていた。しかしそうじゃない、考えたことは考えたこととして作品にしてしまえ、という豪快さ。日がな一日議論を楽しんだ、その一日の記録ということなんだろうか。なんだかすごいものだなと思う。
続けて「饗宴」を読む。これは有名。「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」と並んでソクラテスの四福音書と呼ばれているのだという。書き出しからして魅力的だし、読んでいても「リュシス」よりずっと面白い。構成も考えられているように思う。こちらはエロス(愛、といっていいか)をいかに賞賛するか、というテーマで、お祝いの席でそれぞれが語るという構成。「リュシス」はソクラテスが話しっぱなしだが、「饗宴」は順番にいろいろな人が自分の意見を述べているので構成がずっと立体的だ。まだ90ページ中20ページほど。話しているのはパイドロスにつづくパウサニアス。まだ後何人も出てくるのだろう。
朝の冷たい空気のなかで机の前に座って姿勢を正して読んでいると、毎朝少しずつ哲学書を読むことを一日の一番の楽しみにしているという人の話が思い出されて、そういうことは全然理解できないなあと今まで思っていたのだけど、ああ、こういう感じなのか、こういうのもいいなあとはじめて思った。マキャベッリは一日の下吏としての仕事が終わって帰宅すると正装して本に向かい、古代の人びととの会話を楽しんだというが、それもまたこういうことなんだなと思う。イギリスのケンブリッジ学派の人々の会話というのも、こういう古代ギリシャの人々の会話がプロトタイプとしてあるのかもしれないなと思う。18世紀のサロンというのも意義としてはこういう感じだったかもしれない。もちろん、サロンの主人公は女性だから女性を排除したプラトンたちの会話とはある意味本質的に違うけれども。
どうも寒いせいか、少し温まると逆に眠くなってしまう。今も椅子に座ったままうとうとしてしまった。
ふと思ったこと。
今日、私は起きるとまずカーテンを開けて、夜明けの風景を携帯のカメラで撮り、それを携帯百景に送信して、携帯百景とツイッターの私をフォローしている人たちに向けて「おはようございます」というメッセージを送る。今朝は気温が零下まで下がったので、寒いよ、という報告をする。それから何度もタイムラインをのぞいたり、携帯百景のサイトをのぞいたり。この部屋にはネット環境がないのですべて携帯だ。連絡がありそうなときはPCのメールも携帯でチェックする。そんな風にして、「つながり」というものを保とうとするわけだ。ツイッターが出る前はミクシィ、ミクシィをはじめる前はそういう意味でのつながりはブログだけだ。その前はウェブ日記、その前は詩のサイトの掲示板、その前はニフティのフォーラム。ネットでのコミュニケーション、人とのつながりはそこまではさかのぼれる。
その前は、もちろんリアルな人間関係しかなかった。最近は、リアルな人間関係をかなりセーブしているせいもあり、ネットでの関係のしめる割合が大きくなってきている。特にツイッターが出てからは、いつでもどこでも「つながり」を感じようと思えば感じられるので、ついつい書いてしまい、また読んでしまうということがある。ミクシィ中毒、という言葉があったけれども、私はミクシィにはそんなにはまらなかったが、ツイッターはなんというか生理的に非常に合っているところがあって、けっこうはまっているといっていい感じがする。
ブログは長文になるから更新はせいぜい一日に一回だし、またコミュニケーションがメインの目的ではない。私にとっては。ミクシィはいろいろ最初に挨拶したり、心無い文章を書き込まれてもそれに対処しなければいけなかったりいろいろと気を使う。しかしツイッターは基本的に自分の気に入らないものは自分の目に触れないようにしようと思えばできないことはないので、安心して読み書きできる、だから一番本音が言いやすいし、あまり考えないで書ける、というのが最大のメリットだろう。
しかし逆にいえば、あまり吟味していない言葉をそのまま書いていることは確かだ。まあ最近ではけっこうセーブがきくというか、ネットでもリアルでもあまり感情的なことを書いたり言ったりしなくなっては来たけれども(当社比)、構築的な仕事をするときには少し妨げになるということもあるなと思い始めた。
以前だったら、つまりネット以前だったらという意味だが、何かをはじめようとするときに自分を邪魔するものはテレビとか読みかけの本とか何度も読んでしまうマンガとかだったわけだけど、今もっとも避けて通るのがたいへんなのがツイッターだ。そこから何かをはじめられる、そういう可能性のある場所でもあるけれども、その何かをするときにその仕事の大きさから逃げてしまいたくなる、その先もまたツイッターだったりする。私は基本的におしゃべりが好きな人なので、ネットメディアでこれだけ向いているものはないだろうなあと思うのだけど、だからこそつぶやきを抑えるのはたいへんだ。
まあこの辺、ちょっと順序を決めておいた方がいいんだろうなと思う。幸田露伴は、記憶が正しければ朝食後に人から来た手紙を読んだりその返事を書いたりする時間にあてていたそうだが、朝の一番大事な時間をコミュニケーションに費やしていたんだなと思う。最初は面白い面白いというだけで考えずにいろいろやるけれども、そろそろ自分の生活の一部としてどういうふうに付き合っていくのか、決めておく必要があるのではないかと思った。
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