日常的なもの/知ることと死ぬこと(『バカの壁』を読み直す・その3)
Posted at 09/09/05 PermaLink» Tweet
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日常的なことを少し。毎日朝、モーニングページを書いて活元運動をし、朝食後少し本を読んでブログを下書きなどし、昼前に山麓に出かけて帰りに少し買い物。水曜日にはユニクロによってストライプのシャツを一枚買い、木曜日には平安堂によってアシュケナージのバラードとスケルツォのCDを買った。これは1978~84年に録音のもので、すでに持っている64~67年の録音のものに比べると相当円熟味を増している。同じピアニストの同じナンバーを二枚買うのもどうかなと思ったが、それはそれで面白いということがわかった。
帰ってきて昼食を取り、少し休憩してから本を読んだり文章を書いたりして、3時半から仕事。昨日は新しい仕事が入って、結構充実した。夜10時まで。
***
バカの壁 (新潮新書)養老 孟司新潮社このアイテムの詳細を見る |
『バカの壁』を読み直す。その3。第4章の第5節、「「知る」と「死ぬ」」。
人間はなぜ勉強するのか。今ある自分をそのまま保つためなのか、といえば、そういう勉強の仕方(つまりマニュアルを身につけるとか)もあるかもしれないが、本質的には今ある自分よりもよりよい自分になること、つまり変化するためにするものだろう。勉強するのは「知る」ためだ。そのことを「知らなかった自分」から「知った自分」に変化すること。
そのことの根本的な例として、たとえば「自分が癌で余命半年であることを告知されること」というのを養老は上げている。自分が癌であることを知ったとき、そのときに見る桜は、それ以前の桜とは見え方が違うだろう、それは桜が変化したからではなく、つまり世界が変化したからではなく、自分が変化したからだ、と養老は説明する。知ることによってすべてが変化する。そしてその前のことはもう思い出せない。知るというのは根本的にそういうことではないかというわけだ。
このあたりの例の挙げ方が多分養老の文章の難しさの源なんだと思う。例は確かに判りやすく、インパクトがある。しかし、インパクトに惑わされて何を言いたいのかがよくわからなくなってしまうのではないか。少なくとも私は最初にここを読んだとき、「なんだか怖いことを言っているが一体何を言いたいんだろう」と思った。「知る」ということとその「怖さ」というものが結びつかない。なぜならば、私は「知る」ということにプラスのイメージしか持っていなかったからだ。私はとても優等生というようなものではないが、優等生の人たちは特に、知るということにマイナスのイメージを持っている人はあまりいないのではないかと思う。知れば知るほど自分が向上する、という程度のイメージなのが普通だろう。
しかし考えてみれば当たり前なのだが、「知る」ということはいいことばかりではない。「知らない方がよかった!」ということは世の中にたくさんある。たとえば恋人の心変わりとかを知ったとき、などという例もあろうが、いわゆる知識の世界にだって当然ある。しかし、特にそういうマイナスのパワーを持った物を知ってしまうと、免疫のない人は確実に影響を受ける。特に一見プラスのパワーを持った物を知ることによって、自己が破壊されることだってある。「競馬必勝法」を「知って」しまったがために、あるいは「気持ちよくなって痩せるクスリ」を知ってしまったために人生を台無しにしてしまう人がいかに多いことか。マルクス主義を知ったことによって人生を棒に振る人だってあるのだし、(本人がどう思うかはまた別の問題ではあるが)、「知る」ということは怖い面もあるのだということは押さえておいた方がいい。
つまり大事なことは、「知る」ということの本質的な意味は「根本的に変化する」ということなのだ。プラスマイナスに関わらず。
孔子が「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言っているのは、そう言うことだと養老は言う。道を聞く、つまり「真理」を知ることで人は根本的に変化する。それは古い自分が死んで新しい自分になるということだ。これは何か特定の究極的な真理のことを言っているのではなく、わりと日常的な学びのことを言っているのかもしれない。あることを学んで、自分が変わる。また別のものを学んでまた変わる。人間というのはそのようにいつも変化する。いつも古い自分が死に、新しい自分に生まれ変わる。人間の肉体的な死というものと、知ることによって生まれ変わるという意味での古い自分の死と、どちらが重いかといえば、真理を知ることで古い自分が死に、新しい自分が生まれることの方が重いのだ、というのが孔子の言っていることではないか。私は養老の表現をそう解釈した。
このへん正直言ってちゃんと腑に落ちているわけではない。しかし、孔子にとって、あるいは昔の学問に志した人にとって、人の生死はもはや眼中になく、いかに自分が真理に迫れるかということにあっただろうということは想像はつく。
こうなるとどこかの坊さんが言っていた、「何かを学ぶのに遅すぎるなどということはない」、という言葉を思い出す。学び始めて三日目に死んだとしても、生まれ変わったときには三日分修行が進んでいる、というわけだ。生き死にそのものよりも大事なのはいかに生きるかということ。人は寿命が来れば死ぬのだからそんなことにかかずらわされることなく、飽かずに真理を求めることが重要なのだ、ということになるのだろう。
しかし現代では、東大の教養で一番売れている本が『知の技法』である、という例からも推察されるように、「知」というものにそんな根源的なパワーをみていない。知というのはマニュアルの一種だと思っている。それで上に述べたような悲劇が起こる例が増えている、ということはいえるかもしれない。「知」の根源的な怖さをそれに対する無知によって侮ってしまうこと、それもまた「バカの壁」だということなのだろう。
***
今回ここを読んでいて最初に思ったのは、私は変わることへの恐怖というものを持っているんだなということだった。変わりたくない、という思いがある。それは、変化する前と変化した後の自己同一性が失われてしまうことが怖い、ということなのだろう。自分の「個性」や「自己同一性」が失われてしまうことへの恐れ。変わってしまった後、変わる前のことが思い出せなくなることへの恐怖。それは、時間の中で自分がずうっと続いている自分であることが失われることへの怖れなのだろう。
しかし、個性は身体性に由来する、という観点から考えてみれば、知ることによって意識の持ち方が変わったところで個性や自己同一性が変わるわけではないし、変化というものが死に等しいような力で、つまりいわば暴力的に起こるものであるならば、そう言うものに抗うことは不可能というか、意味のないことだ。たとえ生まれ変わりがあったって、死んだら相当のことは忘れるだろう。個性や自己同一性を担保していた身体が失われるわけだから。
「変わることへの怖れ」が強いというのは多分、自分がかなり徹底的に「意識中心」の人間だということの現われなのだろうなと思う。昔演技をしていたときに、どうしても新しい演技が出来なかったときに、「それが出来るようになっても今出来ることが出来なくなることはないよ」と言われてすごく楽になった、ということがある。本当にそうかは別として、そう言われることで私は「今出来ること」へのこだわりを手放せるようになった、ということが大事なのだ。人にはそれぞれ教え方というものがある、としみじみ思う。私のような人間は、私を教える立場に立てば難しい人間だろうといつも思うけれども、そのように上手くツボを突いてくれると納得できるわけで、自分を知るということも人を知るということも大変なことだなと思う。
本当に「出来る」ようになるためには、「ある程度できること」を捨てなければいけない、天才の道は秀才の道を捨てることから始まる、というのはニーチェが『ツァラトゥストラ』で「高人たちへの同情を捨てよ」と言っていることと同じだろう。変化を恐れず、飛び込んでいけ、というアドバイスだ。間違った道でないことは、結局は祈るしかない。しかしそこにバカの壁があることを知らなければ簡単に間違え、取り返しがつかないことが起こることになるのだから、それは十分に意識しなければならない。(どうしたら間違えないか、ということはこれもまた身体性と関係がある、と養老はあとで述べているのだが、それはまた後の機会に)また、その人にあった「捨て方」というのもあるから、アドバイスをするほうもなかなか難しいものではある。
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