真っ暗な黒い油の海の中/暴露主義の罠/堅苦しいのも低劣なのもどちらもおかしい
Posted at 09/08/29 PermaLink» Tweet
雨が降ってきた。ペーパーフィルターでコーヒーを淹れて、パソコンに電源を入れる。ショパンを聞こうと思ったが、ふと目についたのでRCサクセション『Blue』をかける。『Please』や『Rhapsody』は飽きるほど聞いたが、『Blue』は清志郎が死んでから買ったアルバムなので、まだあまり何度も聴いていない。『Please』よりも『シングル・マン』の叙情性に近い。案外このアルバムが、一番自由に作られているのではないかという気がする。ただブログを書きながら聴くには、言葉が入って来過ぎるので調子が悪い。
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人といろいろやり取りして思ったが、やはりブログの文章の方向性を元に戻そうと思う。ストレートなことを書きすぎるのは、どうも自分の文章ではない。ただときどきある時期が来ると、こういう書き方をしたくなることがある。それは基本的に、あまり精神的に調子がよくない時期だ。自己探求をすることで自分の中にあるいろいろなものを明らかにすることで自分の方向性を見出そうとすると、自分の中の地獄の釜の蓋を開けることになり、魑魅魍魎が出てくる。それはすべて自分の中にあるものなので、自分にとってはある意味魅力的だ。だからそれについて書きたくなる。でもそれは自分が生きている間に降り積もってきたいろいろな悩みや苦しみ、怒りや絶望、恨みやひがみなどなので、書いている間に本当にそういうもののただなかに放り込まれ、真っ暗な黒い油の海の中で漂っているような感じになってくる。
そういうものを自分が持っているということを、今まで、否定したいと思うところがあった。しかしそれは、自分が生きてきたどうしようもない結果でもあるので、そういうものがあること自体は受け入れられなければならない。
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しかし、それを受け入れるのがだいぶ楽になったのは、『ピアノの森』とショパンの力が大きい。どうしようもない絶望、無力感、苦しみ、そういうものを曲にしたのがたとえばプレリュード15番、「雨だれ」なんだなと思う。そういうものが描かれている、どう考えても絶望的な状況の中から這い上がってきたたくさんのピアニストたちが描かれている『ピアノの森』は、ある意味そういう自分の中の苦しい部分、煉獄的な苦しみの部分の釜の蓋を開けてしまったのだけれども、同時にその苦しみから逃れる、その苦しみがあるがゆえに至高の美しさに至る道もまたあるということを教えてくれた。私は読みながら阿字野の苦しみに共感し、修平の悩みに共感し、カイの飛躍に感動し、パンウェイの責め苦のような人生に自分の人生の苦しかった部分を反映させる。
そして苦しいときにそこから脱け出すために「心を正常に戻す」。心を正常に戻したら、人には必ずやりたいことがある。私の場合は、文章を書くことだ。苦しいときには苦しいことを書いてもその苦しさを描ききることはできない。正常なときに書くからこそ、苦しさをすべて表現することが出来る。苦しいままに自分の感じていることをストレートに書いてしまっても、それは本当の私の文章ではないのだ。
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朝起きて、本棚を整理していたら、『小林秀雄全作品』の一冊があって、その中に「旧文学界同人との対話」という昭和22年の座談会が収録されていた。それを読むともなしに読んでいたら、こんな発言があった。
「昔の写実主義は露骨といっても、もっと素直なものだったんだよ、楽しげだった。けれども近代の写実主義というのは、一種の暴露主義だからね。これは一種の変態だ。芸術というものにはもっと健全なものがあるに違いない。そううふうな面から見ると、たとえばモーパッサンの暴露主義、ゾラの暴露主義、これは一種の変態なんだ。最近の心理小説だって内的暴露をやっているのだ。」
この文章を読んでなるほどと思った。写実と、変態的な暴露主義は違う。変態的な暴露主義に陥ってはならない。心を正常に戻さないまま苦しみを書こうとすると、それは変態的な暴露主義に陥ってしまい、この世に戻ってこれなくなる。自分がモーパッサンやゾラにかすかに心惹かれる部分があるのは、自分の中にもそういういわば変態的な部分がかすかにあるからで、それが苦しいときに限って変に魅力的に見え、そう言う書き方をしてしまうということなのだなと思った。書く前に、まず心を正常に戻さなければならない。苦しみに溺れているときは、書くことに集中できなくなっているのだ。
やはり小林秀雄はいいなと思う。大人だ。最近の作家で、これだけ「大人」を感じさせてくれる人はいない。いなければ、どうするのか。結局は、及ばずながら自分が大人の文章を書くように心がける、ということしかないのだと思う。
小林はそういうことを言っているのだけど、この座談会を主催した林房雄の言いたいことはまた少し違う。(出席者はほかに亀井勝一郎と河上徹太郎だが、ほぼ小林と林が喋っている)これもまた大きな問題なので、少し書きたいと思う。
林は、日本の文化が「欠字文化」であるということを言っている。欠字というのは、戦時中に事前検閲を受けて「マルクス主義」が「××××主義」になったというあれである。現在では「ピー」とか「DQN」と表現されるが、「××」の方が雰囲気がいい。昭和10年代の雑誌とか読んでいるとページの半分近くが「××」になっていたりしてある意味超受けるのだが、ページの半分が「DQN」の文章は誰も読みたいと思わないだろう。(蛇足ながら、終戦後も進駐軍によって検閲は隠微な形で行われていたことは付け加えておきたい)
林は、「欠字」文化ということで何を言いたいかというと、特に明治以降を問題にしているわけだが、人間の全人性が損なわれているということを言っている。好色性のある表現などを明治以来「××」にすることによって、為永春水や『デカメロン』を健康な意味で読んだ人が文学者の中にもほとんどいない、ということが、日本の文化の中にある人間理解をひどく歪め、一面的なものにしてしまっているのではないかということだ。
これは確かにその通りだと思う。特に、ハイカルチャーの部分でそういうことが著しいように思う。『ピアノの森』の中でも日本のコンクールがとにかく楽譜通りに弾くことだけを要求し、異分子、つまり型にはまらない天才を排除する方向になっているという問題点や、ショパンコンクールでも日本人の出場者といえば堅苦しいまじめなだけのピアノを弾く人、という評価になっているという話が出てくるが、ピアノというもの、音楽というものをそういうふうにまじめに堅苦しく考えてしまう日本の文化というものは、そう言う「欠字文化」に由来するところが大きいのではないかと思った。欧米のハイカルチャーはもっと自由というか、もちろんもともと彼らの文化だからということもあるが、時代による変化はあるにしろ、人間性のさまざまな面を表現することに変な壁がない。そういう意味で言うと、リアルタイムにさまざまな情報が入ってくる現在でも、そういう文化的な桎梏から逃れる意味で、日本人が留学することには意味があると思った。
逆に、日本のハイカルチャーがそういう抑圧的な形で形成されたために、それに反発する形でアンダーグラウンドなものが出てこざるをえず、それが現在のサブカルチャーの隆盛につながっているということも言えると思う。日本のサブカルチャーは欧米に比べてかなり地位が高いと思うが、それはもともとハイカルチャーにいってもおかしくない人が型にはまりたくないためにサブカルチャーを選択している例が多いことに由来していると思う。もちろんそれはそれで悪くはないのだが、たとえばロリコンやオタクを語れば人間のすべてが語れるかというとそんなことはないわけで、やはりサブカルチャーにはハイカルチャーに対抗する逆方向の抑圧ベクトルがかかっていることもまた事実なのだ。
もっと身近な表現をすれば、いわゆる日本的な、本音と建前の使い分けということになる。建前のハイカルチャーと本音のサブカルチャー。しかし、その二つで人間性のすべてを語ることが出来るのだろうか。もし日本人の精神性にゆがみがあるとしたら、実はそこにこそあるのではないかと思ったのだ。真実は本音と建前の間にある。そしてそこに光を当てようとする人は多くないし、そこを発掘しようとする人がいてもシステム化したメディアの中ではそこの部分はお金にならないために放置されている。
この対談ではほかにもいくつか興味深い論点が提出されている。また機会があったら書いてみたいと思う。
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