ピアノの詩人/ジュリーは腕時計の時刻を読み取ることができなかった

Posted at 09/09/18

ショパンを聞く。『ピアノの森』の登場人物、レフ・シマノフスキがショパンコンクール一次予選で弾いた曲の、アシュケナージやレオンスカヤの演奏のものを曲順に自分でCDに焼いたものだ。最初にプレリュード7番で始まる。これは大田胃酸のコマーシャルの印象が強いが、いい曲だ。そのあとプレリュードを12番まで。エチュード作品10の8というのが楽しいな。もし自分が何かやるときがったらこの曲をかけてみたらいいかなと思う。

ただ後半にワルツを持ってくるのはどうかな。なんとなく平凡な印象になってしまう。楽しく終わる、というコンセプトだろうか。以前も書いたが、作者の一色まことはこのあたり、どれくらい深くショパンを勉強したんだろうかと思う。ショパンコンクール一次予選の、実際の演奏が連載で始まったのが2006年。2009年9月現在、まだ2次予選の第二奏者だ。そういう意味では、ショパンの勉強をする期間も相当あったとは言える。しかし相当鬼気迫る研究の成果が現れているんだろうと思う。このマンガは、ただ読み飛ばすだけではもったいない。実際にいろいろなピアノ曲を聞いて、作者の表現の意図を考えることによってより深く味わえるというものだ。必然的に音楽に対する造詣も深くなっていく。もちろんマンガとして単純に読んでも十分深く楽しめるのだけど。

ショパンは、「ピアノの詩人」と呼ばれている、という話がある。誰が言ったのか、それともコマーシャリズムの中での表現なのか、それはよくわからないのだけど、ずっと聞いているうちに、この表現は実際、相当的を射たものだと思うようになってきた。

詩は言葉の芸術で、その点が音楽や美術とは異なる。朗読する場合もあるが、ただ目で追う場合もある。言語や活字というものの分節的な性質と、もっともマッチする楽器は鍵盤楽器、それもピアノだろう。鍵盤楽器の中で、もっとも演奏者の弾き方によって巧拙や個性が現れるのはやはりピアノではないかと思う。また、独奏できらびやかな音から静かな音まで徹底した個人の表現を追求できるという点でも詩に似ている。

コンチェルトはオーケストラとの共演だが、これはオペラとか詩歌劇となぞらえることが出来るかもしれない。ショパンのコンチェルトはまだあまり聞き込んではいないのだが、今のところ独奏曲の方により魅力を感じている。

そうしたピアノの楽器としての可能性の側面を、最大限に生かした曲を多くつくったのがショパンではないかと思う。もちろん彼自身が優れた演奏者でもあったのだけど、彼が書いた曲を今なお多くのピアニストが演奏する、というのは彼の書いた詩を朗読するようなものだ。戯曲や詩が読むもの演じるものの個性と技術によって無限の表現が生まれるように、やはりショパンのピアノ曲はさらに幅広い表現の源泉になっている。それが素晴らしいと思う。

ショパンの曲は、ワーグナーやベートーベンのような大作ではなく、短いピアノ独奏曲が多い。そういう意味でも、「詩」のイメージに近い。

また、解釈が分かれるところではあるようだが、やはり私はショパンは音楽としての純粋性を追求していて、何か物語とかを表現するために曲を書いたのではないと思う。詩の命がポエジーであって物語の描写ではないように、曲の命は音楽性であって何かのために資するものではないと思う。特にショパンの曲に関してであるが。

そういう意味ではショパンの曲はロマン主義的なものではない、という解釈はその通りで、むしろロココ的なものだ、というのは当を得ているように思う。物語性に依拠しないという意味では反ロマン主義的なものといえるかもしれない。しかし、やはりショパンの曲は19世紀的で、革命ののちのブルジョア社会に生きる不安な個人の心情に適合した音楽だ。18世紀貴族社会の退廃はしているが安定した貴族たちのための音楽とは根本的な違いがあるように思う。

ショパンの音楽はそういう意味で、時代的にも特性的にも歴史の中で屹立している部分がある。これは明星派に属しながら明星派の枠を越えて国民歌人になった石川啄木や、新古今集の中で一人だけ突き抜けた明るさを持つ西行のような、その時代を代表する芸術家でありながらその時代の主流とは違う、真の才能をもつ存在と言っていいのではないかと思う。

***

マンシェットを読む。描写が素晴らしい。

「ジュリーが相変わらず眠れずにいると、車のヘッドライトが一瞬、谷を照らし、松の木の幹を浮き彫りにして、消えた。ポジションランプだけを点したルノー16は、木の下に停車した。闇のなかで、ジュリーは腕時計の時刻を読み取ることができなかった。外ではビビとネネスが小声で言葉を交わし、笑った。しばらく一緒に煙草をふかし、それからルノー16の車内灯がついた。車のなかでネネスが座席に毛布を敷くのが見えた。それからネネスは座席に寝転がり、灯を消した。

ジュリーはひと晩じゅう眠れなかった。見張りの交替の音を聞き、ペテールが夢のなかで呻く声を聞き、トンプソンが立ち上がって便所へ行き、そこに長いこととどまり、何度も呻き声を上げるのを聞いた。」(82-83ページ)

物語の展開よりも、こういう描写を読んでいると心がぞくぞくしてくる部分がある。現在107ページ。

愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)
ジャン=パトリック マンシェット
光文社

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by Luke Peterson

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