ショパンのマズルカ/教員生活と霞が関文学/屹立する言葉と世界
Posted at 09/09/27 PermaLink» Comment(2)» Tweet
昨日夜帰京。体調が変で、あまり食事も取らないようにしているのだけど、食べないと元気も出ないし、調整が難しい。夜は入浴しないで寝たが、それもいいのかどうか。今日はとにかくのんびり力を抜くことにしてゆっくりしようと思う。しかし、腹が上手くへらずに食事のペースを少し変にしてしまったために、なんか奇妙な感じがする。
『ピアノの森』の登場人物・中国の天才ピアニスト・パンウェイのショパンコンクール2次選考の曲目をCDに焼いた。1曲目がポロネーズ5番、次にマズルカ作品33の4曲、最後のピアノソナタ2番の1楽章から4楽章まで。ポロネーズ5番というのはいい曲だと思う。すごく雄雄しいというか、闘牛士が牛に挑んでいくような感じというか。ソナタ2番はいわゆる葬送行進曲で、印象にかなり色がついているのでかなり損をしていると思ったのだが、はっきり言って感動して、少し泣きそうになるくらいだった。重々しい有名な主題と、天上の音楽のような美しい長調の主題。聞いたのはウィリアム・ケンプのピアノだが、誇張ではなく心を奪われた、という感じだった。
それに比べるとマズルカはどうも弱い。あまり聴いたことのないピアニストが弾いていて、やはりこういうところで差が出るんだなと今更ながら思う。昼過ぎに銀座に出て、山野楽器でアシュケナージ演奏のマズルカ全集を買った。教文館も少し物色し、地元でパンなどを買って帰って家で昼食。3時ごろになっていた。
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夕方は相撲を見る。アナウンサーと解説の北の富士の会話がかみ合わなくて変な感じ。割合いい相撲が続いたが、結びの一番は圧巻だった。白鵬があっという間に朝青龍を投げ飛ばした。これで14勝1敗で並んだから、優勝決定戦。決定戦も白鵬が勝つと思ったら、今度は朝青龍がいい立会いをして逆に白鵬を投げ飛ばし、24度目の優勝を決めた。いやあ驚いた。鳩山首相が総理大臣杯を授与したらしいが、小泉以来なんか変なパフォーマンスがついていて気持ち悪い。さっさと渡して欲しい。
アシュケナージのマズルカを聞く。やはり全然違う。一つ一つの曲が粒だっていて美しい。しかし全部を流して聞くのはちょっとつらいものがある。そういうのはこっちの体調にも関わってくる問題なのだけど。
『天地人』。一回全部が三成の遺言、というのはすごいつくりだ。まあ全編フィクションだが、それはそれで面白い。まあ小栗旬だからだが、石田三成カッコよすぎ。
***
「割り切り」というテーマについて考えていた。それはまあ、どんなことが起こっても事態に対し最善を尽くす、と言い換えてもいいのだけど、10年間の教員時代について、またそのあとのここ10年について、どうだっただろうかと道を歩きながら振り返っていた。
結論から言うと、教員時代の10年は、自分のやりたいことがやれていなかった。もっと努力すれば出来たのかどうか、は難しい。最初は我慢していればそのうち状況は改善する(異動とかで)と思って我慢していたが、そのうちやはりお金のこととか生活の安定のこととか社会的な安定した地位とかそういうことが自分を引き止めるようになっていたなと思う。1年でやめるのは多分自分の中のプライドが許さなかったと思うが、10年続ける必要はなかったなと今では思う。続けてしまったのは、職を失った後の未知の世界にやはり躊躇があったからなんだと今では思う。
10年間高校の教員をやって得たものは一体なんなんだろうと思う。もちろんゼロとはいえないけれども、やはりネガティブな気持ちが勝るようになってからは得るものは少なくなっていると思う。その時期に結婚して離婚したり、大学院に行って状況を打開しようとしたりもしたけれども、どれもそれが本当にしたかったことなのか、今では考え込まざるを得ない部分もある。もちろん、実際にして見なかったらわからなかったこともたくさんあるから、そういう意味ではマイナスだけではないのだけど、どれもやりたいことをやりきったという充実感が残っていない。そのときそのときで、本当に冷静に判断できていればそうはしなかっただろうということが多い。大学院に関しては過去に何度か挑戦して失敗しているのでやはり一度は行かないと自分の中で踏ん切りがつかなかったと思うしアカデミズムの一端をのぞくことが出来たのは多分どこかで生きてくると思う。
教員生活で得たものは、組織というものの実態というものを知ったことだろう。特に公務員組織。また、教師と生徒というのが案外ウェットな関係であるということ。自分が生徒時代には教師なんて例外を除いてほとんどスルーしていたので、自分が教師になってもそんなものだろうと思っていたけど、あにはからんやみんなずいぶん教師にいろいろな期待をするものだとたまげてしまった。まあ私が生徒で在籍したのは進学校で、教員でいたのが商業高校と底辺の普通高校という、全然性質の違う学校だったせいも大きいが、同窓会などで昔の話を聞くとみな結構教師といろいろな付き合い、心のふれあいみたいなものを経験していて、そういうことを知っていたら自分は教員なんかになろうと思ったか、謎だなと思った。
公務員組織という面では、毎年分掌が変わるということ。担任になったら基本三年間担任だが、そうでないときは教務・生徒指導・進路指導そのほか、いろいろな分掌にまわる。私は10年の在籍中、担任が6年間で教務が3年、生徒指導が新採の一年間だけなのでまあウェットな担任というものを一番やったんだな今考えて見ると。教師が教師らしくなるのは担任だと思うから、ずいぶん教師らしくなったことだと思う、教員になる前に比べれば。それが自分にとってプラスだったかどうかはわからないが、人間はそういう風には適応するものではある。教務の三年間は学校のまあ中枢的な仕事だったのだけど、文書作成では校長や教頭と頭をつき合わせて文書をひねり出し、今話題の「霞が関文学」ではないが、見事にどうとでも取れる、何かあっても言い訳が聞く、あるいは読む人が読まないと真意がわからない文書をいくつもつくったものだ。
だから今テレビでそういう話題が出るとなんだか懐かしい感じがする。もちろん、省庁の役人がやっているのはもっと複雑な操作だろうけど、あれはやりだすと結構面白いもので、自分の経験から考えても、本気でそればかりやればハッカーと同じようにいくらでも複雑な罠を設定することが出来ると思う。
まあ正直言って、学校でも官庁でもいちゃもんをつけようと言う人は世の中に掃いて捨てるほどいるので、どんないちゃもんをつけられても大丈夫なようにしようとするとそんな複雑怪奇で本末転倒的なことに大きな情熱を注がなければならなくなってしまうのだ。それを学校や行政をよくする方向に使えればどんなにいいかと思うが、学校の方向性というのはそう簡単に変えることは出来ない。
管理職サイドもあれば組合サイドもあり、熱心な教員もあればそうでない教員もいる。授業に集中したい人もいれば部活中心の人もあり、自由な学校を望む人もいれば統制が取れた安全な学校を目指したい人もいる。それをまとめるのは政治主導ではないが管理職なのだけど、管理職は人材不足だし、また上からの締め付け下からの突き上げで自分の意思を実現するには相当な力量と覚悟が必要だ。大概小泉改革みたいなやりっぱなしで任期を終えることになる。
ああ、なんか書いて見るといろいろある。そう簡単に総括できるものでもないな。そのときはそのときで一生懸命だったんだなという気もする。毎日の仕事に追われて結局10年たって、つかれきってぼろぼろになってやめたわけだが、やはりやめ時をまちがえたのは間違いないと思う。それがどこだったんだろうということははっきりはわからないんだけど。
『誰も寝てはならぬ』でゴロちゃんが「恋愛は登山と一緒や。これはアカンと思ったらすぐ勇気を持ってひきかえさなあかん。」と言っているが、これは恋愛だけでなく仕事も同じだなと思った。人生みんなそうだろうなと思う。
***
もう一つ。自分のやりたいことは文章を書くこと、というのは何度か確認しているのだけど、果たして自分は芸術的な文章を書きたいんだろうか、ということをふと思った。
芸術的、というのはつまり、完成度が高い、といえばいいのか、ひとつの世界として出来上がったものを作りたいと思っているのか、ということだ。
大体今書いている文章なんて芸術的とはいえない。完成度って何、って感じの文章だしなあ。ある意味自分の世界を書いていることには違いないが、ひとつの世界として出来上がっているかといえばどうなんだ。どうなんだもへったくれもない。
なんか多分、私が書きたいのは、芸術的な完成度というよりは、もっとメッセージ性の高いものなんじゃないかという気がする。どういうメッセージなのかは不明だが。全体としての世界というより、言葉ひとつで世界に屹立するもの、というような。何というか表現主義?詩とかそういうものに近い?
養老・久石『耳で考える』を読んでいて、芸術家は世界を構築していくことを追求するというようなことを読んでいると、そういう方向と自分のやりたいこととがどう同じでどう違うのかは多分もっと考える必要がある。芝居をやっているときも、演出家は全体世界の構築に意を用いるし、役者は自分がその世界の中で屹立することを求めるので、その相互作用が面白いのだけど、自分は気持ちの上では役者の側に立つ部分が大きいので、全体世界の構築という面ではまだ足りないということなんだなと書きながら思った。
そうだな。やはり屹立する言葉から出発したい。そこから世界にいたるようなものを、書ければいいなと思う。
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"ショパンのマズルカ/教員生活と霞が関文学/屹立する言葉と世界"へのコメント
CommentData » Posted by KEN at 09/09/28
彼岸が季節の節目を感じさせてくれませんね。これを温暖化と直結したくはないのですが・・
早速、久石譲との対談の「耳で考える」を注文したので近日読みたいと思います。
実は、私はゼネコンに15年近く現場監督として勤務した後、退職して某工芸学校に入学し木工を専攻して2年ほど日本の芸術を勉強しました。
現在は、高校と専門校の非常勤講師をしていますので、とても臨場感あふれる内容に読み入った次第です。
私もいろいろと悩まされていますが、基本の信念である「人に何かを残したり伝える情熱」を満タンにしておくことを心がけて頑張っております。
ただ、公務員等の立場を受け入れてバランスよく振る舞わないといけない現実も(改めて)少し感じました。
CommentData » Posted by kous37 at 09/09/29
>KENさん
こんにちは。
>現在は、高校と専門校の非常勤講師をしていますので
そうなんですか。あんまり生々しくなってしまうので、今まであまりこういう話は書かないようにしていたのですが、最近ちょっとは客観的に見られるようになってきたかなとは思っています。
まあ主にこのエントリの内容は、自分が中途半端な気持ちでいたことへの反省の弁なのですが、書いているうちにいろいろ出てきてしまいました。(笑)
KENさんもどうぞ自分の情熱に忠実に、頑張っていただきたいと思います。いろいろやれる時間、いろいろやれる場所は大切なものだと思います。