つくるということ

Posted at 09/10/15

昨日。バッグ騒動でいろんなことがすっ飛んでしまった。仕事をやり忘れていることをいくつかあとで思い出して今日になってから片付けている。夜は10時過ぎまで仕事をして帰宅、夕食、入浴、就寝。寝る前にスーパージャンプを一通り読んだ。あまり読みでがなかったな。このままだと買わなくなる可能性が高い。

今朝。6時起床、6時半まで活元運動をしたり足湯をしたり。体調を何とか立て直したいところ。ファミマに出かけてモーニングと午後ティーを買ってくる。今週は「ピアノの森」はなかったがけっこうよかったな。「ディアスポリス」が大団円に近づいている。伊佐久が死んじゃったのが私的には残念。「ひまわりっ」ようやく面白くなってきた。宮崎の食べ物ネタはダメだ。東村アキコのセンスは相変わらず好調なんだけど、食べ物ネタはダメだな。チキン南蛮のムネとモモとどっち?で何週間も引っ張るというのは、みんなついていったのだろうか。うどんがコシがないほうがいい、というのも共感は呼ばないだろうな。その辺は程々にしてほしい。でもようやく漫画家成り上がりバトルが再開して、また吹っ飛んだキャラクターのデザイナーが登場して、今週は爽快感があった。単行本を買うのを自粛していたのだけど、11巻買ってもいいかもしれない。

朝食後、ちょっと畑の作業。夏野菜を母が作っていたのを、そろそろ整理。つっかえ棒を抜いてひもを外す。ピーマンか獅子唐かわからないものがいくつか生っていて収穫。トマトの青いのやきゅうりの巨大化したのがいくつかあったが、それはさすがに無理そうだ。ねぎはまだ何とかなるかもしれないが。作業中に鎌を見失い、ずいぶん探してようやく見つけた。昨日から頭がすっ飛んでいるみたいで、ものをよく置き忘れる。

自室に戻ってモーニングページを書き、「生きるということ」の続きの想を練る。今、「創作について」という項を書いているのだけど、創作というのは自分にとって大きいことだというのが書きながらわかってきた。

創作というのは「つくる」ということ。じゃあ「つくる」ってどういうこと?と考える。たとえば庭をつくる、というのならば、まず庭のありようを整理する、ということがあるわけだけど、本格的に設計からするのではなくて、自分らしい庭にするくらいの作り方でも、こんなふうにしたいなあという発想にそって、いろいろな創意工夫をする。わからないことは調べて好きな庭を模倣したりする。そういうものをいろいろ組み合わせて(その組み合わせ方が難しいわけだし、それ自体が創意工夫になるわけだけど)好みの庭に作っていく。

そういうふうに考えてみると、「つくる」ということの実体、本体は、つまり「創意工夫」ということだとわかる。そう考えてみると、どんな仕事だって創意工夫は必要なわけだし、その部分ではつくっているということになる。その範囲の大小は仕事によって全く異なってくるけれども。経理の伝票入力だってキーボードのショートカットなどを工夫して人より速く打てる、というような工夫だってありえるわけだし。

しかし創意工夫というものは何の前提もなく始まるわけではなく、まずは模倣から始まることが普通だ。好きなものを模倣しているうちにだんだんそれでは足りなくなってきて、その足りない部分を埋める工夫をはじめ、それが創造につながっていく。

どんな作品だって、先人の模倣が全くない作品など存在しない。油絵を書くのだって、まず油絵の道具自体が先人の作り出してきたものだし、その使い方も先人が編み出してきたもので、それを学校で学ぶ。それはもちろん既にデフォルトなルールなんだけど、それが模倣であるということは忘れない方がいいと思う。誰も油絵の技法の特許など主張しないけど。

結局どんな創作でも模倣と創意工夫がうまく組み合わさって成り立っている。模倣がまさればオリジナリティがないとか盗用・盗作・剽窃だとかいわれたりするけれども、たとえば桃山時代の陶器を再現しても盗作だとはいわれない。贋物を作るのはまずいが、桃山時代の陶器を再現するためには膨大な創意工夫を積み重ねなければならないわけで、模倣が実は創意工夫の壮大な結晶だったりする。

オリジナル信仰のようなものがあるけれども、オリジナルといってもつまらないものはつまらないし、模倣であってもすばらしいものは素晴らしい。それは模倣でも、そこに至るプロセスに創意工夫が満ちている。

つくるということは、自分の核になるものがあって、それにいろいろなものがついてくる。テーマは多分、何でも構わない。テーマが何であれ、その処理の仕方がその人らしさだからだ。それをオリジナリティと表現すると難しくなるが、その処理をするその人の核になるものが――このテーマはこういうふうに表現したい、とか、そういうもの――こそが創造性の命なんだろうと思う。

これはこういうふうにやってみたい、とかそういうことは考えてみるとたくさんある。今のところそういうものが種種雑多な場当たり的なものが多いが。その方向性をだんだんまとめて、大きな一つの方向性をもつために、今いろいろ書いてみているということなのだが。

昼前に山麓に出かけ、綿半によって安全手袋とティッシュペーパーを買ってきた。上川バイパスで、優先を誤解して入ってくる車があって肝を冷やした。昼食を少し食べ過ぎた。食べたあと少し昼寝をしたらちょっとそれもよくなかったみたいだ。しかし今日は天気がよくて暖かかった。暖かい一日は、なんだかとても得をした気分になる。

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